1円を笑う者は…
日本では、なかなかこういう広い河は見られない。
船着場には大勢の人が一列になって並んでいた。
「みぶ真也さんですよね」
前に並んでいた男性が振り返ってぼくに尋ねる。
「そうですけど」
「私、こういう者です」
差し出された名刺の名前の上には一流企業の部長という役職が書かれていた。
「いつも、帰りの車でラジオ聴いてます」
「ありがとうございます」
ぼくも名刺を取り出そうと財布をポケットから出した。
名刺入れなどという気の効いたものは持ち合わせていない。
“俳優・ナレーター・怪談ライター”と肩書が三つ並んだ名刺を出そうとすると、一円玉が一個、ポロリと桟橋の上に落ちる。
あっと思い拾い上げようとしたのだが、一円玉は勢いよく転がっていき、前の方で並んでいる親子連れの足元で止まった。
「あ、お金が落ちてる」
子供が拾い上げる。
「よかったわね、お母さんが預かっておいてあげるわ」
そういって、母親が自分の財布に入れてしまった。
「あの怖い話は、全部本当に体験したことなんですか?」
大企業の部長さんが尋ねる。
「ぼくの体験談もあれば、ラジオを聴いてる方から寄せられたものもあります」
「そうなんですか。私はね、ここへ旅行に来る前に前半を聴いて来たんですよ。それで、その後どうなったか知りたいんですが、今、教えて貰うわけにはいきませんか?」
「どんな話です?」
「それがね…」
部長さんが続きを話そうとした時、汽笛が響き大きな船が到着した。
船から降りて来た乗組員が受付小屋の中に入り、小窓を開く。
ここで切符を買って乗船することになるらしい。
グループで旅行しているらしい先頭の集団が団体券を買って乗り込み、その後の客もぞろぞろと乗船して行く。
さっきの親子連れもさっさと乗ってしまった。
「で、どんなお話をしてました?」
再び尋ねたが、部長さんは何故か陰気に黙り込んでしまった。
広い河の船着場から、一列に並んだ乗客たちはおのおの切符を買ってぞろぞろ船に乗り込んで行った。
ぼくの番になったので、小屋の窓から覗き込んで切符を買おうと
「大人一人。おいくらですか?」
「六千円」
売り場にいる乗組員がぶっきらぼうに答えた。
財布を出して数えてみると千円札は5枚しかなかった。
「ちょっと待ってくださいね」
小銭を調べる。
五百円玉が一枚。
百円玉が三枚。
五十円玉も三枚。
十円玉が四枚に一円玉が…
一、二、三、四、五、六、七、八、九枚。一枚足りない。
数えなおしてみて…
「すみません、一円足りないんですけど」
さっき、ぼくの財布から転がり落ちた一円玉を、拾い上げた子供から取上げた母親の姿を思い出す。
あの一円があれば…
「本当にないの?」
受付が面倒そうに言った。
「すみません、何度数えても一円足りないようです」
「あんた、これに乗るってわかってたんでしょう。どうして用意しとかないの?」
「す、すみません」
「一円でも足りなかったら、切符売るわけにはいかないんでね。次の方、どうぞ」
結局、ぼく一人を残し、全員が船に乗り込んだ。
「決まりは決まりなんでね。昔は六文でよかったんだけど、今は六千円ないと乗れないんだよ」
切符売りはそういって船に乗り、去って行った。不意にあたりが明るくなり、目を開くと病院のベッドの上だった。
「持ち直しました」医者が言う。
周囲にいる家族がほっとため息をついた。
「一時は三途の川のほとりまで行ってたんですがね」




