表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
8/25

第8話  ままならぬ心

 あいかわらず手入れが行き届いている部屋だ、と萩は思った。


 几帳や文机の配置にズレはない。色調は落ち着く色合いで統一されているにもかかわらず、どこかぴんと張った空気も感じざるをえない。


 この部屋には長良というよりも兄の正規の意気込みが色濃く感じられる気がした。几帳面な兄が家令である限り当然の結果とは言えるものの、もう少し隙があってもいいのにとも同時に思う。長良はここで息が詰まらないのだろうか。


 暫く自分の仕事に追われていた萩が長良宅に来るのは久しぶりだったが、間人は萩に飛びついて最大限の笑顔で迎えてくれたのが嬉しかった。


「間人の機嫌がここ最近悪くてね」


 閑院に久しぶりにやってきた長良が珍しく愁眉をよせて萩にそう言ったので放っておけず長良の屋敷にやってきたのが今回の一番の理由だった。


 来る途中、どのように聞き出そうかといろいろ試案したものの、結局素直に言ってみた。


「間人、長良に思っていることをはっきり言った方がいいわよ、ここが気持ち悪いでしょ」


 萩はそういって間人の心の臓あたりにそっと手を翳した。『長良』という単語を聞くや否や今まで笑顔だった間人の顔がにわかに曇る。


「別に。言いたいことなんでないよ。ナガラなんて嫌いだもん」


 ふい、と横をむいて、間人は萩がお土産に持ってきた索餅を一つほお張る。


(あらあら、これは想像以上だわ)


 長良が相談してくる訳だ。萩は軽く苦笑を閃かせた。


「彼が何かしたの?」


「何もしないよ。だって最近あんまり帰ってこないんだもん。ジジュウ、とかいうものになったからだってコハルが言ってたけど」


 確かに長良は先ほど侍従に任命されている。今上のお傍近くに侍る役職だけになかなか儘ならぬ時を過ごす事も多いだろう。この部屋が兄好みになっていたのも理解ができた。


 間人には『侍従』がどういうものなのか、良く分からないのだろう。ただ、言い方から間人は『ジジュウ』を由々しき言葉と思っていることは間違いない。


「コハルも酷いんだよ。夕餉が終わるとすぐ寝床をつくって眠くない俺をそこに追いやるし」


 小春も間人の世話以外にやるべきことがあるのだ。忙しい彼女に悪気は全く無いのだが、間人を寝床に押し込んでいかざるを得ないのだろう。そう思ったが、萩は何も言わず、間人の話を聞き続ける。


「屋敷の中も行っちゃいけない所が多すぎるんだ。ちょっと部屋を出ようとするとマサキは怖い顔するし」


「間人の龍気を狙っている人がいるからよ」


 萩は窘めるように言ったが、間人は首を横に振った。


「だからって、一人でこの部屋にいてもつまらない。だから、この間マサキに内緒で部屋を出てやったんだ」


「そんなことしちゃ駄目よ。危ないわ!」


 萩の心配顔に気づいた間人は声の調子を弱めた。


「…ナガラが帰ってきた音がしたんだ。だから、ちょっと迎えに行っただけだよ、なのに」


「なのに?」


 萩は間人の不機嫌な理由の根源に近づいて来たことを感じ取り、静かに聞き返した。


「俺が一人でつまらない思いをしているのに、ナガラは俺と同じくらいのヤツと笑って話をしてた」


 萩は長良の牛使いの童子、黒丸を思い出す。


「だた、話をしていただけでしょう?」


「そうだけど…なんかココがキュって痛かった。すごく嫌な感じがした」


 間人はそっと自分の胸を押さえる。そして、眉を寄せた。


「そいつとは目が合ったんだ。そうしたら、あいつ、笑ったんだよ。なんか不愉快な笑い方だった」


 黒丸は間人について何も聞かされていない。しかし、間人が皆に大切に扱われているのは目の当たりにしているので、年端のあまり変わらない間人に反感をいだいているのかもしれない。その上、黒丸も長良にかわいがられ、黒丸も長良によく懐いていたから長良を取られた気がしていたのだろう。だから、長良と二人でいる場面を間人に見せつけることができて、勝ち誇ったような笑みを浮かべたのかもしれない。


「でも、あいつは気づいていないんだ」


「黒丸が? 何を気づいていないの?」


 間人の不機嫌な理由が読めてきた萩は間人の心の毒をすべて吐き出させた方がいいと判断し、聞き役に徹することにした。


「俺だけはいつも特別扱いされている、って思ってた。実際、ハギやコハルはそうしてくれているよね。でも、ナガラはだけは誰にでも同じようにしか接しない。でもあいつはその事にまだ気づいていないんだ。自分だけ特別だと思っている。だからあんな笑い方を俺にしたんだと思う」


「…間人」


 間人の意外な言葉に萩は驚いていた。間人は龍だから、記憶を失っているから、何もわかっていないと思っていた。悪くいうならば彼を『見くびって』いたのだ。


 長良はいかなる人にも平等に接してるが、逆を返せば適度な距離感をもって相手に接し近くまで相手を寄せ付けない。それを長良は皆に気付かせないようにしているのか、もしかしたら長良自身も気づいていないのかも知れない。


 萩も幼少のころは長良と近い距離にいたのでその平等さに違和感を持ったが、長年付き合う内に彼の性格としていつの間にか受け入れていた。間人は短い間で間人より長く長良に接している黒丸よりも早くそれを見抜いてしまったのだ。


 誰に対しても区別が無いという事。そこが彼のいいところでもあり、きっと間人にとっては悪い所なのだろう。正直なところ、萩も長良の友として寂しく感じる事があった。


 間人は自分の膝を引き寄せた。


「どうしてかな? 俺がいけないのかな。ミネツグだって俺の事好きだって言ってくれたのに」


「峰継が?」


 間人は黙って一つ頷く。艶やかな黒髪が彼の肩から滑り落ち、彼の寂しげな横顔を少し隠した。


 萩や長良のいない間に峰継がちょくちょくここに来ている事は知っていた。


(間人に変なこと教えなければいいけど)


 今度峰継にあったら、釘をさしておかなければと萩は思った。


(でも…)


 一人の時間が間人にいろいろ考えさせたのだろう。龍も人と同じ感情を持つことも知った。


「前はずっとそばにいてくれたのに」


 小声で間人はぽつりとつぶやいた。そのつぶやきがきっと彼の本音のすべてを集約したものだろう。


(長良が嫌われていると言う訳ではないわね、むしろ…)


 自分が割ってはいるような問題ではないと分かり安心した。このことは間人と長良、二人で解決してもらおう。


(でも少しくらい背中を押しておいてやるか)


 萩は片方の口端を上げると間人の髪を軽く引っ張った。


「痛いよ」


 さして痛くなさそうに言う間人に萩はさらに笑顔を深めた。


「長良に今話してくれたことを話してみたら? 思っているだけじゃ好きだって相手に伝わらないわよ」


「だから好きじゃないってば。キライだって言ったじゃん」


「そう? 素直になって、たまにはケンカくらいしないと。まあ、あの長良ではケンカにならないかもしれないけどね」


「ハギがミネツグといつもケンカしてるのは好きだから?」


 油断していた萩は間人の言葉に固まってしまう。間人をみれば悪気無く聞いている様なので、なお始末が悪かった。


「ち、違うわよ。あんな年下で、子供で、解らずやなんか。なんで、私が」


 あまりに突然だったので、普通に年を重ねてきた人なら明らかにわかってしまう反応をしてしまった。だが、間人は萩の様子には気がつかなかったようだ。頬に手を当てて眉を軽く寄せ始める。


「好きだって伝える方法っていっぱいあるんだね。すべて気づけるかどうか、自信がない」


 萩を見つめ、真面目な顔で間人はそう言った。


「…そうね」


 萩は一応そう答えてみた。


(でもね、間人。世の中には気付かれたくない好意もあるのよ)


 萩はこっそりため息をつく。


 確かに萩は峰継に好意をもっている。子供のころから何だかんだ言いながらも甘えてくる彼がいとおしく、それが、いつの頃からか恋心に置き換わった。


 この気持ちを峰継に知られたら、変に意識してしまい、今までの様に彼に接する事が出来ないのが安易に想像できる。たとえ夫婦になったとしても、名門橘氏の峰継と難波氏で藤原の家人出身の自分では身分違いで正妻にはなれない。好きな相手の二番目でいる事、それは萩の性格上耐えられない事なのだ。


 しかし、まだ暫くはこっそりと峰継を見ていきたいと思う。


(私も結構素直じゃないわね。人のことを言える立場じゃないか)


 萩は間人の側により間人の肌理細かな頬に触れ、微笑む。その笑顔が悲しそうだったのか、間人は慰めるように彼女を抱きしめてくれた。


「ありがとう、間人」


 間人の温かさに、萩は心の隙間が埋まる思いがした。




評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ