第7話 二人の秘密
「もうちょっと手加減してよ、ミネツグ」
間人は唇を軽く尖らせながら床に落ちた矢を拾った。
峰継は間人と二人で室内に設えた小さな的に矢を当てる子弓をしていた。長良は今日も宮中へ参内しており屋敷にいない。
峰継は逸勢に言われた通り、行ける限り長良の屋敷へ通っている。赤龍の本当の守護が誰かを調べるためだ。
長良の屋敷へ毎日のように通っていればもちろん長良本人にも会う。しかし逸勢叔父から赤龍の存在理由を聞かされ、しかも長良の行動の見張りまで言いつけられた今、自分の心が後ろめたいのか昔の様に長良と接する事ができないでいた。気をつければ気をつけるほどどうしてもぎこちなくなってしまう。長良も口にはださないが、薄々気づいているようだ。しかし理由までは知らないだろう。今日は長良が屋敷にいないので実はほっとしていた。
「なあ、間人」
「何?」
間人は瞳を凝らして的に意識を集中させていた。
「まだ昔の記憶は戻ってこないのか? 少しでも思い出したことは?」
「ここに来る前の事は全然覚えてないんだ。何も思い出せないし」
「本当か?」
「本当だよ…って、もう、ミネツグが話しかけるから、また的から矢が外れちゃったじゃん!」
間人は軽く峰継をねめつけてから横にそれた矢を拾いに行った。
峰継は小さな背中を眺めつつ安堵のため息を漏らした。
赤龍について逸勢の叔父貴もいろいろと調べているらしいが、思うようには進んでいないらしい。その苛々からか逸勢は目新しい事実はないのかと峰継を何度もせっつくが、間人自身が全く前の記憶を覚えていないのだから、仕方がない。
だが、同じく長良にも間人の新しい事実を知る術は何もないことになる。
「はい」
拾ってきた矢を間人から手渡され、峰継は我に返った。
「すまん、すまん。今度は俺の番だな」
学問はあまり好きではないが、体を動かすのは得意な峰継は、初めて子弓をやる間人に構わず次々と矢を的に当てていった。
初めは間人も尊敬の眼差しで見ていたが、自分のあまりの出来なさと、峰継の容赦のなさにつまらなくなり、しまいには床に寝転んでしまった。
「なんだ、もう飽きたのか」
峰継の問いに間人はふいっと背中を向ける。峰継は這いずって間人の側により、横を向く艶やかな頬を軽くつねった。
間人の頬は上質の絹のように滑らかで、そこらの女より遥かに手触りが心地よい。
「だってつまんないんだもん」
つねられた手を払い、再び間人は峰継に背を向ける。
「おお、俺は上手すぎるからな、別格なんだ。しかし、間人も初めてやった割には上手い方だと思うぞ」
「本当?」
間人はがばっと起き上がると嬉しそうに峰継を見た。峰継の顔の前が明るく輝く。
「…」
峰継は思わず、間人に近づくと、そっと口づけた。
想像以上の柔らかさに、峰継は何もかも忘れ、暫くそのままでいた。しかし何も反応がない。建前上嫌がる女の扱いは知っているが、このあまりの反応のなさにさすがに峰継も不安になり、いぶかしげな顔で間人から離れる。
峰継の瞳とぶつかった間人は普段と変わらない顔で軽く首をかしげた。
「…」
「…」
暫くの沈黙が続く。間人は大きな紫色の瞳を何度かゆっくり瞬いてみせる。峰継が間人にした行動の説明を待っているようだ。
なにか、調子が狂う。
(龍はやはり人とは違うということか?)
峰継は沈黙に耐えられず、自ら口を開いた。
「うーん、なにか質問は?」
「どういうときにそれをするの?」
峰継は苦笑する。こんな事を説明するとは思わなかった。が、逆を言えば説明が必要ということは、今まで間人に口づけた人が誰もいなかったという事だ。ということは、峰継よりは間人に多く接している長良でさえも先ほど感じた柔らかな感覚を知らないのだ。
峰継は少し嬉しくなった。子供のころから峰継は庭に雪が降ればだれよりも早く足跡をつけ、自分の足跡のみの景色に満足感を覚えたものだ。その感覚に似ていると思った。
峰継はもう一度間人に触れたいと思い、心の赴くまま間人の肩を抱き寄せ、耳元で囁いた。
「これは相手に好きだと確実に伝える手段だよ、知らないの?」
「知らない」
峰継にかき抱かれるまま、間人は峰継の腕の中で首を振った。その愛らしい様子に峰継は思わず腕の力を強めてしまう。まるで間人をほかの誰にも渡さないかのように。
長良がこの強い誘惑に耐えているのが不思議で仕方がないと思う。
(いや、自制心を駆使して耐える方が長良らしい気はするな)
そのお陰で間人の唇に一番に触れられるという恩恵にもあずかれたのだろう。
峰継は指先で間人の滑らかな頬をくすぐる様に辿ってみる。一方の間人は暫く思案顔をしていた。
「何、考えてるの?」
甘く囁く峰継に間人は腕の中からこちらを見上げた。
「じゃあ、ミネツグは俺のことが好きなのか?」
「まあね」
「じゃあ、えっと、そう! ありがとう」
間人は素直に頭を下げた。
基本的に人のいい峰継は良心が痛んだ。間人はこの雰囲気が全く分かっていないのだ。
きまり悪そうに体を揺らすと、峰継は間人の肩から回した腕をはずした。何も知らない間人ならこのまま丸めこんでしまえそうな気はするが、そうしたらきっと後味が悪くなるに違いない。
「…どういたしまして」
峰継は少し乱れた着衣を直す振りをして間人から目線をそらした。峰継は急にはた、と手を止めると間人に向き直った。
「あのな、間人。さっきの、その、好きだと伝える行為はな、必ず二人だけの秘密にしなければならない決まりがあるんだ」
「内緒にするって事? 誰にも話しちゃダメなの?」
「そうだ。わかったな?」
長良や萩に話されると面倒なので峰継は間人にそう教え込んだ。
「わかった」
間人はまじめな顔で聞き入り、頷く。
これで多分大丈夫だろうと峰継は心の中で一息ついた。
(間人が俺の赤龍だったらいいのになあ)
再び小弓を始めた間人を眺めつつ、峰継は心からそう思った。