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第25話 終章 暁の約束

 長良はそっと瞳を閉じ、深呼吸をした。香炉の香りとは別に新しい木の香りがする。


 新築の屋敷に長良は移っていた。ゆったりと奏でていた琵琶の撥の手を止める。


(間人を取り戻したあの日がもう遠い昔の様に感じられるな)


 閑院で間人を取りもどした後、良房が夜分遅く長良の屋敷へやってきた。


「兄上、すいません。無理やり捕まえようとしたのが悪かったのですが、抵抗された時に赤龍に火をだされまして、もうご存じだとは思いますけど、対の屋を燃やしてしまいました。お詫び、といっては何ですが、枇杷の木が自生している土地があるじゃないですか、あそこに新しい屋敷を建てたらどうですか? あそこなら綺麗な水も沸いていますから龍にもいいと思いますし」


 実を言えば父の勧めですけどね、と良房は笑って付け加えた。


 今の屋敷でも十分暮らせるが、それで二人の気持ちが済むのであればと思いそれを受け入れた。実際、あそこは本当に良質な水が出る。それに再び一から間人との生活を始めるにあたって新居はいいきっかけとなるとも思ったからだ。


 数ヶ月かかって完成した新しい屋敷に移ってまだ数日だが、正規や小春、長良付の女房になった萩ががんばってくれたおかげで普通に生活が出来るほど整っている。


(正規はがっかりしただろうな)


 正規と萩には閑院での顛末を余すところ無く語った。正規は実力ある長良がなぜ弟に劣らなければならないのか、と涙したがすぐ涙をぬぐった。


「長良様が無事に帰ってきただけでもよかったです」


 そう殊勝なことをいい、それ以来そのことには触れず、今まで通り働いてくれている。そんな正規の傍らでは間人の件以降逞しくなった小春がしっかり寄り添っている。二人の仲は目に見えて良くなった。


 長良の話を一通り聞いた萩も目を丸くして驚いていた。


「上皇の前で峰継が? 彼にそんな勇気があるなんて知らなかったわ」


 勇気があるというより長良にしてみれば無謀以外の何物でもない。しかし、一番驚いているのはきっと峰継本人だと思う。


 再び琵琶を奏で始めた長良の背中に暖かいぬくもりが加わった。間人が長良の背中にもたれかかってきたのだ。今では正良親王も心を砕いてくださり、間人と共にいられる時間が増えた。


「いい音だね」


 長良の広い背中に耳を当てた間人は琵琶の音と長良の鼓動を楽しんでいた。


 今の間人の姿は大人の姿ではなく、龍気を取り戻す前の間人の姿である。見慣れないせいか、あまりにも神々しく綺麗すぎるせいか、大人の間人に長良はいつものように接することができなかった。何故か気が引けてしまうのだ。それを嫌がった間人が前の姿でいることを選んだ。龍気を取り戻した彼は好きなかたちでいられるらしい。


「ねえ、ナガラ」


「どうした?」


「琵琶も素敵だけど、琵琶ばかり弾いていると撥をしまう前に月が山に隠れてしまうよ」


 間人は琵琶をしまう所の隠月と月が隠れることをかけたのだ。つまり、早くしないと夜が終わり、朝になってしまうよと言いたいらしい。


(誘ってくれるじゃないか)


 この誘いを断る理由はない。長良は立ち上がると琵琶を棚に戻した。その隣には白龍から貰った太刀がおかれている。


「せっかくだから、なんかかっこいい名前を付けようぜ」


 峰継は意気込んであれこれ名前の候補をあげていたが、彼の努力も空しく今ではすっかり『壺切の太刀』というそのままの名前で通っていた。


(私は私の龍を大切にするよ)


 白龍の声は間人を取り戻してからというもの、いくら太刀に触れても聞こえてこない。しかしきっとこの気持ちは白龍に通じていると確信している。


 振り向けば間人が待ち顔でこちらを見つめている。長良が隣へ座ると間人は正面へ回って体を預けてきた。


「ナガラ」


 甘えたい気分の間人はさらに体を密にさせ綺麗な紫の瞳を閉じる。長良は身を屈めると間人の形の良いおでこに口づけた。思ったところではなかった間人は少し不満そうに長良を見返す。わかりやすい表情に長良は思わず声を立てて笑い、間人の肩を抱きよせ耳元に口を寄せた。


「間人、何か私に隠していないか?」


 長良の突然の問いに間人は首をかしげた。


「何を?」


「いつ正直に話してくれるか待っていたんだけどね。閑院での契約の事だ」


 途端に間人は気まずそうに眼をそらせた。


「あの契約はまだ成立していないのだろう?」


 長良は白龍の記憶を垣間見たとき、白龍が守護人である賢憬に契約を結ぶ場面も見た。しかし、間人が上皇や親王に見せたような光が舞飛ぶ派手・・なものではなかった。その場で長良は内心疑問に思ったのだが、間人の見せた契約の場面があれほど美しく大仰なものだったからこそ上皇も信じたのだ。そう、どうしても、殊に嵯峨上皇には間人との契約が国に無害であることを信じて貰わなければならなかった。それをよく分かっていた長良なので何も言わずやり過ごしたにすぎない。


 間人は小さく一つ溜息をついた。


「もうすこし時間が経ってホトボリが覚めたら言おうと思っていたんだよ」


「どうして契約をしなかった? 内容が気に入らなかった?」


 長良の言葉に間人は大きくかぶりをふった。


「違う!」


 そう叫んだ間人はそのあと小声で何やら言った。


「聞こえないよ」


「だから…あれじゃ駄目なんだよ」


「何故?」


『ただ、私の側にいて、共に生きよ』のどこがいけないのだろう。


「だから、それはハシトの望みだから」


 間人は照れたのか横を向いてしまった。


 どうして間人はこうも自分を喜ばせてくれるのだろうと思いつつも、龍という生き物はやはり可哀想だと思った。龍の意に沿わない事しか契約と思えないらしい。


(では私の望みは何であろう)


 政において官位を極める事。それも男として魅力あることかもしれない。現に良房は嵯峨上皇の出した条件をひどく気にしている。


「上皇は私より兄上の冠位が越えられないとお決めになりましたが、私が太政大臣になれば兄上は左大臣にまではなれるんですから」


 頑張ります、と笑う。良房なりに自分を励ましてくれるのだ。


 しかし閑院において皆の前で約束したので、ここで間人に別の事を頼むのは長良の道に反する。特に自分を信じ、間人の事まで心配してくれた正良親王に申し訳ない。


「因果な生き物だな」


 間人の頬に手を当てると間人もその上から手を添える。そして長良の言を待つように首をかしげた。もう一度同じ願いを言おうと思った長良だったが、ふと思い立った。


「間人がそう言うなら、少し変えてもいいか?」


「いいよ。どんな?」


 間人は意気込んで頷いた。


「私が生きている間は私の側にいてくれ」


「それじゃ前と変わらないよ」


 長良は笑う間人の頬から手をはずすと間人の前に座りなおした。


「それで、私が死んだ後は、私との契約は終わりだ。間人の自由に生きてくれ」


「やだよ」


 即答だった。間人はきっと今まで長良と別れる事を考えたことがなかったのだろう。しかし長良は人間で、間人は龍だ。もちろん寿命の長さも違う。長良の生きている時間など間人の寿命にしてみれば一瞬に違いない。長良の守護龍にたまたまなってしまった間人の一生を、自分との契約で縛るわけにはいかない。白龍との出会いもその気持ちを持たせる大きな要因となっていた。


 ふと気づけば雨音がしている。空が間人の心に反応して知らず知らずのうちに雨雲を作り出してしまったらしい。


「間人、雨を止めてくれないか? さっきまで星空だったのに突然雨が降り出すと、後で萩殿に間人を泣かせたと怒られるから」


 長良は笑いながら間人をなだめる。しかし間人は首を縦に振らない。


「やだよ、ハシトはナガラの傍にずっといるから」


「この契約は嫌なのか?」


「やだよ、ナガラがいなくなっちゃったら俺の生きる意味がないもん」


 きっぱりと言う間人に長良は顔が緩むのをこらえなくてはならなかったが、堪え切れず苦笑という形となった。


「では、やはりこれを契約としてくれ。間人には間人の人生を楽しんで欲しいから」


「今すぐに決めなくてもいいんだよ」


「いや、これで頼む」


 間人は撤回してくれないかな、と暫く長良の顔を見ていたが、決意が変わらないと見て取ると白龍が賢憬にやったように長良の前に跪いた。そして長良には分からない不思議な言葉を口にする。


 長良の身体が淡くひかり、その光が集まって真珠のような、輝く小さな丸い光となった。それが間人の額の中にゆっくりと納まっていく。それは長良が見た白龍の契約場面と同じものだった。


「今度こそ、本当に契約は終わったな」


「うん。終わったよ」


 胸の中が暖かい。長良は間人と心が繋がった実感がわいてきた。たが、次には笑いがこみ上げてきた。


「なにか可笑しかった?」


 間人には長良の笑う意味が分からない。


「いや、私達は上皇や親王を騙してしまった訳だな」


「そうだね、ナガラ怒られない?」


 笑う長良とは対照的に、心配そうな顔の間人の額に再び口づけると軽く引き寄せた。いつも間人の髪はしっとりとした絹の様で長良をうっとりさせる。


「怒られないよ。だって、私達しか知らないのだから」


「そうだね」


 間人は長良の手を取ると指を絡め、紫の輝く瞳で長良を見上げた。


「二人の秘密だね。これからもいっぱい二人の秘密を作ろうね」


 そう言うと間人はそっと背を伸ばし、長良の唇を自分のそれで掠めた。


「ああ」


 今度は長良から、掠めるだけでなく全てを奪うような激しさで間人を求める。間人は待ちに待っていた時の到来を全身で感じた。






 先に目覚めた間人はそっと起き上ると隣で気持ちよさそうに寝息を立てている長良を見つめた。寝ていても端整な顔には変わりがなく、規則正しい寝息も乱れがない。長良らしい、と間人は思った。しかし間人の前では普段の冷静な彼とは違う情熱的な一面も見せてくれるのも同時に知っている。そう、先ほどのように。それは今では間人の心と体にしっかり刻み込まれている。


(ナガラが俺の守護人でよかった)


 長良は間人に自由をくれた。長良の願いは自分の願いと重なるので自分の思うままに生きていいという事となんら変わらない。


『私が死んだ後は、私との契約は終わりだ。間人の自由に生きてくれ』


 付け加えられた長良の願い。初めは嫌だと思ったが、契約してしまったものは仕方がない。だから間人は考え方を変えることにした。


(ナガラがいなくなってもまたナガラと同じ魂の色を持った人を探すから)


 そう決めた。


 自由にしていいなら、間人のやりたい事をする。それはもう一度長良に会う事。


 自分くらいの寿命があれば、長良の生まれ変わりと出会うことは可能であろう。人は生まれ変わると前の記憶がなかなか引き出せない。だから間人の中に長良が強く刻み込まれているように、今の長良にも間人の記憶をいっぱい、いっぱい刻み付けておきたい。


(次に会った時に俺の事、すぐに思い出せるようにね)


 間人はもう一度長良の胸へ自分の頭を預けた。間人は長良の鼓動が好きだ。聞くとどんな時でも安心でき、落ち着ける。


 すぐにそっと間人の頭に大きな手が添えられ、ゆっくりと撫で始める。


「ごめん、おこしちゃった?」


 間人は身を起こし謝る。長良は頬笑みを湛えたまま横に首を振った。


「間人、外」


 長良に言われるまま蔀戸に目を向ける。そこには暁のやさしい色が蔀戸を彩りだしていた。


「私にとっての最高の色だ」


 間人の髪色を思わせる美しい緋色。それを長良は最高の色だと言ってくれたのだ。


 間人は微笑むと、もう一度長良の胸に顔を埋め、きゅっと長良を抱きしめる。


(絶対、いつの世もナガラと共にいるから)


 間人は心の中でそっと、その暁と約束した。



最後まで読んでくださってありがとうございました。

また次回作でお会いできることを楽しみにしております。

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