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第24話 契約

「神だ…」


 目を見張った良房が思わず呟いていた。


 そう思える程、その光の中の人は気高い気を発していた。怖くなるくらい整った白い顔とは対象的に、腰まであるつややかな髪は燃えるような緋色であった。


 長良は間人を切らず、龍気で固まって開かなかった壺の方を切ったのだ。


(龍が絶てるのであれば龍気で固まった壺を切ることが出来るだろうと考えたのだが、間違ってはいなかった)


 中の龍気まで消してしまうことを恐れて、うまく上端だけを狙い切った。


 壺の封が切られるや否や中の龍気は吸い込まれるように元の持ち主、間人へと向かって行った。龍気がもどった間人はいつもの少年姿の間人ではなく、いつか萩が言っていた大人の姿だった。これか彼の本来あるべき姿なのだろう。


 龍気に満たされた間人は光に溢れ、自信を取り戻した紫の瞳は冷たい氷柱のように今まで間人を縛していた面々へと向けられていた。


「よくも我を…」


 間人の怒りに呼応するように、急に土砂降りの雨が降り出した。今までの晴天からいきなりの大雨に、屋敷の外で警護していた者達の慌てた声が聞こえる。


「やめよ」


 長良は間人の腕を掴んだ。


「何故? だってこいつらは…」


 初めて見る神々しい間人に少し気圧されていた長良だったが、声や姿は大人のそれであっても長良へ対する口ぶりはいつもの間人のままだったことに安心した。


「やめよ、間人」


 もう一度長良が優しく言うと、間人は悔しそうに横を向いた。同時に嘘のように今まで降っていた大雨がぴたりと止む。その奇跡に一同は声にならない驚きを漏らした。


「赤龍を生かす…それが答えか、長良」


 上皇は立ち上がると胸を張った。龍の威厳に負けない様にしているのだろう。彼はいつも王者たろうと心がけているに違いない。


 良房はしきりに兄である長良を助けるようにと父へ視線を送っている。うろたえる良房とは対照的に冬嗣は静かに長良を見ていた。視線を受けた長良は冬嗣へ頭をひとつ下げた。冬嗣は小さく笑った。


「右大臣よ、息子の選択に異存はないのか?」


 冬嗣の笑みが意外だったのだろう、上皇は片眉を器用に上げた。


「我が息子、長良が選んだ道です。心配は何一つありませんな」


 長良の性格なら藤原北家を地に貶めるようなことはしないだろうと、ここはひとつ見守る結論を冬嗣は出した。ゆるぎない顔で冬嗣は上皇を見返した。


「長良の話にはまだ続きがあるようです。それを聞こうではありませんか」


 主導権の流れが変わりつつあることに上皇は面白くない顔を見せたが、再び視線を長良とその隣に立つ赤龍へと向けた。


 長良は上皇に一礼すると、そっと間人の手を取った。こちらを向く間人の紫色の瞳を、こんな時であるのに綺麗だと思わずにはいられなかった。このかけがえのない者を失うわけにはいかない。長良は力強く間人の手を握った。


「私は白龍のような哀れな龍に赤龍を…間人をしたくありません。ですから守護人であるこの手で、ましてや悲しみを知る白龍から貰ったこの太刀で赤龍を切ることなどできないのです。守護龍は守護人を守る定めですが、守護人もまた守られるだけの存在ではなく、龍を守る縁を持ちます。ですから、私は間人を守る道を選びます。しかしそれでは皆さまの懸念は払しょくできないと存じます。なので、その代わりに、今ここで、皆様の前で龍と契約いたしたいと思います」


 ほう、と上皇は声を上げた。彼の気を再び惹いたらしい。


「答えによっては謀反扱いされるぞ。どういう願いか予め口に出して申せ」


 上皇の問いに長良は微笑んだ。


「ただ、私の側にいて、共に生きよ。これ以外の願いは聞くにあたわず」


 それを聞いて驚いたのは間人であった。


「そんなことでいいの? 契約は一度きりなんだよ」


「一度きりか、それならなお良い。上皇もこの願いであれば何も問題はないと存じますが、いかがでしょうか」


 上皇は暫く黙した後に頷いた。


「良い、許す」


「さあ間人、契約を頼む。内容は先ほど言った通りだ」


「でも…」


 未だに渋る間人に長良はもう何も言わなかった。ここで契約を見せておけばもう間人が天皇家にとって害のある存在ではないことが証明されるのだ。しかも契約の内容は長良の心からの願いでもある。間人という存在の前では人々が勝手に作り上げた地位も名誉も小さく色あせて見えるし、それより何より長良にとって魂の一部ともいえる相手に出会えたことの方が嬉しかった。


 何も言わない長良に諦めたのか間人は長良の前に跪いた。


「我、天より赤龍として生まれしもの、守護人たる藤原長良の命により今契約す。以後我は藤原長良と寄り添い、共に生きることを此処に誓う」


 言い終わるや間人は長良の足先に触れ、額ずいた。同時に間人の体から虹色の光かあふれ出た。


 その七色の光は個々に部屋の中を飛び交い、色がぶつかるごとに様々な色を作り上げていく。


 最後にはまぶしい白色となりキラキラと輝きながら消えて行った。


 あまりの見事さに、目撃した全ての者がため息をついた。


 そして全ての者が契約は成立した、と信じた。冷静な上皇でさえこの奇跡を信じた。


 光の乱舞が収まると、間人は額ずいていた頭を上げた。


「契約は終わったよ、ナガラ」


 長良は静かに上皇、親王の前に跪いた。


「間人の申す通り、契約は成立いたしました。これでこの龍は先ほど申した私の命だけに龍気を使います。たとえ他の者が龍気を奪っても意味のない事となります。しかし上皇、親王をはじめ、皆様のお心を乱した罪は消えません。赤龍に関しましては私一人の責任であり、親兄弟とは無関係であります。私は官位を返上し、静かに赤龍と共に暮らしたいと思います」


 静かに頭を下げる長良の耳に自分の名を呼ぶ聞きなれた声が庭先から聞こえてきた。


(峰継?)


 庭に目をやれば先ほど間人の起こした大雨でずぶ濡れになった峰継が清里を振り切って東の対屋へ走り寄り、水たまりの中に手を付き頭を下げた。


「上皇、親王、無礼を承知で申し上げます。長良は一度も謀反など考えたことはありません。俺…いや、私も初めから赤龍に関わっていたので知っています。そんな長良に罪があるなら私も同罪です」


 上皇は突然現れて長良をかばう青年をまじまじと見つめ、隣に座る冬嗣に尋ねた。


「誰だ?」


橘氏公たちばなうじきみ卿がご子息の峰継殿でございます」


「…橘とな。嘉智子の甥だな」


 頭を必死に下げ続ける峰継の登場に長良も驚いた。これではせっかく峰継を屋敷から遠ざけた意味がなくなってしまう。峰継が上皇と親王の目線から隠れるように長良は立ちはだかった。そして再び膝を折った。


「上皇、親王、峰継殿は全くこの件には関係ないのです。すべては龍の守護人である私ひとりの責任です。ですから、官位を今すぐ返上してこの件に決着をつけたいと思います」


「長良、官位を返上するには及ばないよ」


 若い涼やかな声がした。正良親王だ。長良の前に進み出た彼の顔は先程の間人の見せた奇跡の余韻が残っているのか、目が少し潤み、頬も上気している。


「長良の龍に対する思い、家族に対する思い、よく見せてもらった。あと、峰継との友情もね」


 正良は峰継に笑いかける。峰継は恐縮して、また頭を下げた。


「もう龍は危険ではないのだし、よろしいでしょう? 父上」


 藤原北家の危機を、自分の赤龍をそこなわず救ってしまう長良は危険かもしれない、と上皇は強く感じた。生まれた時から龍が守護に付くぐらいだから徳もあるのだろう。その証拠に橘の者が藤原の為に頭を下げるぐらいだ。


 上皇とすればこのまま長良の官位を召し上げたいのだが、正良が長良を許すと言葉にしてしまった。帝王たるもの一度口にしたことは違えることは許されない。正良も次期天皇として教育は受けているのでそれは知っていると思うが、素直に長良から感銘を受けたのだろう、彼の言葉は裏表無い正良の気持ちに相違ない。


「親王がそう言うのなら。ただし」


 本当に息子の正良は優しすぎる。魅力ある者が権力の近くにいると正良がかすんでしまうかもしれない。上皇は息子の未来のために楔を打っておくことにした。


「長良、これからはそなたの弟より出世する事はかなわぬ」


 正良の言葉で救われたと思っていた冬嗣と良房は止まってしまった。やはり上皇は一筋縄ではいかない。


「赤龍はいなかった事にする。もちろん宮中での出来事も国史には記載せぬ。理由を知らない後世の者は、弟に官位を抜かされた愚鈍な兄と思うだろう。その屈辱に耐えられるならこのまま官に残れ」


「兄上はそんな事にとらわれる小さな器じゃありませんよね」


 長良が辞めると言い出さないうちに良房は口を挟んだ。これから困難な政界を乗り切っていかなければならない。そんな時、信頼できる人が欲しい。兄なら気心も知れているし、信頼できる。


 良房の言葉に長良は苦笑しつつも頷いた。


「そうか。今日は面白いものを見せてもらった。礼をいうぞ。右大臣」


 嵯峨上皇はさして感情もなくそう言うと部屋を足早に去って行った。


「大丈夫、父はああ言ったから華々しい出世は無理かもしれない。でも私に出来る範囲では力になるよ。赤龍を大切にしてやって」


 正良親王はそう声をかけると上皇の後に続いて部屋を出て行く。


「正良親王…」


 長良は正良親王の優しさが身にしみて、暫く頭を上げることができなかった。


 見送るために父や良房など続けて出ていく。陰陽師も間人を恐れながら逃げるように部屋を出た。東の対屋内には長良と間人のみとなる。


「もう大丈夫だ。間人よく頑張ったな」


 長良の隣で心配そうにしていた間人がようやく微笑んだ。綺麗な緋色の髪がサラリと揺れた。長良はもう一人、庭先で泥だらけになりながら見上げる親友に目をやった。目が合うとお互いにやりと笑った。


「バカ峰継」


 こっそり呟きながらも長良は暖かさが心に広がっていくのを感じた。



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