第20話 太刀の導き
「長良! 長良!」
朝霧の中から自分を呼ぶ峰継の声が聞こえる。他にも五、六人の男性の声もする。
「峰継」
長良も同じように叫び、朝露に濡れる林を抜けて神社の境内へ出た。峰継は長良の姿を見つけるや否や、誰よりも早く駆け寄ってきた。
「長良、今までどこに行ってたんだよ」
峰継は心配しすぎがこうじて怒りに変わったのか、長良の胸倉をつかんで叫んだ。
長良を一緒に探してくれようとしていた僧たち六人も周りに集まり、峰継を宥めすかしたり、口々に長良の無事を祝ったりする。
「すまない、すこし道に迷ってしまって」
「すこし、だあ? 一晩中迷って少しはないだろ?」
峰継は胸倉の手は離したものの、声はまだ荒いままだった。
「本当に心配させて悪かった」
長良が素直に謝ると峰継の気が収まってきたのか、声を荒げたことへバツが悪そうに顔を染めた。
「心配なんか、するか」
そう吐き捨てるように呟いて先に宿としている僧坊へと帰って行った。
「よい友ですね」
近くにいた長良の知り合いの僧が苦笑しながらも昨晩の峰継の様子を教えてくれた。真っ暗な山の中を何度も探しに行こうとし、止めるのが大変だったという。
「長良様なら無謀なことはなさらないと思いましてね。むしろ探しに出かけた峰継様の方が本当の迷子になってしまいかねませんでしたからお止めしました。でも本当に無事にお戻りになられてよかったです」
「皆様にもご迷惑をおかけしました」
ここの僧ならあの女の事も知っているかもしれないが、すぐにでもここを立ちたかったので長良は礼だけを伝え、あえて真実を言わなかった。面倒ごとは極力さけたいと思ったのだ。
しかし、結局出発は僧達の好意により用意された朝餉を断りきれずご馳走になった後だった。
与えられた一室で帰京の身支度をしている間、ようやく峰継と二人だけになる機会に恵まれた。長良は馬上の人となり話ができなくなる前に昨日の出来事を峰継に話しておこうと思った。
隣で座る峰継は半靴を履いている最中だった。腹も満たされたからか、まだ口はきかないものの、峰継の機嫌はいつも通りに戻ってるようだ。
「峰継、昨晩私は不思議な体験をしたんだ」
長良はこう切り出した。
室生山で不思議な女に出会った事。
今思えば長良の質問に何一つ答えてくれなかったので、彼女が白龍かどうかも分からないが、きっとそうだろうと長良は思っている。
峰継と逸れた後の仔細を順を追って話していった。初めは聞いていないふりをしていた峰継も作業を止め、今では口を挟むことなく神妙な顔つきで黙って聞いている。
長良は、白龍と思しき女をしばらく抱いてあやしていたところまでは覚えているのだが、知らない間に寝てしまったのか、意識を失ったのか、気づけば朝で、彼女の姿はどこにもなかった。
「代わりにこれが側にあったのだ」
「太刀か。綺麗だな」
峰継は長良から太刀を受け取る。柄には龍にも見える摺貝らしきものが入った海浦の蒔絵が細かく施されており、青滑革がついていた。
「それを手にした時、同時に、かの女性…たぶん白龍の声を聞いたんだ」
「なんて?」
「『その太刀示すところにそなたの龍あり。龍とそいとげること叶わぬ時は、その太刀で龍を断て』と」
この話を聞いた峰継は、軽くため息をつくと途端に大きく手足を投げ出した。
「なーんだ、やっぱり長良が間人の守護人だったか」
長良はどう答えて良いか分からなかった。間人の守護人であったのはとても嬉しかったが、峰継も間人の事を憎からず思っていたことを知っているからだ。きっと間人が長良にしてくれた『相手に好きだと確実に伝える行為』も峰継が彼に教えたのだろう。
峰継は何も言わない長良に声を荒げた。
「あのなあ、勝手に相手の心を慮って黙り込むのはやめてくれ。確かに間人が俺の守護龍だったらいいな、とは思ったが、長良に同情されたくはないぞ。それに」
自分を見つめる長良に峰継は真面目な表情を見せた。
「長良ならその白龍のような悲しい目に、間人をあわせないよな」
「それは約束する」
心から長良はそう言った。あの女の悲しみは今でも長良の心を締め付ける。同じ思いは絶対間人には味あわせたくない。
「そうか。それならいい」
峰継は立ち上がり、声を出しながら大きく背伸びをした。それで間人への気持ちの踏ん切りをつけようとしているのだ、と長良は思った。
「さあ、急いで戻ろうか。間人が待っているぞ」
峰継はそう言って振り向いていつもの笑みを見せてくれた。
「そうだな」
長良は思う。この峰継の明るさにどれだけ救われているだろうか、と。
長良は一度ぎゅっと峰継の肩を抱き、離した。言葉で感謝しきれない気持を込めたのだが、ちゃんと伝わったらしい。峰継は同じことを長良にして、照れたように顔をしかめた。
「今日もちゃんと俺の馬の速さについてこいよ」
ぶっきらぼうにそう付け加えたりもした。
室生の僧の見送りを受け、二人は出発した。
初めは峰継が先頭だったが、京に近づくにつれ長良が先に立った。白龍に貰った太刀に触れると行く先を教えてくれるのだ。
行く先とはもちろん間人の居場所である。
「次の辻を左に曲がるぞ」
焦る気持ちも手伝って、馬の速度が知らない間にあがっていく。たまに馬を休ませるために立ち止まるが、体を抜け、心だけが先へ先へと行ってしまう心地がした。
だんだん見慣れた風景へと変わり、羅城門を通り抜け、朱雀大路を北上する。流石に都へ入ると人通りも多く、思いきり馬で駆け抜ける事は出来ない。
長良は白龍のくれた太刀にそっと手を触れた。
「次は右だそうだ」
すでに峰継の屋敷は通り過ぎた。
「なあ、長良、このまま行くと…、いや、まだ分からないな。なんでもない」
今では同じ速さで隣を走る峰継がそのまま口を閉ざした。
峰継の懸念は長良の懸念でもあった。次の辻を左へ曲がりさえしなければ長良の心は軽くなるだろう。
(右か、あるいはこのまま真っ直ぐ行くと言ってくれ)
長良はそう願いつつ再び太刀に触れた。
「…」
くっと奥歯を噛みしめた。自分の家族は疑いたくなかった。確かに長良自身疑問は持っていたが、そうでないことを強く願っていた。
「次の辻を左、だそうだ」
長良は声が硬くなるのを禁じる事が出来なかった。それを聞いた峰継の表情もこわばる。
間違いではないかとかすかな希望を抱いてもう一度太刀に触れてみる。鈴の音のような白龍の声が再び心の中に響いてくる。結果は先程と同じだった。
「ここだ」
室生から声に導かれるままにたどり着いた場所、それは左京三条二坊。
見慣れた塀に見慣れた門。
父の住居、閑院だった。