第2話 見鬼の見立て
庭で見つけた少年を抱え峰継の部屋に入るやいなや、長良は峰継と鉢合わせた。
「急いで飛び込んできて…どうしたんだ?」
彼は六尺も背丈があり、長良も背は高い方だが軽く見上げなければならない。いつも薄茶色の瞳に人懐っこい笑みを浮かべている。笑顔だけではなく行動にも愛嬌があり、女房達に言わせれば、母性本能をくすぐられるそうだ。確かに憎めない性格の持ち主だと長良も思う。しかし今は女房達の心を攫む笑みはなく、驚きを前面に出している。
ああ、そうだった。
「峰継、先程の落雷で庭の杉に火が…」
「いや、其れより他に説明が必要な事がある。その腕に抱えているのは…隠し子か?」
長良は峰継に指差された先をとっさに隠そうとして思いとどまった。
なぜ隠そうとしてしまったのか。協力者は必要なはずだ。
(それが親友の峰継ならいいじゃないか)
そう理由づけて、長良は湧き上がるよくわからない複雑な気持ちを分析する前に封印した。
「奥の部屋を貸してくれ」
「…」
峰継は初めてまじまじと観察した。そして顔を固くする。くったりと力なく長良の腕に抱かれる童子の異常さにどうやら気づいたらしい。
「どうするんだ?」
かすれ声で峰継は尋ねる。
「とりあえず傷の手当てだ。湯ときれいな布が必要だな。手配してくれ。それと…童子の服があればそれも。新しいのに変えてやりたい。後は…」
「まて、まて、長良」
矢継ぎ早にいくつも要求を出し、奥の部屋に移動する長良を追って峰継は慌てた。
長良は童子を寝台に横たえると手際よく傷の具合を調べる。かすり傷はたくさんあるが致命傷になるような大きなけがは一つもない。
童子は眉間にしわをよせて苦しそうにしているものの、先程よりは顔色もずっと良くなっているし呼吸も整ってきている。長良は持っていた懐紙で童子の額で光る汗をぬぐってやり、乱れた髪を整えた。
「よかった。これなら大丈夫だ」
長良は笑顔で峰継を振り返るが、その先の顔はひきつっている。
「なんだ、ぼうっと突っ立ってないで、早く頼んだものを持ってきてくれ」
手を振って長良は急かしたが、峰継は全く動こうとしない。
長良は一息ついて真顔になった。
「さっきの落雷は彼が関係していると思う。多分人間ではない」
「…だろうな。頭に二つ角みたいなものが出ているし、髪も真っ赤だ」
「だから私達で彼を助けよう」
「どうしてそうなる?」
峰継は素っ頓狂な声を上げた。
「異形の者は心ない人間に見つかったらどんな仕打ちをうけるか判らない」
長良は自分に笑ったような気がしたから、などという今冷静に考えれば我ながら気恥ずかしい動機は心にしまい込み、峰継好みの理由を挙げた。
「こうして人の前に現れたということは、何らかの理由があるに違いない。その理由を私達で探ってみないか?」
峰継の表情が和らぎ、目に興味の色が湧く。もう一押しだ。
「私達の秘密ということだ」
峰継は、もういつもの彼に戻っていた。
「秘密、ね。ま、いざマズいことになっても『右大臣の息子』や『皇太后の甥』という立場を利用出来るしな、どうにかなるか」
峰継得意の楽天さも顔を出す。長良は軽く肩をすくめるしぐさをした。
これで一つ道が開けた。
峰継は湯を取りに行き、その間に長良は黒丸を呼んで使いを頼んだ。
暫くして桶になみなみと注がれた湯を持って現れた峰継に長良は軽く頭を下げた。
「私達の秘密だと言っておきながらすまないが、一人助っ人を呼んだ。これは人知外の問題でもあるからな」
長良は峰継から湯を受け取り、布を浸してきつく絞ると童子の体を綺麗に拭いていく。
「いつもながらお早いことで。で、誰なんだ? 信用できる奴だろうな」
長良の手際の良さに手伝う隙を見いだせず、峰継はただ隣で見ている。その間にも長良は丁寧に童子の体に付いた汚れを除いていく。
「もちろん信用できる相手だ。萩殿だよ」
「でーっ、あのうるさばばぁかよ」
「そんなこと言うとまた酷い目にあうぞ。萩殿は私と同い年なんだから、お前より二歳年上なだけだ」
「二十三歳だろ、ばばぁで十分だぜ」
「よぉく言っといてやるよ」
「やめてくれ」
本気で嫌がる峰継を目端に捕らえつつ、拭き終わった体を新しい着物で包む。
本当に綺麗だ。緋色の髪が白い肌を浮き上がらせさらに透明度を増して見せさせる。
「綺麗だな」
峰継がそう言ってため息をもらす。長良は心を読まれたと思い、一瞬動きが止まった。そして考える。なぜ私はこの童子を素直に綺麗と思う事や言う事を躊躇うのだろうかと。
ためしに言ってみようと思ったが、結局言葉に出来なかった。
「まあ珍しい」
挨拶もそこそこに長良が呼び出した相手、萩は部屋に入るなり寝台の隣の席を陣取った。
彼女には『淵子』という歴とした名前があるが、秋の、萩の花が庭いっぱいに咲きこぼれる時に生まれたので、屋敷の者は本名ではなく『萩』と呼ぶ。長良も峰継もそう呼んでいた。
萩は長良の家令、難波正規の妹であると共にこの童子が何者か判る人間、異形の者の姿が見える見鬼なのだ。峰継などは「ババ」というが、気立てがよく知的なきらめきを放つ大きな黒い瞳に、柔らかで健康的な唇を持つ彼女に懸想する男は後を立たない。だが今のところ決まった人はいなさそうだ。正規いわく、結婚を進めてもすぐ断ってしまうらしい。さばさばとした性格なので、長良は恋で思い悩む萩の姿は想像できない。
長良と峰継はそんな彼女の寝台を挟んだ反対側に立ち、萩の一挙一動に固唾を呑んで見守る。
急に萩は俯き、肩を震わせた。
「何かあったのか?」
長良と峰継は顔を見合わせる。かなりまずいものなのだろうか。
「…くっくっくっ」
「あっ萩ババ笑ったな!」
「あっはっはっは。二人のこんな真面目な顔、久しぶりに見させてもらったわ」
「なんだと、人が真面目に…」
峰継は萩に詰め寄ると萩も腕を上げ、応戦の構えを取る。
「はいはい」
この三人が揃うと長良はいつも仲裁役だ。間に割って入り二人を元の位置に戻らせる。
「珍しい、とはどういう事だ?」
長良の問いに萩はこの状況をもう少し楽しみたいのか、もったいつけてすぐ話そうとしない。峰継はとうとう痺れを切らした。
「萩ババ、もったいぶらずに早く言え。角があるこいつは鬼なのか?」
「峰継、二つとも間違いよ」
「二つ?」
峰継はきょとんとした顔をした。
「彼は鬼ではないし、私もババではありません。長良だけに教えて差し上げますわ」
萩は慇懃丁寧に峰継に微笑むと長良を手招きする。他の人がいれば立場上萩も「長良様」「峰継様」と呼ぶが、三人になると小さい頃からの遊び仲間のよしみで呼び捨てだ。
長良は同い年だが、女の子の方が成長も早く萩の性格が姉さん風を帯びていたので昔から「萩殿」と呼ぶ。峰継はだいだい長良にならって「萩殿」か「萩ババ」である。
萩はにやりと峰継を一瞥すると、傍に来た長良の耳元に片手を添える。
「あっ、長良ずるいぞ」
「おまえが余計な事を言うからだろ。聞きたいなら、ほら謝れ」
暫くの間はあったが知りたい欲求には勝てなかったのだろう、峰継は深く頭を下げた。
「…すいませんでした。美しく気高い萩殿」
「仕方がないわね」
萩は満更でもない笑顔で微笑むと、簪の飾り細工が軽い音を立てた。
「彼は龍よ」
萩の表情から今度は本当のようだ。
「りょう…って三停九似の相がある…あれか?」
長良は信じられないという様に童子を見つめる。
「そう、雄の赤龍。白龍と青龍は見た事があるけれど、赤龍は初めて見ました」
「っていうか、そんなに龍っているのか?」
峰継はそちらの方が疑問らしい。
「沢山はいないわよ。私も今回で三回目。龍が人の姿をとっている時は完全な人間の姿をしているから、いたとしてもなかなか判らないのよ」
「この子は龍の子供なのか?」
「子供ではなくて、大人の姿になり切れていないと言う方が正しいわ。まだ髪が赤いし、角も完全に消えていない。龍気を半ば奪われてしまったようね」
長良は思い出す。童子を抱えた時、たしか「畜生」と呟いていた。彼の力が何者かに狙われ、逃げきれず奪われたという事か。
一体誰に。
「では、龍としての力を失っているという訳だな」
「このままでは失うでしょうね。今は力を中途半端に奪われた事によって、彼自身の力を自分で抑えきれない状態ね。龍気がどんどん流れ出ているわ。今は気を失っているからいいけれど、起きて、もし暴れられたりしたら大変なことになる」
「たとえば?」
「帝都炎上は確実。怒りに駆られた龍の吐く火は厄介よ。水をかけても消えないから」
長良は先程の落雷による火事を思い出した。雑色達が水をかけてもなかなか消えなかったのだ。やはりこの童子が関わっていたのだと確信する。
「でーっ、あっ、マジかよ。どうしよう長良?」
起きられてはまずいと思ったのか、峰継は途中から声を潜めて長良を振り返る。萩とは小さい頃から付き合っているので、話の内容が幾ら突拍子がなくても今の言い方で彼女が本気だということが解ってしまうのだ。その為、また彼は先程の不安な表情に戻ってしまった。
「では、その力を奪ったのが何者か調べよう。龍が追えるのだからきっと萩殿のような鬼見か陰陽師か、その類だろう。目的は分からないが、今回奴らは結果的に赤龍を捕まえる事に失敗しているからこの龍をまた狙ってくる可能性が高い。彼らが動くのをこちらも狙おう。それより赤龍が目覚める前に彼の力を抑える事は出来ないだろうか。人生の終わり方が焼死とはぞっとしないからね」
長良は事も無げに淡々と言った。その方が峰継に落ち着きをあたえると思ったからだ。萩は頷いて少し考え、ふと思い出したように長良を見つめた。
「抑えられる人がいた」
「誰だ?」
峰継がひょいと萩の顔を覗き込む。萩が照れた、と長良は一瞬思ったが、次の瞬間、萩は峰継の顔を掴み、ぐいと長良の方へ向けた。
「長・良、よ」
「いててて。は、長良?」
長良もまさか自分の名前が出てくるとは思っていなかったので、目を見開く事しか出来なかった。
「正確にいえば長良の首に掛かっている琅かん」
「私の…」
彼は首にいつも掛けている琅かんを掴むと襟の外へ出した。透明感ある明るい緑色をした勾玉型の翡翠である。長良が生まれた時、父が魔除けとして掛けてくれた物であった。これは父冬嗣も彼の母、百済永継から冬嗣の兄の真夏と対で貰った物で、彼女も彼女の父から譲られたという代々伝えられてきたこの玉は、母方が渡来人の家系からして大陸から渡ってきたのだろうという代物であった。長良もよほどの事がない限り外した事がない。いまや綺麗に晴れ上がった外の光の方へ翳すと、さらに緑色が明るくきらきらと輝きを増した。
「翡翠には気を保つ力があるの。しかも長良の琅かんは代々伝わってきただけあって石自体に秘めた力が強い。この子が身に付ければ、流れ出ていく龍気を留める事が出来るようになるから落ち着くと思うわ。琅かんの力が効いているうちに本物の龍気を見つけましょう」
長良はこの翡翠を漠然と、いつか生まれてくるだろう子供に渡すと思っていたが、今考えればこの為に自分の所に来た気がする。
迷わず長良は、今はおとなしく寝ている童子の華奢な首に掛けた。
途端に赤龍の赤い髪は黒色に変わり、少し出ていた角も引っ込む。流石に龍気が足りないのか子供の姿のままだったが、整った綺麗な顔を除けば黒丸などのそこらの童子と何ら変わりが無い。その変化に萩はこれでひと安心といった様子でうなずき、彼女の様子をみていた峰継の口から安堵のため息が漏れた。
「次は龍気を奪った者の特定だな。…といっても此処では判らないか。情報が欲しいな」
長良はため息をつき、屋根裏の梁を見つめた。
「今出来ることは?」
長良は上を向いたまま視線を萩へと向ける。
「ここには龍気が充満していて捕まえてくださいと言わんばかり。人目につかない内に早く赤龍を移動させましょう」
「でも何処に?」
「いい場所があるわ。長良、あなたの屋敷よ。最近閑院を出て、めでたく自分の屋敷を持った長良の所ならいつでも目が届くし、私も峰継も出入りしやすいし」
従五位下の長良は最近父母が住む閑院を出て自分の新しい屋敷を構えたのだ。
昔、たまたま父と屋敷の話をしていて、いつか自分の思う通りの屋敷を建てたいと軽い気持ちで語ったことがあった。
「やればいいじゃないか」
従五位下に叙せられた時、父がその話を覚えており勧めてくれた。自ら図面をひいて閑院を建てた冬嗣には、自分の住む屋敷は好きなように建てたいという気持ちが分かるのかもしれない。
しかし、長良はいつからか父や母が、自分に何か気を遣っているのではないかと感じる様になっていた。長男である自分は父の閑院をついでもおかしくないのだが、理由は分からないにせよ、両親に気を遣わせたくはなかったので、父の勧めに乗って閑院を出る事にしたのだ。
「長良の所なら安心だが、他の者達に気づかれずやれるのか?」
「そこで一つお願いなの」
萩は両手を顔の前で合わせ、片目で二人を交互に見た。
「兄、正規には話して欲しいの。私は閑院の美都子様付きの女房でしょ、いつも側にいる事はできないし。また具合の悪い事に黒丸が私を迎えにきた時、たまたま閑院に兄が別件で来ていたの。ほら、兄は長良の事で知らない事があると不機嫌になるじゃない。私はここに来るまでどうして呼ばれたか知らなかったから説明できないし、呼びに来た黒丸に尋ねても知らないと言うし。でも兄は何か隠していると思って、すでに閑院で機嫌が悪かったわ」
「あー、正規は寝ても覚めても長良、長良だからな。自分の妻よりも、もしかしたら妹よりも大切に思っているかも。愛されてるな、長良」
峰継は面白がって囃し立てる。長良はそんな彼を軽くにらんだ。
「彼の忠誠心をそんな風に言わないでくれよ。正規が手伝ってくれれば確かに心強いが…」
長良は峰継の顔を伺うように見た。
「俺は構わないよ。長良が絶対話すなと言えば墓場まで持っていく御仁だからな。本当、愛してしまった方は立場が弱くなるとはよくいったものだぜ、なあ長良」
「だーかーら、その意味ありげな言い方はやめろ。人聞きが悪いだろ」
長良は峰継の耳を引っ張ってやった。面白がって萩も参戦する。そんな三人のじゃれあいの中、寝台の上で、すみれ色の瞳がうっすらと開いた。