第15話 室生へ
屋敷に帰宅した長良は、すぐに目の前に広がる状況が良く飲み込めなかった。
まず、対屋の一つが全焼していた。
けが人はいなかったようだが、消火に当たった人々は、
「あそこには火の気は無いはずなんですが急に火の手が上がって…」
「火を消そうと水をかけても一向に消える気配をみせん、不思議な火でした」
と、口々に告げた。
長良の鼓動が急に早くなる。
(間人の出した火だ)
峰継の屋敷で初めて間人と会った時も水では消えない不思議な火を見た。
とりあえずそのものたちにねぎらいの言葉をかけ、引き続きの後処理を指示した。逸る気持ちを抑えかねつつ母屋に入ると、萩が神妙な面持ちで座っていた。そして、その隣には彼女の物らしき荷物一式が置かれていた。
そして彼女から少し離れて、先に着いていた峰継も普段めったに見せない真面目な顔で腰を下ろす。
部屋の隅では小春が泣いていたが、長良が入ってくると、さらに激しく泣き始めた。
かるく見渡す限り間人の姿は、ない。
とりあえず一つ一つ理解しようと、少しの間瞳を閉じて心を落ち着け、口を開いた。
「小春、とりあえず泣き止みなさい。しばらくしたら話を聴くから、自分の中で整理しておいてくれ」
「…はい」
小春はしゃくりあげながらも素直に頷く。
「次に萩殿、これは?」
萩の隣の荷物一式に目をやる。
「美都子様からの命令なの。『長良の屋敷には人が少なすぎると前々から思っていた。適当な人を探していたけれど、気の知れた人の方が長良もいいだろうからお前が行きなさい』と仰って」
「母が? 今日、いきなりか?」
「ええ」
確かに人は少ない。だが、何故、今、この時期なのだろうか。しかしすでに来てしまったものは仕方がない。萩がいつも身近にいてくれれば心強いのも確かだ。
「そうか。では後で部屋を用意させよう。そして…峰継は?」
峰継は少し俯いたが、複雑な表情は崩さない。
「俺は、その…ここに正子妃の壺がないか見てくるように言われたのさ」
「ちょっと、峰継! どういうつもり? もしかしてあんた、間人も…」
今にも峰継に詰め寄りそうな萩を長良は何とか抑えた。
「逸勢殿に頼まれたのか?」
「なんだ、長良は正子妃にその壺を渡したのが逸勢殿だって知っていたのか」
長良の出した名前に見開かれた峰継の眼はすぐに自傷の笑みにとって代わる。
「自分の叔父貴の事なのに俺はそれをつい先ほどまで知らなかった。…中身が龍気だってことも」
「壺の出所を知ったのは私も先程だったよ。残念ながら壺はここにはない。峰継が分からなければ龍気のありかは私も分からないんだ」
自分で言いながら、現実の深刻さを再認識させられた気分だった。峰継も肩を落とす。
「そうか。壺探しの為にここへ来たら、屋敷が燃えているじゃないか。正規も見当たらないし、車もまだ外にあったから長良を呼びにいったんだ」
話し終えた峰継は一つ長いため息をついた。
「わかった」
ようやく長良は、本当は最初に聞きたかった質問を口にすることにする。
「間人は?」
途端に泣き止んでいた小春が再び泣き出してしまった。
「…その…昼までは、ちゃんと…庭で…」
小春の要を得ない話をまとめると、間人は遅い朝餉を済ませた後、少し横になり、そのまま寝息を立て始めたそうだ。
手持無沙汰になった小春が自分の用事を済ませようと目を離したほんの短い間に間人は部屋からいなくなっていた。しかし、その時はいつもの様に庭に出て遊んでいると思い、間人を探しに庭に下りてみた。これほど大事になるとは思っていなかったので、すぐ見つかるとその時の小春は思っていたそうだ。
「そうしたら対の屋から火が出たのが見えて…」
小春は驚いて正規を呼びに行った。消火に屋敷中が大騒ぎになっている時に萩がやってきて、間人の姿が見えないことを指摘し、そこでやっと間人が屋敷の何処にもいないことに気づいたらしい。
正規は今、間人を探しに外へ出て行っているということだ。
「小春がよくやってくれていることは知っているから、そんなに泣かなくてもいい」
長良はそう慰めたが、小春はさらに大泣きを始めてしまった。
「萩殿は間人の龍気を感じ取れるか?」
「いいえ。琅かんが外れればわかるかも知れないけれど、今の所その気配はないわ」
萩がわからなければ、間人の行方はここにいる誰にもわからない。
小春以外、皆沈黙しているところに正規が帰ってきた。泣いている小春を一喝し、泣きやませてから、長良の前で土下座した。
「申し訳ありません。私の不徳のいたすところです。辺りを探してみたのですが、見つけることができませんでした」
「正規が自分を責めることはない」
長良は正規の腕を掴み立ち上がらせようとしたが、彼はなかなか顔を上げようとしなかった。長良は決して人を責めない。正規はそれを知っている。しかし、だからといって長良に甘えていい訳はないと正規は考えているのだ。
(ここで取り乱しても間人が帰ってくるわけではない。何か出来ることはないか)
本当のことを言えば長良も叫びだしたい。探しに外へ飛び出してしまいたい。だがこういう時こそ冷静でいなければ事が進まない。皆が長良の指示を待っているのだ。焦燥感を抑えるために長良はくっと瞳を閉じる。そのまま少し考えた後、長良は静かに口を開いた。
「萩殿、前に龍を見たことがあると言っていたね」
「ええ、貴船と室生あたりで」
「では此方に移って早々済まないが、貴船に行って龍を探してきてくれないか。私は室生をあたろうと思う。あそこには顔見知りの僧もいるし」
「龍を探してどうするのさ?」
峰継は、長良の気がふれたのかと言わんばかりの顔をした。
「間人がどこにいるか分からないと言って、何もしないのは芸がないだろう。だったら、だめもとでいろいろな可能性に懸けてみようと思ってね。龍のことは龍に聞け、と考えたのだが」
峰継は、長良のとっぴな考えに面食らっているようだが、萩は力強く頷いた。
「そうね、できることはやってみましょう。あと、神泉苑もいわば都の龍穴にあたるから寄ってみるわ」
「すまない」
どんどん話が進んでいく様子に、たまらず峰継が口を挟んだ。
「まて、萩殿以外は龍気が分からないのだぞ、どうやって龍を探すんだ?」
「峰継の心配はもっともね」
萩はまぶしいものを見るように目を細めて部屋のあたりを見回した。
「あった! 間人がよく着ていた衣ね。うん…これならいいわ、まだ少しだけど龍気が残っているから。もしかしたらそれに他の龍が反応してくれるかもしれない」
「そうだといいな」
長良は萩から受け取ったそれにそっと手を乗せ、撫でるように少し滑らせた。
「俺も室生へ一緒に行かせてくれ」
峰継は立ち上がり、長良の近くへやって来た。長良は横に首を振る。
「できれば萩殿と一緒に貴船へ行って欲しいのだが」
「いや、長良について行きたい。話したいこともあるし」
峰継は伏目がちだが、意志の強い口調で言った。
「では共に行こう」
程無い沈黙の後、長良はそう頷いた。峰継も頷き返す。
長良はまだ頭を下げている正規の肩を二度程軽く叩いた。
「そういうことになったので、萩殿に護衛をつけてやってくれ。正規には俺達が留守の間の対応と、何かあったら知らせをよこす役目をしてほしい。状況を把握する細やかな仕事は正規の得意な事だから、是非ともお願いしたい」
顔を上げた正規に長良は涼やかな笑顔を見せた。正規の顔にようやく血の気が戻る。
「小春も正規を助けてやってくれ」
今では泣きやんだ小春もしっかりと頷く。これでそれぞれの役割はきまった。
漸くお互いの思いが通じあったばかりだったのに。間人も長良の傍にいたいと言っていたのに。無理やり連れて行かれ、間人はさぞ心細い思いをしていることだろう。
(間人、無事でいてくれ)
長良は手の内の主のない見慣れた衣をきゅっと握りしめた。