第13話 君がいる朝
間人を取り戻した翌朝、萩は居ても立ってもいられず、兄への用事をでっち上げ長良の屋敷へ来てしまった。
もちろん初めに出迎えた兄の正規はいい顔をしなかったが、文句を言わず部屋へ通してくれた。
「萩殿ならきっと来ると思ったよ」
そう言って長良は萩の待つ部屋へと入ってきた。すっかり出仕支度を整えているが、現れた長良を見て、萩は思わず声をあげてしまった。
「よかった! 間人と仲直りできたのね」
突然挨拶もなしにそう言われた長良は一瞬だけ気まずそうな表情を浮かべた。
「萩殿、その意味ありげな笑みをやめてもらえないかな」
「えっ?」
長良の指摘に萩は咄嗟に両手の平で自分の頬を覆った。
萩にしてみれば、長良が部屋に入ってきた途端、分かってしまった。
彼から漂うかすかな龍気。
着物に炊きしめた香のかおりが隣人の服に移るのとは訳が違い、普通の人間には持ちえないそれは龍と少なからず関係をもたないと人には移らない。
(私ったら、はしたないわ)
そう思いながらも、間人の気持ちを知っている萩には嬉しかった。彼らがそこまでうまくいった事に。そして少し兄をかわいそうに思った。
(あんな兄の複雑そうな顔を見ちゃったら、妹として同情しちゃうわよね)
それは昨晩、長良が間人を抱えて戻ってきたその時である。
萩は兄の正規が間人をにがにがしく思っているだろうことは安易に想像できたし、実際そうだった。兄にとって、あの夜間人は出て行ったまま見つからなかった方がよかったのだが、間人を抱えて戻ってきた長良が喜ぶ顔を見せる手前、長良に嫌われたくない正規はどの顔をしていいか分からなくなってしまったのだろう。
同情するが、同時に笑いも禁じえないのも事実だ。
(兄さんも報われないなあ。とはいえ、私も人の事は言えないから、そういう星の元に生まれた兄妹なのかもね)
ため息をつく萩だったが、軽い足音と共に現れた姿でため息は自然と笑みへと変わった。
「間人!」
その声を合図に間人は駆け出し、萩に飛びついた。
「ごめんね、ハギ。心配させちゃったみたいで」
「元気そうでよかったわ。おかえり、間人」
「うん、ただいま」
満面の笑みで頷く間人に、今度は萩から抱きしめた。
「苦しいよ、ハギってば」
もがく間人に長良は笑いながらも暖かい眼差しを向けている。
「間人が見つかって、本当によかったわね」
萩の心の底からの言葉に長良も素直にうなずいた。
間人がいる朝。今まで当たり前に思っていたが、こんなにかけがえのない事だと気付かされる。きっと長良もそう思っているに違いない。
「小春も昨日はお疲れさま」
萩の労いに間人と共に現れ、後ろで再会を見守っていた小春も満面の笑みで頷き返した。
「小春、悪いが人払いを頼む」
「わかりました」
長良に一礼をし、小春は静かに部屋を出ていく。
「萩殿、昨日の話だが」
長良は少し声を落とす。
「ええ」
「間人は五色の糸に巻かれた壺の中に龍気があるのを見つけたのだが、気持ち悪くて近づけなかったそうだ」
「うん、すごく気持ち悪かった」
「まあ、それは龍のことを結構知っている者の仕業ね。龍は苦手なものが結構あるのよ。五色の糸はその一つ」
かわいそうに、と萩は隣に座る間人の頭を撫ぜた。
「そうこうしているうちに衛士に囲まれて、幻覚をみせて彼らを巻いたそうだ。だが、それで力を使い果たしてしまったらしい」
「本当に初めに長良に見つけられてよかったわね。運命を感じるわ」
萩はまた、今度は意図的に、長良へ居心地を悪くさせる笑みを浮かべて見せた。それを黙殺して長良は続けた。
「私は見ていないのだが、間人は大人の姿になっていたらしい。龍気を取り戻していないのにどうしてだろう? しかも、小春は間人がまだここにいた時からすでにその大人の姿だったと言っていた」
萩は今ではすっかり見慣れた姿に戻っている間人の整った顔を見下ろす。
「うーん、やっぱり月の仕業じゃないかしら。昨夜はとても綺麗な満月だったわね、大きくて、怖いくらいに」
「そう、ハシトもあの月を眺めていたら、なんだろう、こう、腹の底から湧いてくる物があって、何でも出来るような気になったんだ。同時に自分の龍気の場所もすぐ分かったし」
最後の方は声が小さくなる。間人は眼で長良に謝った。長良もそれに気づき、小さく首を横に振り萩に視線を移す。
「しかし萩殿、今までにも満月は何回かあったが」
「月の波長で龍気が左右されるんじゃないかしら。今までの満月にも同じ事がおきていたとは思う。ほら、前に間人が時々間接を痛がっていたって言っていたじゃない。満月に近づくと月の力が強くなる。そこに間人の首に掛っている琅かんの力が加わって龍気を増し、元の姿に戻る過程で痛がっていたのだわ。昨晩は特別強い月のせいで龍気が一気に増幅。一時的に大人の姿、まあ、本来の姿というべきかな、になったんじゃないかしら」
「原因は昨晩の大きな月か。月に左右されるということは、やはり龍気を取りもどさないと元には戻れない訳だな。その壺は正子妃の部屋にあったそうだ」
「まあ、ということは…」
「間人は近づけなかったから龍気はまだそこにあるのだろう。多分、橘氏が絡んでいると思う」
「そういえば峰継は昨日の騒ぎ以来、ここへ来た?」
「いや、来ていない」
「事件を知らない訳は…ないわよね。思えばここ最近、峰継はあまり龍気探しには積極的ではなかったわ。きっと何か都合の悪いことを知っているのね」
「彼とは一度しっかりと話をしなければ、と思っている」
「長良はこれから出仕ね」
「ああ。あれから宮中がどうなったのかも知りたいしな。だが」
言葉を切った長良は視線を間人へ向ける。
「間人を置いていくのが心配なのね?」
「小春に四六時中共にいるようにとは言ってあるが、やはりな」
「ハシトはもうどこにも行かない。絶対!」
萩の隣にいた間人は長良の傍へ行き、彼の手をきゅっと掴む。長良はそれに答えるように微笑んで間人の手を二、三度軽くぽんぽんと叩いた。途端に間人の顔に明るさが戻る。
二人の打ち解けた様子に、萩にも自然と笑みが浮かぶ。だが、その二人の仲を引き裂くように戸の外から出仕の時間を告げる兄の声がした。
長良と共に萩も立ち上がる。
「では、宮仕えが終わったら閑院へ知らせて。私も夜には長良の屋敷に行ける様に手はずを整えるから。峰継も呼びましょう。今日こそは峰継を問い詰めてやらなきゃ、ね」
萩は嬉しそうに両手にこぶしを作って見せた。その様子に長良は苦笑する。
「峰継は呼ぶとしても、頼むから、手加減してやってくれ」
「それは峰継次第ね」
当然、という顔で萩は答えた。