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第11話 妖騒動

 東宮御所では観月の宴がたけなわである。


 月は宴に申し分ないほどに中天で輝き、楽の才がある正良親王は、自ら作った曲を長良はじめ、集まった臣下に披露していた。


「なにか騒がしいですね」


 良房は共に合わせて吹いていた笙をやめた。長良も横笛をやめる。他の者も何事かと息をひそめると、人の走り回る音や武器の触れあう高い金属音、女官の悲鳴が途切れ途切れに風に乗って届く。


 仁寿殿の方からだ。これはただ事ではない。


「親王、すみませんが」


 長良の言に正良も解ったと頷く。


 宿直の者もいるだろうが、やはり侍従として放ってはおけない。長良は急いで立ち上がると仁寿殿へ向かうため部屋を出た。気づけば良房も後ろから付いて来る。部屋には二人と入れ替わりに東宮帯刀が入っていった。正良を守るためだろう。


 もちろんの事だが宴は中止となった。


「賊だ、賊がはいったぞ」


 仁寿殿へ近づくにつれ、そんな声が聞こえてきた。


「どのような賊がはいったのですか」


 長良は淳和天皇を守っている近衛に尋ねる。近衛は立派に蓄えた髭を不安げに触った。


「人ではない、あれは人ではなかった」


「では何だというのか」


「いや、姿は人だった。だが、髪が見たこともないくらい真っ赤なのだ。体も眩い光を放っていた。きっとあやかしだ、あれは」


 近衛は立派な体躯とは真逆のおびえた瞳でそう言った。


(赤…)


 いやな予感がする。


「正子の部屋に向かったようだ」


 淳和はいつものくぐもった声で呟く。それを聞いた良房はすぐに走り出した。長良は良房の後を追うように正子の部屋へ向かう。


 正子妃は入内され、今ではお腹に淳和今上の御子を宿している。


「長良」


 渡り廊下の途中で名を呼ばれる声がし、その声の先に萩がいた。彼女に手招きされ、庭の物陰に入る。良房は気づかず先へいってしまったようだ。


 萩のその手には見覚えのある琅かんが握られていた。


「やはり…間人か?」


 萩は頷き、小春から聞いた話を手短に説明した。


「奪われたものを取り返す、と言ったのか」


 もちろん龍気の事であろう。それが間人の向かった先、正子妃の所にあるというのか。


 正子妃といえは橘嘉智子所生の娘。橘逸勢も彼女の元に足繁く訪れていると聞く。


(龍気の件に、やはり橘氏と関係があったのだ)


 峰継にいつか問いたださねばならないと思いつつ、忙しさにかまけて先延ばしにしていたことが悔やまれる。


(ちゃんと解決しておけば、間人が宮中まで乗り込まなくても済んだのに)


 間人の機嫌が悪かったのも今となっては分かる気がした。なかなか龍気のありかを見つけ出せない自分に苛立っていたに違いない。


 しかしこうなってしまった以上、自分の出来る最大限の事を間人にしてやりたい。


「萩殿、間人の龍気は感じられますか?」


「間人が残した龍気なのか、間人本人の龍気なのか、今は宮中に強い龍気が満ち満ちていて、間人がいるかいないかさえ解らないの。ごめんなさい」


 すまなさそうに謝る萩に長良は慰めるように首を横に振った。


「宮中にいる可能性が高いのだろう?」


「この龍気の強さからすればいてもおかしくないとは思うけど」


「では私はとりあえず今の宮中の状況を調べてくる。萩殿は何かあった時に内裏からすぐ出られるように車を用意しておいて欲しい。そうだな、達智門の近くがいいな。それが終わったらその門の付近で落ち合おう。やはり人外の間人を探すには萩殿の見鬼の能力ちからは必要だ」


「わかったわ」


 萩は頷き、琅かんをそっと長良に手渡した。


「きっとあなたのことを待っているわ、間人」


「そうかな」


 自分を責めている長良は自称気味に笑うと首をかしげた。


「絶対そうよ、あなたなら必ず見つけられるわ。あなたがしなくて誰がするの?」


 萩の決めつけた、思わぬ強い語気に長良は驚いたが、同時に納得もした。


(そうだ、私がしっかりしなくては間人にあわす顔がなくなる)


 今度はしっかり頷くと萩も安堵の表情を見せた。長良は萩といったん別れ、騒ぎの方へと走っていった。


 正子の部屋へ先に到着していたはずの良房が廊下をこちらへ歩いてくるのが見えた。彼には珍しく緊張のおもざしを浮かべている。


「良房、正子妃にお怪我などは無かったのか?」


 長良が良房に声をかけると、彼はとても驚いた表情を見せたが、それは一瞬で、すぐにいつもの如才ない表情に戻った。


「もう騒ぎは終わってしまったようです。今夜はこちらでお休みになられるのを正子様が怖がりましてね、部屋をお移りになるそうですよ」


 いきなりの、しかも得体の知れぬものに襲われては年若い正子妃がそう思われても当然だろう。


「私はもう戻ります。近衛の話が本当ならば衛士ではなく僧や陰陽師を呼んだ方がいいのかもしれませんね」


 そう言って良房は元来た道を帰って行った。長良は少しの違和感を持ちつつその背中を見送る。長良はまだ良房と共に戻る訳にはいかないのだ。


 はじめに向かった南庭の方では衛門府の官人や衛士達が松明を手に集まっていた。あたりには緊張感が漂い、この様子からするとまだ間人は捕まっていない様だ。


 長良は安堵のため息をつく。


「物の怪はここにはいないようだ。検非違使を動員して捜索範囲を広げる」


 そんな声が耳に入り、長良は闇に身を紛らわせた。いつの間にかあんなに美しかった月が雲にかくれている。


 間人はどこにいるのだろう? 


 何としても誰よりも先に彼を見つけなければならない。それが今、長良にできる精一杯の事だから。


 長良は萩との待ち合わせの門へ急ぐ。


(間に合うだろうか。先に見つけられるだろうか)


 答えのない自問自答が胸を駆け巡る。


 萩がいなければ間人がどこにいるかもわからない自分。一人では間人の為に何一つできないことを思い知らされて、長良は知らないうちに下唇を噛んでいた。今まで何か出来ると思っていた自分に腹立たしくさえもある。


 しかし今は間人を探すことが先決とすぐに思い直した。


 門へ向かい走っているうちにだんだん冷静になっていく。


(実際、その気になれば龍気探しに着手できたのではないだろうか)


 日々の仕事が忙しい。そんな理由は周りへの、自分への単なる言い訳だった。


(すぐに龍気を探さなかったのは、間人がいつまでも自分の側にいて欲しいという、ただの独占欲からだ)


 長良はようやくはっきり認めることができた。いや、もう間人に初めて出会った時から分かっていたのだが、自分に嘘をついていたのだ。


 長良は苦笑を漏らすと自分に言い聞かせた。


(今度こそは自分の気持ちにしっかり蓋をしめて、間人の為に最大限の時間を割こう)


 龍気探しを何事においても優先する。だから…


(今回だけは一番先に間人を見つけさせてください)


 神にも祈る気持ちであった。




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