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第10話 金鏡の庭

 明るい庭に誘われて小春は着物をたたむ手を止め、縁側に出た。


(なんて綺麗な満月なのかしら)


 雲ひとつ無い群青の空で眩しい程に輝いている。屋敷の主人である長良は今頃宮中でこの月の元、小春が想像もつかないような雅な宴を行っているのだろう。


 歌の才能が無いのがこんなに悔しいものかと小春は初めて思った。いや、なにか思いつくかもしれないと考えてみたが、すぐにやめてしまった。つまらない事を言っては満月に失礼と思ったからだ。


 小春はそのかわりにそっと両手を拡げて月を見上げた。


(いつもより月の力が強い気がする)


 小さい頃、祖母にあまり月を見てはいけないと言われた。陰の気が強くなってしまうらしい。しかし小春は月の光に子供のころから惹かれていた。


(私には無いものを月はいっぱい持っている。私は月の様な艶めかしさもなければ、輝きもないもの)


 今日の月の波動を体一杯にあびれば、月のいいところが取り込めそうな気がする。そういうものを持ち合わせるようになれば、きっと、もっと夫の正規も自分の事を見てくれるのだろう。


 正規は初めて見た時から無愛想で、ロクに小春の顔を見ようともしなかった。その割には小春との婚姻をすぐに決めたのだから、嫌われてはいないのだと思う。


 小春は正規の真面目さから来る不器用さが好きだった。だから、夫の力になれるように自分なりに頑張った。


(でも、夫は初めて会ったときから少しも変わらない)


 他の使用人に隙を見せないように、小春にもだらけた姿は見せない。いつもきちんとしている様子は尊敬に値するが、小春にとっては寂しい気持の方が大きい。正規は完璧に物事をこなしたいという願望が強いが、周りにもそれを強いる。完璧にやって初めて『当たり前』なのだ。小春が一生懸命頑張ってやったことも失敗すれば怒られこそすれ、褒められることはない。今まで一緒にいられたのは本来から持ち合わせている楽天的な性格だからだろう。


(もうすこしだけでいいから、自分を見てほしい)


 そう願っても、正規の一番は常に長良なのだ。


 小春も長良を主人に持ってよかったと思っている。長良は誰にでもわけ隔てなく話しかけ、正規とは違い小春をちゃんと労ってくれる。そんな長良だから、正規が長良を大切に思っても嫉妬心は起きない。でも…


(あー、くよくよ考えるなんて、私らしくない)


 せっかく綺麗な月夜なのに、心を悩みで満たしたくない。小春はもう一度満月を見上げる。


 先ほど見た時より白い光は力を増し、辺りを明るく照らしている。


(そうだわ、庭の池に映った月を眺めてみましょう)


 小春は自分の思いつきに先ほどの悩みを忘れ、踊るように庭の中心にある池へ向かった。


 屋敷に見合った広い池は風もなく穏やかで、磨き上げられた鏡を思わせる。その真ん中には空に浮かぶ満月と同じものが同じ美しさで写りこんでいた。


(そうだ、こんな綺麗な満月を一人じめするなんてもったいない)


 小春はそう思うと母屋へ向かった。この月を間人にも見せてあげたい。


 間人がこの屋敷に来てからというもの、仕事は増えたが、小春は楽しかった。


 どういういきさつで間人がここに来たかはわからない。訳ありなのはわかるが、聞いてはいけない雰囲気があり、小春も気になりつつもあえて聞かなかった。しかし、間人の行動の愛らしさは小春の母性本能をくすぐり、少し年の離れた弟をもった気分になる。子供の世話は好きなので、正規から間人の世話を頼まれた時は却って嬉しかったくらいだ。間人もすぐに小春に懐き、慕ってくれている。


 一方の正規はあまり間人の事が好きではないらしい。間人の世話で今までの仕事がおろそかになると叱られるので、本当はもっと間人の相手をしてあげたいのだが、不満顔の間人を今日も無理やり寝かしつけてしまったのだ。


(今日はすこしぐらい怒られてもかまわないわ。こんなに奇麗な月なんてめったにみられないんですもの)


 間人の喜ぶ顔が目に浮かび、小春も自然と笑みが浮かぶ。


 母屋へ視線をやると、軒下に人影が見えた。小春は思わず歩みを止めた。


 正確に言えば只の人影ではなく、輝く光の中に人影が浮き上がっている様だ。


 母屋は長良と間人の住まい屋だが、長良は宮中に詰めており、今は間人しかいないはずである。母屋まで少し離れているが背格好から間人ではない。大人の人影だ。


(賊、かもしれない)


 小春は慌てて夫の正規を呼びに行った。


 小春の話を聞いてあわててやってきた正規と共に母屋へ駆けつけてみると、そこには満月をみあげた人が立っていた。


(本当に人かしら? 月の光を身いっぱい浴びた竹取物語のかぐや姫のごとく…鋭い美しさが却って恐ろしい)


 あまりの神々しさに小春は立ちすくんでしまった。しかし正規は身を竦ませながらも果敢に近づいていく。


「誰だ? そこで何をしている!」


 正規の威嚇に月に向かっていた顔がゆっくりこちらを見る。


「間人様?」


 小春は息を飲んだ。


 背丈こそ違え、間人だった。髪は腰の辺りまであるが、その色は燃えるような緋色である。


 あのかわいらしいあどけなさは消え、紫の瞳には、見つめられると全てを見通されるに違いないと思わせるような冷たい透明感があった。


 間人は二人を一度見ただけで顔を正面に戻す。同時に間人の体がふわりと宙に浮かんだ。


「どちらへ行かれるのか?」


 どこかへ飛んでいこうとした間人の足に縋り、正規は必死に止める。このまま行かせてしまっては、長良に合わせる顔が無いと思ったのだろう。小春も同じように間人に縋った。


「今日は力が体からあふれてくる。今こそ、奪われたものを返してもらおうぞ」


 瞳同様の透明感と威厳のある声だった。


 間人が正規と小春に手をかざすと、しっかりつかんでいたはずの握力が抜け、二人とも床に転がってしまった。


 次に間人は首から琅かんをはずした。今まで琅かんに抑えられていた龍気なのか、見鬼の才能の無い正規と小春にも間人から何かに押される圧力のようなものを感じる。


 間人は手にしていた琅かんを小春に軽く投げると、もう一度間人に縋りつこうとする正規に息を吹きかけた。正規の周りに七色の光が渦巻く。あまりの輝きに小春は本能で目を瞑ってしまった。


 その光が消えた頃には、もう間人の姿はなかった。ただ、呆然と座り込む正規の姿があるだけだ。


 小春も今の出来事は夢のように思えるが、間人は只者でないことを知らされずとも薄々感じていたので、すぐに事態が呑み込めた。夫は真面目で非日常的な事柄は信じない性質だから、間人の見せた現実離れした能力ちからを未だに受け入れられないようだ。


「あなた、急いで長良様にこの事を伝えてきてください」


 まだ呆然としている正規の肩をゆすって小春は言った。


 正規は驚いたように小春を見た。はじめて小春を見たような顔だったが、小春の心は喜びで沸き立った。初めて自分を正面から見てくれた気がしたからだ。


「早く、長良様に」


「そ、そうだな。小春は今すぐ萩に今の事態を伝えてくれ」


「わかりました」


 頷く小春に正規も頷き返し、長良のいる宮城きゅうじょうへ急ぐべく走り去る。小春も正規に言われたとおり萩に会うため走り出した。


「あなたの所為で大事になりそうよ」


 ちらりと月を見上げて呟いた口調とは裏腹に、小春の口端は少し上へとあがっていた。



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