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正義は悪なり。

作者: サバチー

この世すべて濁るとき、清めるは己れだけ、人々みな酔えるとき、正気なのは己れひとりだけ、されば追放の身となった。―――――屈原




幼き頃から正義を信じ生きてきた。

不正は正され悪は罰する。

それが当然なことだと信じ続けていた。

多くの人々は成長を経るにつれ、その『正義』の矛盾や存在に疑問を呈し、社会的順応とは名ばかりの同調圧力に屈していく。

それでも尚、私は正義の存在を信じてやまなかった。




私には友人がいた。

親友だった。

私は彼に全幅の信頼を寄せ、彼の好きな所も嫌いな所も伝えていた。

私の正義が、人と人との信頼にそれが欠かせないものであると考えていたからだ。

しかし大衆の考え方は違う。

いくら親友とて、彼も大衆に他ならないのである。

私は一種、信頼できる人に対して盲目であったのであろう。

何ということもない、逆に彼は私の嫌いな所を隠していたというだけのことだ。

しかし私の正義はそれを見逃すことが出来なかった。

嘘は、誤魔化しは、信頼に対する裏切りであると。

友人であるならばその欠点をいち早く指摘し、矯正に務めるべきであると。

その日からも私達の縁が切れることはないが、微妙な壁を感じあっている。




私に相談をしてくる者がいた。

学生時代の同級生。

昔は仲が良く、お互いのことをあれこれ喋ったものだったが、卒業後会話の機会もなく、実に五年ぶりの連絡であった。

そしてその連絡とは相談、人生相談であった。

曰く、この社会において生きる意味、目的とは何か、なぜ働かなければならないのか、という話だった。

無論、これに答えなどない。

それでも私は親身に考えた。

五年ぶりにわざわざ私に相談してきたのだ。

この相談に答えることが、友人が連絡してきたことに対する応えであると疑っていなかったからだ。

私はこの疑問に答えはないと前置きをしながらも、自分の考えを発表し、その上で友人自身の答えを促した。

しかし、友人が欲しかったのは『答え』では無く『後押し』であったのだ。

それは私自身もわかっていた。

では、何故そうしなかったのかというと、そうすることが友人にとって最高の選択ではないと考えていたからだ。

後押しというものは突き詰めて行けば単なる責任転嫁である。

もしその選択に誤りがあったとしても、自分のせいではないと言い訳するための手段である。

だから私は真摯に友人のことを考え、他の意見を聞いた上での友人自身への答えを促したのだ。

しかし、尚も自分で一歩を踏み出せない友人は落胆し、それから連絡をしてくることは無かった。




私に打ち明けてくる者がいた。

女性からであった。

妊娠しているとの事だった。

私は祝福の言葉を送ろうとしたが、その言葉は一瞬にして飲み込まざるを得なかった。

中絶をするのだそうだ。

相手は定職にも就かず、生活費の工面ができなく、ましてや妊娠した時期は交際する以前であった。

そして、その事実は親族には一切伝えられずにいた。

私は堪らずに非難してしまった。

我が国の法律では妊娠中絶が認められている。

しかし、私の正義がそれを許さなかった。

己等の快楽のために妊娠し、経済的な理由を盾にその子供を中絶する。

絵に書いたようなエゴイズムだと感じた。

彼女は哀しそうに「仕方ないよ。」と言い、その日は別れた。

流石の私も今回の件については反省していた。

中絶という行為についての是非は度外視し、少なからずとも傷ついているであろう彼女を非難し、悲しませてしまったということは事実であったからだ。

私は謝罪したい気持ちに駆られ、どう謝るべきか、彼女の個人情報を伏せた上で幾人かに相談をした。

結局、謝罪をして蒸し返すよりも、その後の彼女の精神的バックアップをすることで謝罪に代えるということに落ち着いた。

しかし、私はその相談中に言われた「非難にせよ謝罪にせよ、下らない正義感だ。」という言葉は忘れられなかった。




私には想いを寄せる女性がいた。

素直な女性だった。

私は彼女に誠実に接し、自分を顧みず彼女に尽くした。

彼女が私の心の癒しであり、それに対する返礼、そして愛する人に対する至極当然な行為であると確信していた。

だが、それが上手く自分に返ってくるはずも無く、程なくして彼女は恋人を作った。

魅力的な彼女であったから、私より良い男性を選ぶということも受け入れることが出来た。

彼女と接しているうちにお互いに信頼が築け、そんな人が幸せになるなら嬉しいと感じた。

しかし、やはりそこで彼女が嘘をついていたことを知ってしまい、裏切られたような気になり酷く落胆した。

彼女に恋人が居ないという期間にも実は恋人が居たという嘘だった。

曰く、私を傷つけないための嘘であったらしいが、私にとっては嘘をつかれるということが非常に大きな傷となった。

更に、彼女の恋人は世間一般で言われるところのろくでなしであった。

彼もまた定職に就かず、酒やタバコにギャンブルをやり、当然浪費家であり、鬱憤が溜まると物や人にあたるような人間であった。

誠実な行動をとった私とはまるで真逆の人間である。

彼女とはもう連絡は取っていないが、最後の別れ際に言われた「貴方は優しすぎる。私にも私以外にも。だから嫌い。」という言葉が深々と胸に突き刺さった。




幼き頃から正義を信じ生きてきた。

不正は正され悪は罰する。

それが当然なことだと信じ続けていた。

だが、現実の社会では逆である。

それでも正義を貫き通した。

自分の信じる正義を貫き通してきた。

しかし、どうであろう。

正義は勝つなどという言葉は鼻で笑われてしまうくらいにちっぽけである。

世界には、現代社会には不義が蔓延っている。

多数派の意見が最も強いものと認識され、弱きものはその大多数のある種『正義』によって駆逐されていく。

気付けばいつの間にか、不義が正義へと変わっていく。

それに順応できないものは社会不適合者の烙印を押され、その存在自体が大衆の和を乱す『悪』へと変わっていく。

それが至極当然なことと推し進められていく現代において、実際に不義を働いているのは私であり、エゴイストは私なのである。

それでも正義を貫き通したい私は一体どうすることができるのであろうか。

答えはたった簡単なことが一つだけであった。

正義が悪を断つ、それだけであった。

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