ゼロ
「おじいさん、貴夜美さん、さっき俺たちに関係しているって言いましたよね? 政府の情報。一
体何のことなんですか? 何が起きてるんですか?」
猛麻呂の問いかけに老人はポケットからガムを取り出すと乱暴に口に放り込んだ。猛麻呂にも差し出されたが猛麻呂は受け取る気になれず、ただ黙って立ちつくしていた。
老人のガムを噛む音だけが響く。この数十秒の間は空気が鉛のように重く感じた。
「それは・・・」
耐えかねた貴夜美が口を開きかけたとき、老人が被せるように口を開いた。
「政府は企んでいる……。この日本という国をゼロにしてしまうほどの恐ろしい計画じゃ……。我々が、国民皆が気づかぬうちに、政府は準備段階をほぼ終えようとしている」
猛麻呂にはいまいちピンとこなかった。
あり得るのか、そんなことが?
老人の口から放たれた素っ頓狂な話を猛麻呂は消化しきれない。
「待って、日本をゼロにするってどういうこと? 日本語としておかしいわ。その計画の中身は何なのよ?」
これまで黙っていた美香が首を傾げ両手を広げて尋ねた。
「なるほど、確かにおかしい」
老人は呟いた。
「政府は何をしようとしているのかさっぱりわからん」
老人のあっけらかんと答えた。美香と猛麻呂は思わず絶句する。
「え? わからない?じゃあ一体何を根拠に……?」
猛麻呂の喉から、浮き輪の空気を抜くかのごとく、細く且つ引っかかりながら言葉が滲み出た。
「情報はきわめて断片的だ・・・。このお方の息子さんが・・・懸命に調査している・・・。今わかっていること、言えることは・・・政府が恐ろしい計画を企てていること・・・。ただのそれだけ・・・」
貴夜美は押し殺したような声で話した。要するに貴夜美さんも謎の老人もその計画についてよくわかっていないようだ、ということを猛麻呂は察した。
「その計画っていうのはいつ実行されるんですか?」
「おそらく1ヶ月後じゃ」
「1ヶ月後!!!!」
猛麻呂と美香は声を合わせて驚きの叫び声を上げた。
あまりにも突然だ。既に計画は最終準備段階へ入っているということか。どうして今まで誰も気づいていなかったんだ。
「この計画はアメリカの協力を得ていることがわかっている。話し合いや準備はすべてアメリカ本土でおこなっているらしいのじゃ。だから我々日本国民は全く気がつかなかった。まぁ、もともと政治事には関心の薄い国じゃからな。どちらにせよ、時間がない。我々はやれる事をやるだけだ」
「計画を止められる可能性は?」
「低い……じゃろうな。だが最小限に食い止められる可能性はある」
老人のお猪口に貴夜美が酒を注ぐ。老人はそれを一気に飲み干し、ふーっと一息ついた。
「首相が今どこにいるか知っておるか? イランへと向かう飛行機の中だ。名目は首脳会談ということになっておるが、どうも臭うのじゃ。この件については実に47年ぶりの首脳会談であるにもかかわらず、新聞でもニュースでも報道が不思議なほどされておらん。2年前に首相が代わってから報道統制があからさまに厳しくなったからのう」
東大 盧舎那〔とうだい るしゃな〕。猛麻呂はその首相の名を呟いた。2年前に圧倒的大差で対立候補を破り首相に就任した男だ。歳はまだ29歳で史上最年少の日本国首相である。
歳は若いが、この男には人を惹きつけ従わせる魔力のようなものを持っている。これまでの腐敗していた政治システムを根本から叩き直し、能のない政治家、役人を次々と粛清していった。初めは様々な方面から一斉に批判を浴びたが、その批判はいつしか首相に対し忠誠を誓う言葉へと変わっていった。今では国会、内閣は首相の独裁体制と言ってもいいほど一元化している。
この男のアメとムチは、ムチがいつの間にか快感に変わってしまうのだ。
猛麻呂は、人々が気づかぬうちに首相を絶対的な存在として認めている、という社会への強い違和感を覚えていた。猛麻呂はこの東大盧舎那という男があまり好きではない。そして今、一体この男は何を計画しているというのか?
「首相の方はわしの息子に任せてくれ。息子もイランへと向かって飛行機を発った」
「……わしの息子はたちにけり?」
「ヨホホホホホホ! さすが、親子の血は争えんのぉ、猛麻呂君。勘が鋭い。[発つ]と[勃つ]を掛けたのじゃ。わしの文学的な才能を理解してくれるとは誠に嬉しいことじゃ」
猛麻呂は作り笑いで返したが、〈いや、意味わからんし。それに親子じゃないし〉と心の中で突っ込んだ。
美香はというと、菩薩のような顔で老人の横に立っている。性に対する悟りを懸命に開こうとしているのか? 今にも明王の顔に変化しそうなその顔は見るに堪えない。
ここまで下ネタを嫌う女子というのもどうなのだろう。こうなったら、いつか下ネタで美香を照れ笑いさせてみせると猛麻呂は心に固く誓った。
もし美香がそんな顔をしたらタマラナイ。猛麻呂の股間がテイクオフしてしまうだろう。