Around 2
「ふむ。トロイのやつ。思ってたより根性あるじゃないか。」
時刻は十二時四十三分。トロイが八周目に向かうのを見送った頃。アウラはそんなことを思っていた。
タニア。お前の言う通りになってしまったな…。
――今から三十三年前――
「タニアお前、ホントに良いのか?あんなのに着いてったってろくな事ないぞ?私でも分かる。」
「ありがとうアウラ。でも大丈夫よ。きっと何とかなるわ。」
若き日のアウラ・オーレリアは、トロイの母、タニアと共に修行を終え、互いの将来について話し合っていた。
「お前がそう言うなら止めはしないが…。」
「うふふ。それよりアウラ。明日旅立つんでしょう?あなたに言っておきたいことが…。」
「おいおい。いつも言ってるだろ?そうゆう占いの類は嫌いなんだ。」
「まぁまぁ。そう言わずに…。」
――その後。アウラは一人前の魔導士として旅立ち、今に至る――
「まったく。ガキのお守りは嫌だと言ったが、まさか大人になってからとはなぁ。ん?この風…。トロイめ。初日からサボりか。…まったくだなあ、本当に。」
アウラは空を見上げ、今は亡き親友に想いを馳せるのだった。
同じ頃。闘技場では、蝋燭の灯る薄暗い部屋でルーメスとドニスが、トロイの処遇について話をしていた。
「…ってことはトロイのやつ、無事だったんですね。」
「ええ。アウラ様に助けて頂いたようで。」
「そうですか…。」
ドニスは安堵の感情を抑えきれず、その物騒な風貌と強面からは想像も出来ないほど、目元の緩んだ顔を見せた。
「おやおや。あなたも随分、トロイ君を気にかけているのですね。」
「そ、そんなことありませんよ。まぁなんだかんだ長い付き合いですからね。それで、そのアウラって奴は何者なんですかい。」
ルーメスは少しばかり、ドニスの言葉を正そうか迷ったが、試合中の声援すら届かない地下室にいる自分たちの話が誰に聞こえるのだと、いらぬ心配に気づいて止めた。
「アウラ様は大魔道十三支柱。魔法使いの頂点に君臨する十三人の一人ですよ。」
「へぇー。マーリンオブラウンズ?…ってのがいるんですか。魔法使いの頂点なんて、すごいっすね…。」
いまいちピンときていないドニスに、呆れたようなため息をつくルーメス。
「ドニス。いくらあなたとはいえ、流石の私も驚きですよ。まさか、世界屈指の魔法使い達をご存知ないとは。」
「うっ。す、すいやせん…。」
無知を誤魔化しきれなかったドニスは肩を丸めて縮こまった。
紅茶を啜ったルーメスは、ティーカップを置くと大魔道十三支柱について優しい口調で語り始めた。
「大魔道十三支柱とは。かつて世界を救った大魔法使い、マーリンを支えた十三人の魔導士が作った組織です。その目的は時代によって様々だったようですが、今では政治や組織運営、環境調査や魔術士資格試験の監督など、様々なお仕事をされています。普段は各々違う活動をしていらっしゃいますが、四年に一度ほど集まって魔法使いの将来について話し合うのがしきたりです。今年の会議では魔大陸への進行を提案なされた方がいたそうですよ。」
「ほぇ〜。要はお偉いさんて事ですか?そのアウラって人はその中でも偉い人なんですか?」
「社会的な権力で言うのなら、国によって対応が違うそうですね。大魔道十三支柱内では、番号はあれど、皆対等。強さについては時折意見が分かれますが、仕事の内容や行使可能な権利などは一律に同じです。ちなみにアウラ様は十二番。四葉の女王と呼ばれていますね。」
「ほぇー!かっけぇっすね!そんなのに鍛えてもらえるんならトロイも安心だな!ハハハハハ!」
ドニスが大きく笑うと、突然扉が開けられ、坊主頭の男が勢いよく顔を出した。
「ドニスさん!来てください!ねずみが暴れだして!」
「おう!すぐ行く!それじゃあルーメスさん。失礼しやす。」
ドニスは立ち上がり、一礼をして部屋を出ていく。
「ドニスは相変わらずですね。…ふむ、そういえば。今年の試験はもう終わってますね…。どうやらアウラ様も、トロイ君をとても気に入っておられるようですねぇ。」
ルーメスは一人。紅茶を啜った。
――あれから2時間程が経ち、トロイは遂に完走を果たした。
「やっと…。終わっ…たっ…。ぐふっ…。」
膝から段々と崩れ落ちていくトロイ。
地面に伏せるトロイの頭では、チーン。と効果音が聞こえた。
「おつかれだ。トロイ。これ飲んどけ。」
くたばるトロイに、アウラは瓶を手渡した。
中の液体は黄色く濁っている。
「何これ。」
起き上がって瓶を受け取ったトロイは、初めて見る黄色い液体を不思議そうに見ていた。
「疲労軽減、空腹解消、病気の治療や怪我の回復に至るまで、なんでもかんでもこれ一本の超万能薬だ。」
アウラは両手を腰にあて、自慢げにその豊満な胸を張った。
「ふーん。ゴクッゴクッゴクッゴクッ…。」
黄色く濁った液体を豪快に飲み干していくトロイは、ニヤけ面したアウラの頬を引きつらせる。
「ぷはぁ…。なんだこれ。ちょっと酸っぱいな。」
空になった瓶を疑うように見回すトロイ。
「お前…。飲めるのか…。」
「なんだその顔。薬なんだろ?安全なんだよな?」
「あ、ああ。私もたまに飲むものだから安全なのは確かだ。」
「じゃあなんだよ。酸っぱいの苦手なのか?」
顔の強ばりを和らげるようにため息をついたアウラは、黄色く濁った液体の正体を明かした。
「それは魔物の体液から作るもんでな。普通は水で薄めるんだ。濃度は高いし味も濃いし、けして美味しいものでもないが…ちょっと酸っぱい程度とは。大丈夫かお前。」
半日以上走り続けていたトロイに初めて、アウラは心配したのだった。
「へー。魔物ならよく食ってたからかな。このぐらい平気だ。」
「魔物を食ってたって?」
信じ難い言葉を耳にしたアウラは、確認するように聞き返す。
「ん?ああ。金が無くてさ。闘技場で死んだやつを盗んでたんだよ。ルーメスさんには内緒にしてくれよな。違法じゃないだろうけど、余計な面倒事は増やしたくない。」
「そうか…そうゆうことか…。お前は運が良いな。」
何か分かったような反応のアウラ。
「あぁ?どこがだよ。借金なんか無けりゃあんなとこ行かなかったっての。」
トロイは元々、真面目に働いていた。友人に誘われて賭博場に足を踏み入れなければ、借金がここまで膨れ上がることも無かったかもしれない。そんな思い出が頭によぎった彼は少しばかり、口を尖らせた。
「いや、お前は運が良い。大昔の文献によれば、魔物を食べた人間の生き残りが魔力に目覚めたとされている。近代の魔法使いはその子孫だから、そんな事しなくとも魔法が使えるんだ。今でもたまにお前のようなバカがいるみたいだが、普通は魔物を食うと不治の病にかかって死んじまうんだよ。」
「えっ。そう…なんだ…。」
じゃあ俺は、たまたま病気にならずにすんで、たまたま昔の人みたいに魔法が使えるようになっただけなのか。…運良いな。俺。
「それに、その時代の魔法使いは身体能力も凄まじく高かったらしい。私が冗談で言った特訓をこなせたのもそのせいってことだな。」
「冗談!?冗談でこんなに走らせたのかお前!どんだけ距離あると思ってんだ!ふざけんなクソババア!」
トロイは空の瓶を握りしめ、悔しさ混じりの雄叫びを上げた。
「でも走りきったじゃないか。ちゃんとサボらずに、な。」
トロイは一瞬ハッとしたが、アウラがそれ以上言及することは無く、疑心暗鬼ながらに落ち着いた。
「さて。まだ資格について詳しく話してなかったな。」
「あ、ああ。そうだな。たしかに。」
「帰りながら話そう。ほら立て。」
座り込むトロイに差し出された右手は綺麗で暖かく、優しく微笑むアウラの表情がトロイに少しの安心を与えた。
時刻は十五時四十六分。トロイの怯者の森マラソン一日目は終了した。




