魔導士
トロイはベットの上で目を覚ました。
心地よい朝日の差し込む部屋で、鳥のさえずりを聞きながら迎える朝。トロイはまるで夢でも見ていたかのような感覚に陥った。
「ここは…?」
動けない…。身体に力が入らないな。痺れてるのとはちょっと違う。痛みも特に感じないし、不思議な感じだな…。
「起きたか。トロイ。」
聞き覚えのある女性の声が聞こえる。
「アウラ…?」
「森で倒れているのを連れてきたんだ。起きれるか。」
「…ありがとう。今は無理そうだ。力が入らない。」
「そうか。」
トロイはぼんやりと天井を眺めた。昨晩の記憶を思い返し、今ここに居ることが安心出来るような、出来ないような。今日だけはゆっくり休みたい。そんな気持ちだった。
「もう少し休んでいろ。私は出てくる。」
アウラはトロイ残して出かけて行った。
未だ夢見心地なトロイはもうしばらく天井を眺め、目を瞑った。トロイが次に目を覚ましたときには、夕焼けの暖色が部屋を包む、とても静かな夕暮れだった。
体を起こして窓の外を見ながら「結構寝てたな」なんて呟くと、扉が開き、アウラが戻ってきた。
「起きたか。調子はどうだ。」
「だいぶマシになった。体も動くしな。」
腕を回して確認するトロイ。心なしか顔色も良くなったように見える。
「そうか。歩けるなら着いてこい。」
「着いてこいって…どこに?」
「怯者の森だ。」
その後、もちろんトロイは抵抗した。「着いてこないなら晩飯は無いぞ」だの「助けてもらった恩人の言うことが聞けないなんてな」だの「またぶっ倒れるのが怖いのか?」だの言われ、最後には「着いてくるならもう一日ぐらい泊めてやってもいいんだがなぁ?」と足元を見られ、渋々承諾した。
アウラの家から怯者の森へは歩いて十分程度の距離で、メイグアイン国を一周する外壁が遠目に確認できた。周囲にこれといった建物はない。魔物や危険な生物の住む怯者の森が近いというのにわざわざ壁の外に住み着く人などいないだろう。
二人が森に着く頃にはすっかり夜になっていた。
「なぁ。森に行く理由ぐらい教えてくれてもいいだろ?アウラはどうだか知らないけど俺なんか着いていっても何も出来ないぞ?」
「私は依頼を受けていてな。お前はその付き添いだ。まぁ職場体験ってとこだな。」
「職場体験?よく分かんねぇけど…依頼って何するんだ?」
「怯者の森の生態調査だ。」
「森の生態調査?国から依頼されるやつか!?何者なんだお前!?」
「ただの魔法使いだよ。私はメイグアインの出身でな。数年に一度引き受けてるんだ。」
「ただの魔法使いが国から依頼なんてされねぇよ!それにそんなにすごいなら尚更俺なんかいらないだろ…。」
トロイは会話に夢中になってしまっていた。昨晩と同じだけ森を進んでいることに気づいたのは、木々の隙間に構えられた、あの大きな両耳を目にしたときだった。
「アウラ!そこにバニーが!」
掛け声虚しく発射される弾丸兎。標的はアウラた。
右前方から跳んでくる兎に対し、アウラがとった行動は、右手での平手打ち。
跳んでくる兎の左頬に右手を正確に合わせ、掌に魔力を込める。作られた緑の小さな玉は兎に触れると爆散し、見事な反撃が決まった。振り抜いた右手を追うように、小さな光の粒が煌めいた。
「なっ…。」
「ふむ。またうさちゃんか。随分魔物が増えてるな。」
「ふむ。って…お前…。」
トロイは突然の出来事に絶句してしまう。
「んん?どうした?」
「今の…お前、魔導士か…?」
「そうとも。それも一流のな。」
振り返ったアウラの悪戯な笑みは、宙に舞い散る光の粒と相まって、とても美しく見えた。
「やっぱり、ただの魔法使いじゃねぇんじゃん…。」
魔法使いには、術式を扱う魔術師と術式を必要としない魔導士の二つに分けられる。近年では魔法使いといえば魔術師であり、魔導士はほとんどお目にかかることのない、珍しい魔法使いである。
得意げな表情だったアウラは突然、真剣な目で正面に向き直した。
「トロイ。気をつけろ。」
アウラにそう言われ、ふと周りを確認するトロイ。驚く間もなく、二人は魔物に取り囲まれる。
「何だこの数…!どうすんだアウラ!」
「ふむ…さっきの魔法で集まってきたか。」
「おい!お前はともかく俺もいるんだぞ!?ちゃんと守ってくれるんだろうな!?」
「ねずみもいるな。これはなかなか…」
「聞いてんのかババア!」
立ち往生する二人を前に魔物がただ待っているはずはなく、攻撃が始まった。
アウラは両側から跳んでくる二体の兎を避けたかと思えば、お尻にひょいと手をあて受け流す。背後からの突進も後ろに目があるかのように察知し、回りながらの見事な反撃。
粉状に散った魔法が微かに注がれる月明かりに照らされ、まるでオルゴール上のバレリーナのように可憐に戦うアウラの姿にトロイは見蕩れた。
これが…魔法…!
舞い踊るように戦うアウラの動きは、無数に飛び交う魔物によって加速していた。
振り向き際の一瞬、アウラの目はトロイへ向いた。
ん?今、目が合ったよな。でもすぐ右を…。
振り向いた先に一匹の鼠。
歯の先端が尖り、刃のように研がれ、緑色の唾液が滴る気味の悪い鼠がトロイ目掛けて疾走して来る。
コイツ!なんで俺を…!
魔物は通常、魔力の多い獲物を狙う。つまりは今まで魔導士として生きてきたアウラと、つい先日まで持たざる者として生きてきたトロイでは、アウラが真っ先に標的となる。弾丸兎が執拗にアウラを狙い続けているのはアウラの魔力がトロイよりも多いことを証明している。トロイは魔物の特性を理解した上で、アウラに見蕩れる余裕が少なからずあったのだ。だからこそ、自分を狙ってきたこの毒刃鼠に驚いき、身構えた。
油断した!アウラも鼠がいるって言ってたのに!このままじゃ当たる…あれ?何だこの感覚…。昨日もこんなのあったような…。
トロイは身の危険を感じ、無意識に生き物としての防衛本能を働かせた。その結果。目は血走り、稲妻を走らせ、思考速度が向上。体の反射に備えるように身体にも数本の稲妻が這う。
なんか俺…。避けられる気がする…。いや、それどころかコイツを…。
鼠が飛び掛ろうと地面を蹴り、宙に上がった瞬間。黒い何かが、鼠の真上に現れた。
「はっ!?」
瞬きなんかしてねぇぞ!?何だこの鳥!?どこから来た!?
空中に突然現れた鳥が鼠を鷲掴みにする。
尖った太い爪で鼠を捕まえ、はねをひろげるその姿。音もなく現れ、夜を見通す大きな目に、下へ折り曲がった口。フクロウだ。
鼠を逃がさぬよう、地面に押し付けて突っつくフクロウ。広げた羽には血管のように張り巡られた青い光が、その姿を微かに明るくしていた。
「深空弄…。トロイ!逃げるぞ。走れ!」
フクロウの姿を確認したアウラは反撃を止め、尚も続く攻撃を後ろへ避けた。
「えっ。は、はいっ!」
アウラの掛け声を聞き、走り出したトロイの身体は未だ雷を帯びていた。
我先にと逃げ出したトロイは、逃げることに必死になり、自分の速さが弾丸兎に匹敵している事など知る由もなかった。
なんださっきの鳥!どこから来たのか全く分からなかった!っていうか。あれ?どうやって戻すんだこれ。なんか…段々…目が…。
「おっと。」
興奮気味に走っていたトロイは気を失ったが、追いかけてきたアウラに抱えられ、地面に倒れずに済んだ。
「そんなに怖かったか?根性無しめ。にしても、随分速いな。」
アウラは森へ振り返り、トロイの速さに感心するのだった。




