「幸せになる資格はない」と、貴方が言ったので。
幼い頃。
両親に連れられてやって来た夜会の会場で迷子になった事がある。
そして迷い込んだ先の広い庭園で、膝を抱えて蹲る同い年くらいの男の子を見つけた。
「どうしたの? どこかいたいの?」
私が聞くと、男の子は膝に顔を埋めたまま首を横に振った。
「おとうさまやおかあさまは? いっしょにさがしに行く?」
また首が横に振られる。
「もどりたくない……」
微かに聞こえた声。
それが震えていたから、ああ彼は泣いているんだと私は思った。
「どうして?」
男の子の前にしゃがみ込む。
艶やかな黒髪が月明かりに照らされている。
「おれのいばしょはないって笑われるんだ。おれはいやしい女から生まれたからって」
彼の告白は、この頃の私には考えられない事だった。
私にとって家族とは自分を愛してくれる、温かな人達の事だったから。
お父様もお母様も、私を大切に育ててくれていた。
父は頭を撫でて、「お前は皆に愛される為に生まれたような子だね」とよく言った。
母は「将来、私達から受けた愛を誰かに分けてあげてね」と言った。何故なら――
「『この世で、不幸になっていい人なんていない』のよ」
私は母の受け売りの言葉を口にする。
男の子が顔を上げた。赤色の瞳が私を映した。
「あなたのお家ってとってもいじわるなのね。かわいそうだわ」
私は男の子の頭を両手で優しく撫で回した。
「大じょうぶ。かわりに私が幸せをわけてあげる!」
大じょうぶ、大じょうぶと、私は繰り返し唱えた。
それから彼の頭をそっと抱き寄せてあげる。
「大じょうぶ。あなただって、幸せになるために生まれてきたにきまってるわ。いつかきっとそうなる日がくる。それでもどうしてもたえられなくなったら――」
私は胸を張った。
「私が幸せにしてあげるわ!」
「……きみが?」
「ええ。私の家ってとっても大きくてとってもすごいのよ! だからあなた一人の幸せなんてかんたんにわけてあげられるわ!」
自分がすごい訳でもないのに、先祖や両親が築いた家の名声を自慢する私。
けれどそんな私の様子に気を悪くする事もなく、純真な彼は目を輝かせていた。
この日参加したのは、数えきれないほどの家が集う大きな夜会だった。
互いの家名を明かしたわけでもない私達は相手の正体を知る術もなく。
この日の出来事は必然的に、一夜限りの出会いとなったのだ。
***
(『この世で、不幸になっていい人なんていない』ね)
水を全身に被りながら私は自嘲する。
我が家、オーティス侯爵邸。その一角で私は溜息を吐く。
目の前には空の桶を持った少女ロバータが立っている。
彼女はボロ雑巾のような使用人服に身を包み、おまけに水浸しになった私を指さして笑った。
「可哀想なお義姉様! ご両親が愚かだったばっかりに性根が腐ってしまわれているわ! 私が綺麗にして差し上げないと!」
離れた場所では怯えた目をした使用人がこちらを見ている。
誰も助けはしない。当然だ。
今、この家で権力を持つ娘は私ではなく後からこの家にやって来た義妹なのだ。
八歳の頃。両親は馬車の事故で亡くなった。
それからすぐに、私だけが残されたオーティス侯爵家に父の弟である叔父と、その妻子がやって来た。
侯爵家を継いだ叔父の養子として私は引き取られたが、その待遇は劣悪なものだった。
叔父は自身の知力と経営の腕を自負しており、嫡男である父さえいなければ自分が家を継げていたと考えていた。
父を目の敵にしていた男が、その娘を愛せる訳もない。
叔父は日常的に私を打ち、いかに父が愚かで無能だったのか、そしてそんな男の元へ嫁いだ母はさぞかし哀れな女だっただろうという事を頻りに語った。
それを見ていた義母や義妹も、私を見下し、つらく当たるようになった。
家に私の居場所は無くなり、屋根裏部屋に押しやられ、使用人と同等の扱いを受けるようになった。
かつて、母は言った。
『この世で、不幸になっていい人なんていない』と。
私の人生が不幸ではないというのならば、幼少期の幸福な時代が以降の不幸全てを上回る程に尊き時間だったのだろう。
私の幸せな時は終わったのだと、そう断言できた。
今、私が生きているのはただの時間の浪費。
どれだけ苦しくとも、私の人生は両親から残された最後の形見だ。
両親の遺品を全て捨てられた私にとって、自分自身の生は両親との繋がりを感じられる唯一のものだった。
私には、幼少の頃――まだ正しく侯爵令嬢であった頃に婚約を交わした異性がいた。
ザカライア・キャロウ侯爵子息。
彼とはそれなりに上手くやっていたはずだ。
しかし両親が亡くなり、現侯爵との血の繋がりが薄くなってから、キャロウ侯爵夫妻も、ザカライアも私に対して嫌な顔をするようになった。
所詮は政略的な婚約。
オーティス侯爵家との繋がりを深めたいというならば、明らかに嫌われている姪よりも蝶よ花よと育てられている娘を婚約者に、という考えは至極当然のものだった。
十六歳。王立学園へ通い出して一年が経った頃。
放課後の中庭で、私はザカライアから大きな声を浴びせられる。
「リディア・オーティス! お前との婚約を破棄する!」
ああ、ついにかと思った。
彼の傍ではロバータが勝ち誇った笑みを浮かべている。
「お前は前オーティス侯爵の娘としてロバータにぞんざいな態度で振る舞って来た! 時に淑女らしからぬ暴言を吐き、暴力を振るい、現侯爵の娘として相応しくない扱いを彼女にして来たのだ!」
戸籍上は私だって現侯爵の娘に当たるのだが。そんな事を言っても意味はないだろう。
騒ぎに驚いた通行人が次々と立ち止まり、人だかりができていく。
この中で裸にでもなれば、ザカライアの言葉が的外れである事を証明できるだろうか、などと私は考えた。
私の体には義家族から受けた暴行の痕がいくつも残っていたから。
「よってお前との婚約は白紙とし――ここにいるロバータ嬢を新たな婚約者として迎える!」
どうぞご勝手に、と心の中で呟く。
家を出て幸せに――などという夢物語はとっくの昔に諦めていた。
「お義姉様、どうか目を覚まして! 私はお義姉様とだって家族として仲良くしていきたかっただけなの!」
目を潤ませたロバータが私へ駆け寄り、両手を握ります。
そして彼女は耳元に顔を寄せるとこう言いました。
「身の丈に合わない物を持とうとするからこうなるのよ――殺された家族みたいにね」
――殺された。
その言葉を聞いた瞬間、私の脳裏には過去の記憶がフラッシュバックしました。
馬車の横転によって亡くなった両親。
幼い子供には見せられまいと、死に顔すら見せてもらえず、土を被せられる棺を見る事しかできなかった私。
私の名を愛おしそうに呼んで、頬を、頭を撫でて抱き寄せてくれるお父様とお母様。
――葬儀で密かに笑みを浮かべていた義父母。
「あ……あぁぁ……っ」
ロバータの言葉で全てを理解した。
私の愛した人達は、殺されたのだ。
地位に目が眩んだ、愚かな者達に。
私の幸せな時間は失ったのではなかった。
奪われたのだ。
「うっ、あぁ、ぁぁああ――」
最早理性的な判断など出来る訳もなかった。許せるわけもなかった。
返して、返してと心が叫んでいる。
私は涙で顔を濡らし、悲鳴にも似た嗚咽を絞り出しながらロバータへ手を伸ばす。
その時だ。
ゴッ、という鈍い音と共に、私の頬骨に拳が飛んだ。
「ロバータに何をする気だ! この嫉妬に狂った悪女が……っ!」
ザカライアに殴られた私は地面に崩れ落ちる。
唇を切り、ぽたぽたと地面に血が滴る。
わかっていた。ロバータは大勢の場で私の評判を落とそうと、あの場で敢えて私に真実を伝えたのだ。
それでも怒りを抑えられなかった私を見下ろしながら、ザカライアは私を非難した。
「お前のようなクズに――幸せになる資格はない!」
そう言い放った彼は器用に震えるロバータを腕に抱き、彼女を連れて去っていく。
周囲の生徒は取り残された私を遠巻きにひそひそと話していた。
彼らにとって私は、「婚約破棄を突き付けられて逆上した野蛮な女」として映った事だろう。
暫くその場に留まっていた野次馬だったが、やがて空を覆う分厚い雲が大粒の雨を降らし始め――彼らは逃げるように去って行った。
「……はは」
大雨の中、独りぼっちになった私はのろのろと立ち上がる。
乾いた笑いが漏れた。
脳裏には先程のザカライアの言葉が張り付いている。
幸せになる資格? 幸せになるには誰かの許可がいるのだろうか。
お母様とはまるで違う理屈。
けれど、今の自分を鑑みれば……不思議と、お母様の言葉よりザカライアの言葉の方が正しいような気がしてきてしまう。
だって、お父様もお母様も幸せを奪われて死んでしまった。
私はずっとずっと苦しいままだ。
『この世で、不幸になっていい人なんていない』
それが事実なら、何故お父様とお母様は殺され、私は苦しいままなのだろうか。
口から漏れる笑いは徐々に大きくなり、私は自身の肩を抱き、涙を流しながら笑った。
打ち付ける雨の音に紛れて声を絞り出していた、その時。
ふっと、全身を打ち付ける雨の感触が消える。
代わりに視界には影が差し、僅かな温もりが頭に触れた。
私の頭にはジャケットが被せられていた。
驚き、辺りを見回す。
するとすぐ傍に一人の男子生徒が立っていた。
傘も差さず、私と同じように雨に打たれてずぶ濡れになっている貴人。
黒髪に雨を滴らせた彼は仏頂面のまま私を見ている。
「こんなところで何をしている」
「……さぁ」
先程まで気が触れていた私は、他者から問いを受けた事をきっかけに少しずつ気持ちを落ち着かせる。
そしていつも通りを装って微笑んだ。
「一体、何をしていたんでしょう」
彼は怪訝そうに眉根を寄せたが、それ以上深く言及はしなかった。
けれど徐にジャケットを脱いだ彼は、それを私の頭に被せる。
そして無言で私の手を取ると、校舎の方へと歩き出した。
「あの」
「このままでは互いに風邪を引くだろう」
ぶっきらぼうに返事があった。
彼の事は知っていた。
私よりも身分のあるお方。
彼が私のせいで風邪を引いたとなれば大問題だろう。
私は大人しく彼についていく事にした。
辿り着いたのは生徒会室。
既に業務は終わっているのか、中にいるのは私達を除いて二人だけだった。
「どうしたんだい、その格好は」
「見ての通りです。雨に打たれました」
私達を出迎えたのは金髪碧眼の青年――王太子殿下だ。この学園の生徒会長を務めている。
その傍に立つのは彼の護衛騎士。
殿下はオスカー様の愛想ない答えに目を瞬かせたあと、やれやれと肩を竦める。
それから私の姿を見て、騎士に冷やすものと着替えを用意するよう指示を出した。
「そのままでは二人して風邪を引いてしまうだろう。暫く温まっているといい」
殿下はそう言うと暖炉の前を示し、それから目を通していた書類に視線を戻すのだった。
学園には有事の際の為に備えられた着替えがある。
それと袋に詰められた氷を騎士から受け取った私は、別室で着替えを済ませてから暖炉に戻った。
殴られた頬は腫れていたので、厚意に甘えて患部を冷やさせてもらう。
護衛騎士は暖炉の前に椅子を二つ、丁寧に用意してくれ私とオスカー様はそれぞれ椅子に腰かけた。
暫くは誰も何も話さなかった。
生徒会室へ押しかけられた殿下も、何も言わずに残った書類仕事を片付けている。
敢えて言及しない姿勢を見せているのだろうと感じた。
それから十分程、沈黙が続く。
私はちらりと横目でオスカー様の姿を盗み見た。
オスカー・フェザーストン公爵。
若くして公爵家を継いだ有名人だ。
彼は公爵家の次男でありながら、剣術や勉学など、手掛けたもの全てで上位の成績を収め、義兄を圧倒し、病に倒れた前公爵の遺言として正式な跡継ぎに選ばれたとか。
オスカー様は正妻の子ではなかったと聞く。
平民の女性との間に生まれたという彼が公爵の座に就くまでの間には多くの困難があったと考えられるが、それら全てを乗り越える程に聡明なお方だと社交界では囁かれていた。
そして同時に――彼は非情であるとも。
公爵となった彼は真っ先に、義母と義兄を家から追い出したそうだ。
亡くなった愛人の、それも平民の子。おまけに長子ですらない者が家を継いだのだ。
家族間の空気はお察しだが、彼は元々住んでいた義家族に一切の慈悲を与えることなく、財も政務に携わる権利も全て剥奪し、領地の辺境へ押しやったのだとか。
そのような経緯と、後は社交界で世辞の一つも述べない淡白な口調と一切変化しない冷たい表情から彷彿とさせる印象によって、『フェザーストン公爵は非情で冷徹な男』であると囁かれる事となった。
「リディア・オーティス嬢」
「っ、は、はい」
突然沈黙を破って呼ばれた名前に私は驚く。
彼は横目で私をちらりと見た。その顔は相変わらず無表情だ。
「俺と婚約しよう」
「………………は?」
死角ではいつの間にかお茶を嗜み始めていた殿下が大きくむせていた。
王族が出す音としてはあまりに品がない音ではあったが、それも仕方のない事だった。
私もまた、彼の突拍子のない言葉に頭が真っ白になる。
「結婚でもいいが」
「お、お待ちください!」
私は慌てて立ち上がりながら何やら淡々と恐ろしい提案をするオスカー様の声を遮る。
当の本人はやはり涼しい顔をしていた。
「どうした」
どうしたと問いたいのはこちらの方である。
彼の考えている事がまったくもって分からない。
「な、何故そのようなお話に……?」
「俺の父は最近亡くなり、想定よりも早くに爵位を継いだ。公爵になれば勿論跡継ぎが必要だ。早々に娶る相手を探さなければならない。君は先程、婚約が白紙になったと耳にした。であるならば俺と婚約する事も可能だろう」
淡々と、まるで箇条書きの文章のように話すオスカー様。
言わんとしている事はわかるが、あまりに情緒がない。
要は、「婚約者を探していたら、ついさっき別れた都合のいい女がいたから婚約を申し出た」という事である。
私の婚約白紙の件を知っているという事は、先の騒ぎについて聞いた上で中庭までやって来たのだろう。
乙女の傷心を懸念する様子も見当たらない。デリカシーの欠片もない男である。
「望むなら結婚や公爵夫人としての教育という名目で家の一室を先んじて譲ろう」
「そんな、急に……」
建前からそう答えはしたものの、これは要は家を出て公爵邸で住むことを許すという言質だ。
冷遇され続ける家――それも両親を殺した人間が住む家。そんなところで生活を続けることに比べれば、あまりに都合の良い提案だった。
元より結婚に愛などは期待していない。
ならば彼の提案に乗らない手はなかった。
「構いません」
「では決まりだな」
「ただ、仮に籍を入れたとしても、夫婦の務めでご迷惑をお掛けするかと」
あとから文句を言われては敵わない、と私は自身に残っている暴行の痕について明かす。
「私の体は綺麗なものではありませんから」
視界の端で、殿下の気遣うような視線が向けられた。
しかしオスカー様の返答は
「興味がないな」
であった。
「オスカー……」
これには、ここまで静かに見守っていた殿下も流石に頭を抱えている。
やはり彼はとんでもないノンデリ男である。
善は急げとはよく言ったものだ。
しかしオスカー様に関して言えば、急ぎ過ぎである。
同意が取れるや否や、彼は私と共にオーティス侯爵邸へ赴き、義父母に婚約と住み込みによる公爵夫人教育について話を付けた。
両親は大喜びした。
私が家を出ていく事も、オーティス侯爵家が大貴族との繋がりを持てる事も都合がよかったのだ。
また、フェザーストン公爵家の地位は言わずもがなではあるものの、オスカー様の噂は愛娘を代わりにと進めるには躊躇するような内容だ。
愛娘には愛ある結婚を、彼女が望む結婚をと望む義父母は、冷酷だという噂を持つオスカーにロバータをあてがおうとする事はなかった。
一方ロバータは数時間の間に一体何が起きたのかと驚き、私の元へ駆けつけた。
オスカー様はお顔がとても整っている。
白くきめ細かい肌に長い睫毛、ルビーのような澄んだ赤の瞳、スッと通った鼻に薄く整った唇。
その容姿に加えて公爵という確固たる地位を持つ彼の婚約者となった私を面白くないとロバータは思っただろうが、彼女の中でも最も優先すべきは愛ある結婚だ。
故にロバータを愛しているザカライアの時とは違って私から婚約者を奪おうとする事はなかった。
ロバータがやって来たのは、私が何か告げ口したのではという疑いを持っていたからだろう。
しかしオスカー様が一切私に対して同情や愛情の類を振りまかない姿を見て杞憂だと悟ったらしい。話していないか、もしくは相手にされなかったと考えたのだろう。
また、彼の様子からどうせすぐ捨てられるとも思ったようだ。
彼女は「お幸せに、お義姉様」と笑って私を見送った。
その日から、私はフェザーストン公爵邸に住み、公爵夫人としての教育を受ける事となった。
学ぶことは増えたが、同時に生家とは比べ物にならない程の良い暮らしが待っていた。
私は既に次期公爵夫人としての待遇を受け、部屋も着替えも食事も全て、その身分に相応しいものが与えられた。
食事はオスカー様ととる事になっていたので少々気まずく思っていたが、出される料理はどれも一級品。
しかも彼は気まぐれに私の好みを聞いては翌日にはシェフにそれを作らせたりした。
婚約者という立場を尊重してか、彼は食事の他にも私と過ごす時間を定期的に取った。
屋外テラスでの茶会や街でオペラやサーカスなどの鑑賞、買い物などなど。
口数は少なくぶっきらぼうでおまけにノンデリだが、婚約者として大切に扱ってくれている事は彼の行動からよく伝わっていた。
そして彼と過ごす時間が増えるにつれて、彼の傍に居る事が心地よくなっていった。
半年が経ち、オスカー様の婚約者としての生活にも慣れた頃。
私は殿下からの推薦で生徒会に属する事となった。
婚約破棄のあの日、突然訪れた礼にと彼の仕事を少し手伝ったのがきっかけだった。
そんなある日。
生徒会の仕事を終え、役員の殆どが帰宅した生徒会室に生徒会長の殿下と護衛騎士、副会長のオスカー様と庶務の私が残っていた。
「リディア嬢。オスカーとの生活はどうだい」
「良くして頂いております。私の悪評がオスカー様の評価を下げないかとも心配したのですが」
「悪い噂なら既に持っている。大差ないだろう」
「……そう思うなら君は日頃の振る舞いを改めた方が良いよ、オスカー」
相も変わらず不愛想な彼の様子に、私と殿下は顔を見合わせて苦笑する。
「まあ、君の評判も戻りつつあるし、気にしなくていいと思うよ」
「殿下が生徒会へ推薦してくださったお陰です。ありがとうございます」
「君が生徒会の名に恥じない働きを見せてくれていたに他ならないさ……おっと」
殿下がオスカー様の視線に気付き、両手を上げる。
オスカー様は物言いたげな顔で殿下を見ていたが、何か口にする事はしなかった。
「リディア、帰るぞ」
「あ、はい」
「お疲れ様。……そうだ、オスカー」
私の手を掴み、退室しようとするオスカー様へ殿下が声を掛ける。
「用意は出来ているよ」
「感謝いたします」
何やら意味深な会話を二人は交わす。
それから殿下は私を見て微笑んだ。
「リディア嬢。彼はこんな奴だが、その実、誠実で真っ直ぐな男だ。不器用な奴ではあるが、どうかわかってやって欲しい」
殿下が何故今更、そのような事を仰ったのかはわからなかった。
私は目を丸くした後、笑みを返す。
「ええ、存じ上げております」
――だってそれは、わかり切った事であったから。
「ふふ。杞憂だったね」
「帰るぞ」
今度こそ腕を引かれて私は生徒会室を後にする。
真っ直ぐ歩む彼を見れば、耳の縁が僅かに赤い。
「っ、ふふ」
「何を笑っている」
「いいえ、何でもありません。オスカー様」
そんな彼が、とても愛おしいと思った。
***
年に一度、学園で行われるパーティー。
正装に身を包んだ私とオスカー様は会場で曲に合わせて踊る。
完璧なステップを踏み、彼と見つめ合う。
「何故、オスカー様は、私を婚約者に選んだのですか」
「どうした、急に。それならあの日――」
「騒ぎを起こしたばかりの者よりも、単に婚約者がいない異性を探した方が都合がよかったのではありませんか」
オスカー様はゆっくり目を見開いた。
やはり、と私は思う。
彼が私を婚約者に選んだ理由。どうやらそれは彼が語った事だけではないらしい。
オスカー様は考えるように黙った。そして観念したかのように息を吐くと――
――淡い微笑を顔に浮かべた。
初めて見た、彼の笑顔。
それに見入っていると、周囲の視線までもが一斉に彼へ集まった。
皆一様に、冷酷な公爵が笑っている事への驚きを隠せずにいた。
その中で一人――嫉妬に顔を歪める女、ロバータの姿がある。
彼女は上手くいくはずもないと思っていた私の婚約生活が上手くいき、またオスカー様から大切にされている事が気に入らなかったのだろう。
ダンスが終わると同時、彼女はつかつかと私へ歩み寄り、それから大きな悲鳴を上げた。
「ロバータ!」
ザカライアがその声を聞き、駆け寄る。
「おのれリディア……! 今度はロバータに何をした!」
「何もしておりませんが」
すんなりと出た言葉。婚約破棄をされたあの日とは違い、私の心はとても軽く、すぐに反論が出た。
「ご、ごめんなさいザカライア……お義姉様の姿を見たら、これまでされてきたことを思い出してしまって……っ」
「ああ、なんて可哀想なんだロバータ……。おい、よくものうのうとロバータの前に姿を見せられたな! 彼女を気遣って欠席すべきだったんじゃないのか!」
「良く吠える犬がいたものだな」
泣き崩れるロバータと、怒り狂うザカライア。
二人の発言を止めたのはオスカーの冷たい言葉だった。
「この行事は学生が皆等しく参加する権利を持つ。他人がそれを批判する資格はないし……そもそも彼女を誘ったのは私であるわけだが。貴方は公爵である私がパートナーを連れずパーティーに参加すべきだとでも言いたいのだろうか?」
「お、オスカー・フェザーストン公爵閣下……ッ、そ、そんな、滅相もございません」
赤の瞳がザカライアからロバータを映す。
「ああ、それと、『よくものうのうと姿を見せられたな』――この言葉は、貴女にお渡ししよう」
「……え?」
オスカーは合図を出した。
すると控えていた使用人がアタッシュケースを彼へ差し出す。
オスカーはその金具を開けると、中に入っていた無数の紙束を宙へと放り投げた。
「――前オーティス侯爵夫妻殺人に関する報告書だ」
高々と舞う紙を見上げながら、私は呆然とする。
視界の隅で、ロバータが顔を青ざめさせていた。
「現オーティス侯爵夫妻は侯爵の地位を狙い、前侯爵夫妻を事故に見立てて殺害した。その真相が事細かに記されている」
「な、な……っ」
「う、嘘だ! 閣下、いくら何でもこんな出鱈目――」
「此度の調査には公爵家の使いのほかに――王宮の調査員を派遣している。残念ながら偽りはないよ」
ザカライアが上げた声は、別の声によって遮られる。
人だかりの中から、コツコツと踵を鳴らして姿を見せたのは王太子殿下。
王族の言葉は絶対。疑う事は許されない。
殿下の言葉添えによって――現オーティス侯爵家の罪は立証された。
「で、でも、当時幼かったロバータは何も知らなかったはずだ! な、なぁ?」
己や自身の家の為か、それとも婚約者だけでも庇おうとしたのか。
ザカライアはロバータに問う。
けれど彼女は顔を青くさせ、震え上がったまま何も話すことが出来なくなっていた。
「そ、んな……」
「侯爵殺害は立派な大罪だ! 実行者も、真相を知り秘匿した者も等しく刑に処す! ロバータ・オーティスを捕縛せよ」
「い、嫌ァッ!!」
殿下の言葉を合図に、会場内に潜んでいた騎士がロバータを捕らえ、会場から連れ出した。
騒然とする会場。
その中でザカライアは両膝から崩れ落ちる。
床を埋めていく白い紙。それを視界に留め乍ら、私は未だ我に返れずにいた。
「リディア」
そんな私の意識を引き戻すように、オスカー様が名を呼ぶ。
振り返る。
優しい微笑みが、そこにはあった。
それを見ると同時に、もう大丈夫なのだと私は悟った。
もう大丈夫だ。
両親の無念は晴らされ、罪を受けるべきものは正当に処罰される。
私の幸福を奪うものは、もう何もない。
ぽろぽろと涙が零れ落ちる。
「リディア」
「あ、ありがと……ござ、いま……っ」
「リディア」
とめどなく溢れる涙が顔を濡らしていく。
それを手で拭いながら、彼は何度も優しく私の名を呼んだ。
「『この世で、不幸になっていい人なんていない』」
彼の優しさに甘え、泣きじゃくっていた私の耳に覚えのあるフレーズが届いた。
驚いて、顔を上げる。
赤の瞳と、目が合った。
「君が教えてくれたんだ」
『あの記憶』と同じ色。
「それを信じたから……あの日君が幸せを分けてくれたから、俺はここにいる。あの日分けてくれた幸せを、俺は返したまでだ」
無垢で無知な子供の、根拠のない言葉。
そんなものと彼がくれたものはあまりに釣り合わない。
そう思って首を横に振ると、オスカー様は苦笑した。
「それから君は、こうも言った」
オスカー様は私の前に跪く。
「『私が幸せにしてあげる』と」
そっと、私の前に手が差し出された。
「俺が君を幸せにする。だから君が――俺を、幸せにしてくれないか」
途中で照れ臭くなってしまったのか困ったように顔を顰め、頬を染めるオスカー様。
過去の私が、今日の彼がくれたものと同じだけの幸福をあげられていたなんて思えない。
けれど、それならばせめて――
――この生涯を掛けて、彼の想いに報いていきたいと思った。
「……よろこんで」
私は笑い返し、そっとオスカー様の手に自分の手を重ねるのだった。
***
それから、私の両親を殺害した罪で義父母も捕らえられた。
計画や動機が極めて悪質だった事や今後同様の事件を抑制する意図で、ロバータを含め叔父達、義家族は皆極刑に処されたという。
またザカライア自体は法によって罰せられなかったものの、殺人一家の――特にロバータの肩を持つ行いが多く見られ、また被害者遺族だった私に手酷い仕打ちと冤罪を吹っ掛けた事もあり、社交界から孤立していく。
新たな婚約者が見つかる訳もなく、彼の行いのせいでキャロウ侯爵家全体の信頼もガタ落ち。
気が付いた時にはキャロウの名は社交界から消えていた。
さて、私達はというと学生という身分でありながらも結婚をした。
互いに両親はおらず、私の家は最早潰える事が決まっていた。
元々フェザーストン公爵邸で世話になっていた事もあり、籍を入れたとてたいした変化もなかったという点が大きかった。
幼い頃から私を一途に想っていたというオスカー様はどうやら、婚約について変に恩義などを感じてはもらいたくなかったようで、平然を装おうとした結果、変につっけんどんな態度を取ってしまっていたらしい。
ただし言葉足らずでノンデリになるのは彼の本質でもあると、王太子殿下は仰っていた。私もそう思う。
今となっては婚約破棄の日の「興味がない」発言についても「(どんな君も愛しているから、体の傷の有無については)興味がない」という意図であったと理解しているが、彼の個性を知らない者からすれば気配りができないただのノンデリ男という印象を抱く事だろう。
しかしそんな話はさておき。
「リディア」
公爵邸の庭園で花を眺めていると、背後から私は抱き留められる。
それから頬にキスを落とされた。
自分の想いも全てバレてしまった今、オスカー様はすっかり私に甘えてくるようになっていた。
「愛してる」
「……ええ、私も愛しています」
短いながらも愛の籠った言葉に私は答える。
それから彼へ振り返り――
「口にはしてくれないんですか?」
そうあざとく返した。
目を瞬かせたオスカー様。
彼は数秒時間を空けてから、子供のように破顔し、それから――
――私達は深い口づけを交わすのだった。
婚約破棄を突き付けられたあの日、ザカライアは言いました。
「幸せになる資格はない」と。
その言葉は私を酷く苦しめました。
けれど……因果とは不思議なものです。
その言葉があったから――あの日があったからこそ、私はこんなにも幸せに満たされている。
これから私は、長くも幸せな人生を歩み続けていくのでしょう。
――最愛の人と共に。
最後までお読みいただきありがとうございました!
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