46話 白鳥が浮かぶ湖
「じゃ、じゃあ? 僕はもう帰るね! ご馳走様!」
「えぇ。またね」
「また、聖女邸でな」
ベンチから離れ、こちらを向いて手を横に振っている。段々離れていく少年らしい笑顔をロドレームと眺めながら、ルーリアは口を開いた。
「では、次はどこに行くんですか?」
「次………そうだね。近くにボート乗り場があるんだ。皇族専用だから、人ひとりいない。だから……“二人っきり”だ」
「…………そう、ですねぇ………」
二人っきりの言葉を強調するように言ったロドレームのせいで、ルーリアの頬が火照った。皇族専用のボート乗り場は、聖女邸にある書物で読んだところロドレームの曾祖父が造った場所のようだ。その皇帝は心優しく、皇族の人たちが愛する人が出来たらここに連れて行って欲しい。その一心でボート乗り場を造ったという人物だった。
(じゃあ……ロドレーム様の愛する人は、私ということよね……)
もう知っていることが、今知ったように感じる。
ルーリアは頬の熱の上昇を防ぐために、咳払いをして湖について述べた。
「確か……ボート乗り場の湖は世間には『白鳥が浮かぶ湖』とも呼ばれていて、大きな湖の中心に白鳥の模様があるんですよね?」
「うん。スカイブルーの湖に浮かんでいる乳白色の模様だ。よく知ってるね」
「ふふ、はい。自室の書斎でありましたので。聖女邸の書物は全て本当のことが書いていますから。世間知らずだった私にとって、あの本たちは助かりました」
聖女邸に来て聖女になった時は、何も知らない世間知らずな少女だった。そんなルーリアにとって、用意された書物たちはとても助かるものだったのだ。お陰で、この国の常識やそれ以上のマナー、恋愛小説の面白さも学べたのだ。
(恋愛小説が特に多かったけれど……まぁ、そこは乙女心ってことで)
愛や恋の物語が多かったのを思い出し、苦笑する。それを横で甘ったるい笑顔で見てくるロドレームには気付かず。
「さぁ。そろそろ行こうか」
「あ、はい! そうですね。楽しみです♪」
ロドレームが立ち上がり、それに引っ張られるようにルーリアも立ち上がる。
白鳥が浮かぶ湖は挿絵では見たことあるものの、現実では見たことがない。どんな感じなのかウキウキしながら、ルーリアはロドレームと共に歩いて行った。
〜〜*〜〜*〜〜
青い空に、汚れ一つないスカイブルーの湖。そして、中心には乳白色の白鳥が羽ばたいている場面の模様が記されていた。これはどうやってできているのだろう。
そんなルーリアの心境に気付いたロドレームが、教えてくれた。
「あの中心の模様はね、僕の曾祖父……先々代の皇帝陛下が水魔法使いだったこともあって、自然の力を借りてこの乳白色の形を作ったんだそうだよ」
「とても、実力のある方だったんですね」
「あぁ。もう亡くなってしまったけれど、身内だってことが誇らしいよ」
白鳥の模様を見ながら、本当に誇らしげに微笑むロドレームはまるで天使のようだった。力強い髪には少しだけ毛先に瞳の淡い青色が入っているのが、より天使に近付いていた。
彼に見惚れていると、ボート乗り場にいた六十代くらいの男性が、こちらに近付いてきて「皇太子殿下」と声を掛けてきた。
「あぁ、サラム。久しいな」
「えぇそうでございますな。お久しぶりでございます、ロドレーム皇太子殿下。そちらの方は………殿下の婚約者殿ですかな?」
「そうだ。ルーリア・コキリ・セロライハラという令嬢だ。ルーリア」
「はい」
ロドレームに紹介され、ルーリアは改めて聖女の三人に習ったカーテシーを披露する。きちんと挨拶をするのはこれが初めてのため、緊張するのは致し方ない。
だがルーリアは、それを感じさせない『あの時の笑み』で自己紹介した。
「ご紹介に与りました。ルーリアでごさいます。宜しくお願いしますね、サラム様」
「おぉ、これはこれは。ご丁寧にありがとうございますな、ルーリア嬢」
サラムはルーリアに向かって優しく微笑んで、その短い髭を撫でた。
見ると、ボートは木で造られており、漕ぐためのオールも木製だった。
「では、早速ボートに乗りますかね?」
「あ、そうだな。皇族しか来ないから、この所暇だったんじゃないか?」
「えぇ勿論ですとも。あっはっは」
それでも準備は万端だったようで、直ぐに乗れた。皇太子に漕がせる訳にはいかないとルーリアが漕ごうと思ったのだが、「愛おしい婚約者の前なんだから、格好付けさせて?」と、断れない感じだったので、良いのかなと思いつつもオールをロドレームに譲った。
「目標地点は?」
「そうですね………グルッと回りたいのもありますが……真ん中でしょうか」
「分かった。じゃあ、一周回ってから中心に行こう」
「は、はい! ありがとうございます」
(初めての体験だわ……)
侯爵家にいた時は当然ボートなど乗らせてくれなかったので、ボート初体験に心が躍る。強制侍女生活が終わってからというもの、自分は人々に恵まれたなと今も思う。というか、思わずにはいられないのだ。
ボートに乗ってから、沈黙が訪れた。ただ漕ぐ音だけが響く。
「…………あと少しで、日が暮れますね」
「あぁ。そうだね」
侍女と騎士は、護衛対象の様子を遠いところから見守っていた。もう一周し終わりそうなため、この状況に少し余裕が生まれてきたかもしれない。ルーリアは、己の右手の人差し指に嵌められている指輪を眺める。これは、ロドレームが婚約して欲しいと言いに来た際に嵌められた指輪だ。
眺めていると、ロドレームが心配そうに己の名前を呼んできた。
「はい、なんですか?」
「いや……婚約指輪を眺めてどうしたんだろうって思って」
首を傾げると、ロドレームからそんな答えが返ってきた。無表情で指輪を見ていたようで、心配させてしまったみたいだ。
「大して、意味はないんですが…………そうですね。……ロドレーム様」
「何かな?」
深呼吸をして、ルーリアはお礼を言った。
「私と婚約してくださり、本当にありがとうございます。お陰で私は、幸せです」
「! ……あぁ、それは俺が言うことだよ。俺と婚約してくれてありがとう。ところで………どうして急にそんなことを? いや、嬉しいんだけどね」
「何故でしょう、自分でも分かんないんですが……急に、言いたくなったんです」
「そうか」
ロドレームは一度漕ぐのをやめて、ルーリアと距離を詰め、彼女のシンプルだが可愛らしく贅沢な指輪を優しく一撫でした。
「ルーリア」
「はい。なんですか?」
「これから先、どんな困難に出会ったとしても……貴女だけは、側に居て欲しい」
「………………」
ポカンとした後に、ルーリアは「ぷっ」と吹き出した。
「なんですか? それ。二回目のプロポーズですかね」
「あぁ、そうだよ」
「え、あ、そうだったんですね……」
呆然とするが、ルーリアは二回目のプロポーズが嬉しくて仕方なかった。
ロドレームの真剣な表情を見て、ルーリアも真摯にそれに向き合った。これから先、どんな困難に出会ったとしても、ルーリアだけは側に居て欲しいと言われた。そんなの、母である女神がくれたご褒美としか思えない。だが、先程の言葉はロドレームが自らの意思で言ってくれた言葉だ。
「ルーリア、二回目のプロポーズをした後で申し訳ないんだけど……」
「はい」
「一ヶ月後に、君の義姉と義母の処刑が断頭台で行われることは、知ってるね」
「…………はい」




