1話 あの方はどちら様?
宜しくお願いします。
やっと鞭打ちという名の躾から解放され、ルーリアは先程の美しい笑顔から疲れているような、そんな表情に変わる。
「はぁ……」
透き通っている綺麗な水が入っているバケツを床に置いて、窓拭き用の清潔なタオルをそれに浸ける。そして絞り、窓を拭いてゆく。
整っている口から出た溜息は、息をしにくい空気に消えていった。
(仕事、といえば外聞は良いと思うけれど、これは仕事じゃない。給料も貰っていないし、やり甲斐も感じない。何故やらされているかなど、明らかだけれど)
全てはこの目と髪のせい。
いつだろう。ルーリアが幼い頃、自分の瞳を括り出したいと思ったことがあった。髪も毟って、令嬢とは世辞でも言えないような、そんな姿になろうと自暴自棄したことだってある。勿論思っただけで、毟っても括り出してもいない。その証拠に、今十三歳になっても髪と瞳がある。
すると、突然ギュアカーラの「ようこそお越しくださいました!」という初めて聞いたほどの作った声で、とても機嫌が良い声音が聞こえた。
(何……?)
訝しそうに思い、チラッと窓越しに映る門前を見ると、そこにはメティーチェイアも居て、前に居る男性に見事なカーテシーを披露している。
後ろ姿だが、メティーチェイアの機嫌はとても良いものだと分かった。何故なら、雰囲気がいつもよりもハートが飛び散っているからだ。無論、本当にハートが飛び散っている訳ではなく、ルーリアの目がそう捉えただけなのだが。
「あの方は……?」
見たこともない人だ。だが、ルーリアは世間知らずという言葉通りで世間を全然知らない。尤も、家庭教師を雇ってもらえなかったというのもあり、ギュアカーラにも非はあるのだが。
(もしかして、とても高貴な方なのかしら。……メティーチェイアお姉様があんなに高い声を出すのは、経験上公爵家の高貴な方だったし……)
高貴な、というのは間違いないだろう。だが、それが公爵家か、同じ侯爵家か、それとも皇族か。それは分からない。
すると挨拶が終わったのか、この屋敷へ入ってくる。そのことにルーリアはこっちへ来る! と焦りを覚えるが、直ぐに落ち着きを取り戻す。
(……ここは、お母様やお姉様の自室だし、別に仕事を再開しても良いんじゃないかしら………)
今ルーリアが窓拭きをしているところは、三階にあるギュアカーラとメティーチェイアの自室があるところだ。お客様を自らの自室に招き入れたりはしないだろう。それも相手は男性だった。一応メティーチェイアは十六歳と一応成人はしているが、相手がどうかは分からない。それに、婚約者でもないのに自室に入れるのは、教育がなっていないと受け取られる。
流石にそれはないわね、そう思い、ルーリアは窓拭きを再開した。
「ラ〜ララ〜♪」
それは、独り言に近い声だった。
そんな時だった。遠くから話し声が聞こえてきた。一番聞き慣れた声の者が二人。聞くのが初めての声。だがその声は、とても美しい声音をしていた。
(まさか……)
そんなことはない、現実逃避をしながら声のする方向を向くと、そこには瞳が煌いているメティーチェイアと、お淑やかに上品に話しているギュアカーラ。そして二人の視線の先にはあの男性がいた。
ルーリアは「ヒュッ」と息が一瞬止まった。
そこからの行動は早かった。本能が“逃げろ”と告げていたからだ。
バケツもタオルもその場に置いて、ここから近くも遠くでもない丁度良いところにある曲がり角を曲がった。
そんなルーリアを見ていた人物が一人。そう、あの男性だ。
男性は視線をルーリアが置いていったバケツとタオルに移すと、悲し気な表情をした。当たり前だ。ガリガリな令嬢が、ボロボロのワンピースのようなドレスを着て窓拭きをしていたのだから。
「——それで、わたくしですね。……どうしました?」
「あ、いえ。何でもないです」
(しまった。あの令嬢のことも気になるが、まずは顔合わせに集中しよう)
出来ればボロボロのドレスを着た令嬢の方が気になるが、それを優先してしまうと駄目な気がしてならない。
男性は二人の視線がバケツたちに向かないよう気遣いながら部屋に入った。
(まさか、メティーチェイア嬢自ら自室へ案内するとは。……婚約者同士でもない、ただの顔合わせなのだが。まぁ、少し探りを入れてみるか)
ありがとうございました。




