③
遠慮がちに尋ねた七星に、広輝は露骨に溜息をついた。「面倒くさい」と言うオーラが、全身から放たれている。
職場では公にしていないが、広輝は七星の婚約者でもあった。
出会いは今から十年前。
社会人になった後もパティシエールの夢を諦めきれなかった七星は、意を決して会社を辞め、資格と知識を得るために調理専門学校へ入学し直した経緯がある。
高校卒業後に進学してきた広輝とは、十も年が離れた同級生となった。人懐っこい彼は年上の七星にも物怖じせず距離を詰め、一緒に実習しているうちに、いつしか恋仲になったと言うわけだ。
いずれ家族になるからこそ、七星は今まで惜しみなく広輝に自分の技術を提供してきた。
それなのに、最近どうも彼は冷たい。
「俺が忙しいの知ってんでしょ? まだ当分先になるかな」
そう言い残し、広輝は振り返りもせず厨房を後にした。
七星はぐっと唇を噛みしめ、広輝のために苦心して仕上げたデザート皿を見つめる。
自分が利用されていることに、薄々気付いてはいた。
普通に考えれば、こんなアラフォーの地味な女を、華やかな彼が相手にしてくれるわけがない。
「でも、ほんの少しくらいは本当に愛があるんじゃないかって、期待してたのに……」
広輝に交際を申し込まれた時は、天にも昇る心地だった。
料理人としても尊敬していると言ってくれたあの頃の彼は、今よりもずっと優しかった。
それが演技だったのか本心だったのかは、わからない。
ゴーストライターのように、この先もずっと自分が考案したレシピを差し出し続けていいのだろうか。彼の実績のため、夢のため。そう思って支えて来たが、この状態が本当に彼のためになっているのか、自信がなくなってくる。
しかし七星は不安を振り切るように、大きく首を横に振った。
ここで一人考えていたって、どうせ答えなど見つからない。
「広輝だっていつかきっと、自分自身で料理を追求することの大切さに気付くはずよ。その時まで、もう少し見守ろう」
前向きなように見えてただの問題先送りだったが、七星に今の自分の置かれた状況を冷静に分析する強さは皆無だった。
「さて、片づけて帰ろうっと。明日はお休みだし、今日は夜更かしして思う存分ゲームしちゃおうかな」