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李鳳の口から「兄上」というワードが出た途端、応接室の空気がミシッと音を立ててひび割れたような気がした。まるで触れてはならない禁忌が姿を現したかのようで、七星は居心地の悪さに身を縮める。
(そうだ。確かに、李鳳には兄がいたという設定だった。でも……)
李鳳が帝の第二皇子でありながらも、皇太子である理由。
公式ガイドブックには、「今はいない第一皇子の代わりに、李鳳が皇太子となった」とだけ記されていた。
(確かに、「亡くなった」とはどこにも書かれていなかった。じゃあ、本当は生きてるってこと? それなら、どうして死んだことに……?)
考えても答えの出ないことばかりで、胸の奥に不安とざわめきがじわじわと広がっていく。
そんな七星の目の前に、茶托に載った煎茶がコトリと置かれた。
ふと気づけば、神崎が会話の邪魔にならぬ絶妙な間合いで、人数分の煎茶を手際よく卓に配っている。
張りつめていた空気を緩ませるように、清澄が優雅な所作で煎茶に口をつけた。それから李鳳へと目を向け、子どもの戯言を諭すようにやんわりと首を振る。
「街に行けば、亡き朱璃様にお会いできるとでも? 何を根拠にそんなことを……」
「根拠なら、ある」
笑い飛ばそうとした清澄を遮り、李鳳がキッパリと言い切った。
「父上と一緒に宵羽殿の視察に行ったとき、群衆の中で俺は確かに兄上を見た。目が合った瞬間、兄上は人差し指でこめかみをトントンと二度叩いたんだ」
李鳳は「こんな風に」と、自分のこめかみを指先で軽く叩く。
「俺と兄上しか知らない、内緒話の合図だよ。こめかみを軽く叩いたら『あとで話そう』って意味だ。遠目だったけど、絶対に見間違いなんかじゃない」
拳を握りしめる李鳳の横顔には、確信めいた熱が宿っている。
聞きなれない単語に、七星が思わず「宵羽殿?」と問い返すと、月也がそっと耳打ちした。
「異国文化を取り入れた、建設中の新たな社交場だ。国内外の貴族を招き、舞踏会など行うらしい」
(なるほど……異世界版の鹿鳴館、ってところね)
七星が胸の中でひとり納得していると、向かいに座っていた清澄が柔らかな口調で話を続ける。
「それはきっと、朱璃様を慕う李鳳様のお気持ちが見せた幻影でしょう。あまりに強く想い過ぎれば、人はときに夢と現の境を見誤るものです」
「だから、それが幻かどうか確かめたかったんだよ!」
李鳳の声には、苛立ちと焦りが混ざっていた。




