③
絞り出された七星の声は、黒い塊となって部屋の真ん中にぼとりと落ちたような気がした。悲しみとも悔しさともつかない、ただひたすら重苦しい感情が七星の身体を循環している。口を開いたら、月也を責める言葉があふれ出しそうだった。
あと少し。
せめてもう一日だけでも早く気付いてくれていたなら。
月也の本音を、彼女に届けてあげられたのに。
「お前……」
月也は何か言いかけたが、続く言葉は障子戸の向こうから掛けられた声によって掻き消された。
「失礼いたします」
音もなく障子戸が滑らかに開く。そこから姿を見せたのは、墨怜だった。
笑顔はなく、粛々と仕事をこなしていると言った感じだ。
「消化に良く、栄養価の高いものを作らせたのでお持ちしました」
どうぞ、と恭しく膳を置かれたので、七星はおとなしくその前に正座する。まだ何か言いたそうだった月也も、七星の食事が先と判断したのか、口をつぐんで七星の向かいに腰を下ろした。
「食後に果物をお持ちします。それでは、ゆっくりお召し上がりください」
静かな口調で告げると、墨怜は一旦部屋を出て行く。
膳の上には、白粥にかき卵を加えられたものが載せられていた。薬味として、きざみ海苔にアサツキ、ワサビに生姜などがそれぞれ小皿に盛られている。どうやら濃い目のカツオ出汁をかけて、好みの味に調節して食べるらしい。
「そう言えば、資料で見た江戸時代の料理本にこんなレシピが載っていたな」と思い出しながら、匙を手に取る。それと同時に、ぐぅと腹の虫が鳴った。
あんなに暗い気持ちだったのに、食欲だけはきちんとあるようだ。
(魂は私に入れ替わったけど、この体はななちゃんのものなのよね……)
出汁を玉子粥に回しかけると、燻された鰹の良い香りがふわっと漂った。
(ちゃんとお腹は空くし、食欲もある。ななちゃんの体は、生きたがってる)
玉子粥をひと匙すくい、ぱくりと頬張る。
出汁の旨味と卵のやさしい甘みが、口いっぱいに広がった。
(あぁ。……私も、生きてる)
愛しい人に裏切られ、悲しむ間もなく無理やり強制ログアウトさせられたような人生。
あれで終わりではなかったことに、心の底から感謝する。
新たな人生への覚悟を決め、七星は次から次へと夢中で匙を口に運んだ。
空腹を満たすというよりは、これから運命に立ち向かうための英気を養うような気持だった。
(絶対に、絶対に死ぬもんか。ななちゃんの分まで、今度こそ幸せになってやる……!)
大粒の涙がボタボタ目からこぼれたが、それを拭うこともせずにひたすら食べた。
いつも受け身で搾取されるばかりだった、弱い自分とは今日でお別れだ。
鷹司七星のために。
何よりも自分自身のために、これからは強く賢く逞しく生きていこう。
密かな決意を胸に、七星は生きるために泣きながら粥を食べ続けた。




