帰郷(後編)
後編です。
「こうしてきみと食卓を囲む日がもう一度来るとは思っていなかったよ。クレア」
「本当ですわ。アメルテ陛下」
クレアの張り付いた笑顔に、ほんの一瞬右眉をひきつらせるがすぐに表情を戻して話を続ける。
「あれは一年目だったか、きみが立秋祭の屋台の前で大立ち回りを演じたのを見て、私はきみの正義感に惚れ込んだんだ」
「それはとても光栄ですわ」
「あと宇宙実習のときにはきみに助けられたこともあったね」
「あらあれは当然のことをしたまでですわ。うふふ」
まっさらなテーブルクロスのかけられた六人がけのテーブルには、宮廷料理人が腕を振るった豪華な食事ではなく、王妃ルリの手料理。久しぶりに会うクレアと愛娘のためにと調理場に立ったのだ。
なので食卓には鶏の唐揚げに白米と卵焼き。コンソメスープには溶き卵が落とされた卵づくしが美味しそうな湯気を立てて並んでいる。
「母上の手料理なんて風の神殿に入る前日以来ですね。ほらクレア、この唐揚げがぼくの一番のお気に入りなんだ」
クレアとアメルテの間に流れる不穏な空気に、さすがのディルマュラも冷や汗を流しながらどうにか話題を変えようと懸命だ。
「ええ。ルリさまの手料理は、わたくしも修練生時代に何度となくふるまってくださいましたもの」
「そうそう。私とクレアが料理当番な日は良かったんだけど、この人が当番だとふたりともげんなりしたものよ。拳術の腕ばかり達者で、おさんどんのなにひとつまともに出来なかったんだから」
言葉ほどの怒りが乗せられていないのは穏やかな微笑みから察せられるが、ルリはむしろこの状況を楽しんでいる様子さえ感じる。
「ええ。陛下、いえ、当時は殿下でしたけれど、まともなのは見た目と拳術だけ、と方々(ぼう)で評判になっていましたもの」
「そ、そんなに、か……?」
「そうよ。お洗濯だってよく洗剤の量間違えてたし、お掃除だって……、ねえクレア、そうだったでしょ?」
「はい。だから半年でわたくしとルリさまだけでやるようになりましたもの」
うふふ、と微笑んでから、食いちぎるように唐揚げを口に。
「あらクレア、お作法がなってないわよ」
「うふふ。きょうはプライベートなお食事会でしょう? 多少の無作法はお許し下さいな、ルリお義母さま」
ふたりして同じ相手を攻撃してルリは油断していたのだろう。急に矛先が向けられて驚き、次の瞬間には大口を開けて笑い出してしまった。
「母上?」
一番驚いたのはディディルマュラだ。
彼女が知る、母ルリは声を荒げることもなく日々穏やかに微笑んでいる姿が大半で、こんな風に大口を開けて笑う姿なんて見たことが無い。
驚いて思考はぐるぐる回り、果てにはこのひとは母とは別人なのではないか、とさえ考えてしまう。
そして、愛娘が目を思考を回している姿を目の端に止めつつルリは、内から湧き出る笑いを抑えきれないまま言う。
「も、もうだめ。ごめんアメルテ。口調こっちにさせて」
目の端に涙も浮かべつつ、ルリは砕けきった口調で箸を置き、口元をナプキンで拭う。その仕草だけは記憶の中の母と同一だったのでディルマュラは心底安堵した。
「あら、どうされたのです、ルリさま。食事中にそんなはしたないですわ」
「も、もういいってそういうのは。あーおかし」
いままで一度も見たことのない母の様子に、ディルマュラは戸惑うばかり。
そんな愛娘に微笑みかけて、ルリは続ける。
「どうせクレアのことだから無駄に緊張してるだろうし少しお話するぐらいでって思ってたけど、アメルテがどうしても話をしたいってゴネるから妥協してあたしが手料理するってことになったの」
「へ、へえ」
「なぁに、ディル。おかーさんの意外な一面に幻滅した?」
「そ、そんなことはないです!」
「ふうん。じゃあ、惚れちゃった?」
ずい、と下から睨み付けるように母に言われ、しかしディルマュラは怯まなかった
「い、いえ。ぼくにはクレアがいますから」
言われ、ちらりと見たクレアは顔を真っ赤にしている。
「あらあらお熱いわね。でもクレアに飽きたらいつでもおいで。あたしも王妃さまやるの飽きてきちゃったしさ」
聞き捨てならない言葉に、アメルテにあからさまな動揺が走る。
「そ、それはどういうことだ、ルリ」
「あら、言葉通りよ。ディルもお嫁さんもらえるぐらいになったし、アメルテもいつだって家督譲ってあたしと隠居暮らしできるってこと」
「そ、そうか。ならいいんだ」
夫が安心したところで、んで、とクレアに向き直り、
「お義母さま呼びはさすがにがまんしきれなかったわ。ごめんごめん」
「わ、わたしだって鳥肌立ったわよ。んで何やってんだろって自己嫌悪した」
「ほんと昔から気を遣う方向がズレてるのよ」
ふう、と息を吐いて気持ちを整えようとするルリだったが、クレアがわざとすました表情を作るものだからまた吹き出してしまう。
「もー! その顔やめてってば!」
「いいじゃない。久しぶりでテンション上がってるんだからさ」
ディルマュラもアメルテも互いに顔を見合わせ、困惑したり苦笑したりする以外やれることはなかった。
しかし、とディルマュラは思う。目の前にいるのは母と婚約者ではなく、同じ時間を駆け抜けたふたりの修練生なのだろうと。時間も空間も超えてふたりは、あの時代の続きにいるのだと。
そして出来ることなら、自分も、あの二年間を過ごした五人と、どれだけ年齢を重ねても立場が変わっても、あの頃と変わらない関係であり続けたいと願った。
「だからさクレア。あなたもこういう場所なら楽にして。そりゃ公務のときとかは切り替えるけどさ、あなたにまで普段からそういう態度されたら哀しいし」
そっとクレアの手を取り、
「せっかく家族になるんだから、さ」
「う、うん」
むふん、と勝利の鼻息を鳴らし、ルリは一度、ぱん、と柏手を打つ。
「はい、じゃあみんなはやく食べちゃって。あんまり遅く食器持ってくと料理長に怒られるから」
はぁい、とクレアが返し、場の空気は落ち着いた食事会に切り替わった。
料理は多少冷めてしまったが、思い出話に花が咲いた食卓では些細な問題だった。
このまま穏やかに食事が進むのだと誰もが思った瞬間、
「んでさ、結婚式っていつやるの?」
ぶふっ、と三人ともが噴き出し、発言したクレアは会心の笑みを浮かべていた。
「ったくもう。あなたはいま大変な仕事で来てるんでしょうが」
「う、うん」
「戦争自体はそれほど苦戦しないだろうけど、戦時下で結婚式なんて悪い未来を呼び込むかもってぐらい、少しは考えなさいよ
「あー、フラグってやつ?」
「そう。大体クレアって修練生時代、あたしに勝てたことほとんど無いじゃない。それなのに……」
「は?」
空気が冷え付くのを感じ取ったアメルテとディルマュラが怯えた表情でふたりを見守る。
「わたしが、いつ、あんたに勝てなかったって?」
「だってそうじゃない。普段の個人組み手でも、班別組み手でも」
「に、二年目の立秋祭で勝ったじゃない!」
「あの一回だけじゃん。んで二回戦であたしの旦那にボロ負けしたくせにさ」
うぐ、とうめくクレア。
「あのときのアメルテ見て決めたようなものよ。結婚」
「へえ、初めて聞きました」
「初対面から結婚してくれってしつこかったからさ、今期の修練生全員に勝ったら受けてあげるって条件付けたの。んでクレアが最後だったの」
「や、やめてくれルリ。恥ずかしいじゃないか」
「だから、ディルがおんなじことしてるって噂で聞いて、血は争えないなって笑ったわ」
だから、と人差し指をクレアに突きつけ、
「いまあなたたちがやるべきは戦争を一刻も早く終わらせること。それが出来なかったら結婚許さないんだから」
「そ、そんなこと急におっしゃらないでください!」
「だめ。いま決めたの。これはエイヌ王妃ルリによる本気の勅命。なんならあとで書類に起こすから、覚悟しておきなさい」
はぁい、と力なく返事をするふたり。
よろしい、と柔らかくルリが頷いて、会食はお開きとなった。
* * *
そして翌朝。
ディルマュラとクレアはアメルテ夫妻の部屋を訪れ、出発の挨拶をしていた。
「じゃあ、行ってきます」
「はい。無事に帰ってくるのよ。おとーさんすんごく心配してるんだから」
「母上も母上も、あまりご心労にさいなまれませんように」
「ったく。大丈夫なんでしょうね、クレア・ロックミスト維穏院長サマ?」
「よっぽどのことがなきゃディルが前線に出ることなんて……ないから」
「なによいまの間。不安材料があるの?」
「うん、まあ。でもなんとかするから」
「そう? いちおう信じるけど、ディルになにかあったらあたしがぶん殴りに行くからね」
それが本気なのは、ディルマュラやアメルテにも伝わった。
「もちろん、ディル以外の誰か、レオニクスのひとたちがそうなっても殴りに行くからね」
そうだ。彼女たちがやろうとしているのは「誰も死なない戦争」。
それは、相手方への犠牲もゼロにすることを意味する。
「わかってるって。だいじょぶだいじょぶ。みんな優秀だからさ」
「まあいいわ。しっかりね」
うん。はい。とふたりが答え、「言いたいことは全部ルリに言われてしまったよ」とアメルテはハグでふたりを見送った。
神殿創設から二百年近く続く、彼女たちの祈りと願いを実現するために。
「どうか、無事で」
そう祈らずには、いられなかった。
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