第?話 最高の舞台は、最紅の舞台に
豆知識
異能持ちの人物は、異能無しの人物と比べて身体能力が優れています。元の素養も関係あるんですが、異能が発現するとある程度の身体能力バフを貰えるって感じです。
今でこそ狂気を体現したような性格のジェストだが、彼は最初からああだった訳ではない。人間時代のジェストは、クロノケージにて母親と2人で暮らしている普通の青年だった。だが父はジェストが幼い頃に他界しており、母も名前は覚えていないが、何らかの精神疾患を患っていた。ジェストの母には何が見えていて、何が聞こえているのかは分からないが、ジェストは度々母からの暴言や暴力に苦しめられていた。それでも、ジェストは女手1つで自分を育ててくれた母親に感謝していた。だから彼は、母親の薬と生活費の為に働き始めた。ジェストは特段運動が得意な訳でも、頭脳が秀でている訳でもない。代わりに生まれつき手先が器用だったので、彼はそれを活かして各国を周るサーカス団の一員となった。
「君が新人かね?」
「はい、ワタシの名はジェストと申します。これからお世話になります」
今までは生活に苦しんでいたジェストだったが、これで少なくとも今までよりは生活が楽になる。そんな期待と共に、ジェストは様々な芸を覚えていった。ちなみにこのサーカス団は、曲芸の他に劇を演じる事もあった。だが、現実はジェストの思い描いた通りにはならなかった。その理由は幾つか存在する。
1つ目は、元々ジェストに備わっていた性質のような物だ。ある日ジェストが家に帰ると、突然顔面に茶碗が飛んできた。
「っ…ハァ…」
最早その程度の痛みには慣れきっていたジェストだったが、その次に飛んで来る物には未だ慣れていなかった。
「誰よアンタは!返して!夫を返しなさいよ!!」
「母さん…ワタシです。アナタの息子…」
「うるさい!出ていって!警察を呼ぶわよ!」
こうなったらもう従うしかない。こういう時、ジェストはいつも近場の宿に泊まっていた。
「……また…これですか」
ジェストの生来の性質とは『ストレスを感じるとその原因に対して異常なまでの殺意を抱いてしまう』という物だった。しかし、ジェスト自身は決して母親を殺したい訳ではないのだ…本当にそうなのだろうか。
まだ理由はある。2つ目は、ジェストのコンプレックスだ。ジェストが所属するサーカス団には結構な数の人が居るので、本番が近づくとそれに出る人間を選ぶ為の試験が始まる。だがジェストは、それに合格した事はほぼ無かった。何を隠そう、ジェストは何故か他人の真似事しか出来ないのである。どんな芸も、どんな役も、やってみれば誰かの下位互換。独創性も突出して秀でた部分も何もない。そんな所謂『落ちこぼれ』だったジェストは、必然的に団内で侮蔑の視線を向けられていた。
ある者は
「おい落ちこぼれ。演者全員分の飲み物買って来い。10秒以内な」
などと言い、またある者は
「笑われるのは本望だろ?出来損ないの道化師さんよ?」
などという、心無い言葉を投げかけた。だがそれでも、ジェストは笑顔を絶やさなかった。それは幼い頃の、まだ正常だった頃の母にかけられた『呪い』
『ずっと笑顔でいてね』
その言葉が呪いとなって、ジェストの精神を削っていた。そんな環境で生きているならば、どんな人間だろうが限界は来る。職場では雀の涙程度の給金で奴隷のように扱われ、家に帰れば理不尽な罵倒と暴力を浴びる日々。彼の好印象を与える笑顔は日に日に澱み、歪んでいった。
そして遂に…黒鴉や鉄鬼の事案をも凌ぐ、史上最悪とも言える事件が起こる。
「…帰りました」
いつも通り虐め抜かれた後に、ジェストは帰宅した。ここでいつもなら茶碗なり包丁なりが飛んで来る筈だったが、今日は違った。
「…母さん?」
居間に入った瞬間、何者かがジェストの首を絞めた。
「殺してやる…!アイツを…夫を返せ…!」
ジェストの首を絞め上げているのは、他でもないジェストの母親だった。
「母…さ……ん」
そして運悪く、そのタイミングで件の殺人衝動が発作を起こした。
(まずい…このタイミングでは……母さんを殺す訳には…!)
だが不運は重なる。ジェストがそう思った直後、ジェストの異能が発現し、その右手には1本のメスが握られていた。死が目前に迫っているこの状況では、ジェストに出来る事はただ1つだった。
「……っあ"…」
ジェストがほぼ反射的に母親の首にメスを突き刺すと、母親は蛙が轢き潰されたような声を上げて絶命した。当のジェストは、自分が母親を殺したという罪悪感に苛まれていた…かと思ったが、特に涙を流したりはせず、ただ小さく笑った。
「……ァハッ」
その時の彼は、今までに無いくらい満足気な顔をしていた。彼は解き放たれたのだ。今まで自分を縛り付けていた、『躊躇』という名の枷から。肌と筋肉による僅かな抵抗。それを破った時の一気に刃が進んでいく感覚。溢れ出る鮮血。温度を失っていく身体。その全てがジェストにとっては至上の悦楽だった。そしてジェストは気づいた。
「あの衝動は……鍵だッたのデスねぇ。『躊躇』という忌々しいイ枷かラ…ワタシを解放スる…!」
それからジェストは、母親の死体を部位ごとに切り分けて今日の夕飯とした。ジェスト的には、特に肝臓と上腕二頭筋が非常に美味だったらしい。そして悲劇は…いや喜劇はまだ終わらない。
翌日、例のサーカス団達が本番に向けた練習をしている頃…
「今日はアイツ遅ぇなぁ」
「いつもパシられてっから嫌になったんじゃねぇの?」
「メンタル弱過ぎだろ。まぁ俺達の笑いを取れてんだから、ある意味この仕事向いてるよな?」
団員達が、ジェストを馬鹿にしながら笑っている。そんな時、舞台袖から誰かが上がって来た。誰あろう、ジェストである。
「おい落ちこぼれ!やっと来やがったか…そこはお前なんかが上がって良い場所じゃ…」
1人の男が言い終わる前に、3本ほどのメスが男の両目と喉を貫き、更にジェスト本人が男に飛びかかって喉を何度も引き裂き続けた。言うまでも無く、男は即死である。
「うわぁぁぁぁぁ!」
「お…お前…いきなり何して…!」
どよめく団員達を無視して、ジェストは気を違えたかのような表情で叫ぶ。
「リアル人狼ゲェェェェェェム!!!!!」
「は……はぁ…?」
「ルールは単純!!!人間ノ皆様は!人狼でアるワタシから逃げ回っテ貰いマス!!!」
「何言ってんだよ…!」
「け…警察を…!」
そう言って電話を手に取った女性は、頸動脈を切り裂かれた上に舌と両耳を引き千切られて死亡した。
「さァ…!ゲームの始まリです!!!」
ーーーーー
ある日、クロノケージのとある交番に通報が入った。『サーカス団が練習をしている筈の劇場から異様な叫び声が聞こえる』との事だった。通報を受けた警官の名は『エディ』。新米だった彼は、勇み足でその現場に向かった。だが、エディはすぐにそれが人生最大の過ちである事に気づく。
劇場内は、地獄という言葉が生易しく感じられる程の、形容し難い地獄絵図が広がっていた。中々の広さである筈の劇場だが、内部には隈なく血の匂いが充満しており、団員は皆殺しにされていた。劇場中のそこかしこに死体が転がっている事から、被害者達は皆逃げ惑いながら殺されたのだろう。更に惨い事に、死体はどれも身体の部位がどこか1つ以上無くなっていた。この時、既にエディは足を踏み入れた事を後悔していたが、新米が故の正義感で暗くて様子がよく分からない舞台に上がり、電気を点ける。
「ヒッ…!!」
そこにあった物は、最早この世の物とは思えなかった。食い荒らされた被害者の手足。赤一色に染まった舞台や壁。飛び散る内臓、眼球、骨、皮。それだけでもエディは吐きそうになったが、追い討ちをかけるように、天井が軋んだ音と共に巨大な何かが落下してくる。それは…
「う……うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!」
1度バラバラにした人体を、乱雑に、無理矢理再接合して作られた、2,3m程の人間人形だった。腕と肩、足と股関節の接合部には人間の頭部が使用され、人間人形の頭部と思われる位置には、大量の足が花のようになっていた。
エディは恐怖のあまり逃げ出し、そのまま退職した。その時のエディは気づかなかったが、舞台の天井には首に縄を通した状態で揺れている、銀髪の男の姿があった。
ーーーーー
「…ここは…」
ジェストは、目が覚めると見知らぬ場所に居た。そしてジェストは直感的に理解する。
「あア…あの世デスか」
ジェストは不気味な笑みを浮かべ、嬉しそうに呟く。
「アハッ……またあの感覚を…味わえるのでスか…!」
衝動に従う快楽を知ったジェストが取る行動など1つだけ。ジェストは奈落の住民を理由もないままに惨殺して周った。だが、奈落の王も馬鹿ではない。ジェストは程なくして捕らえられ、凶悪犯が収容される牢獄へと放り込まれた。これで大人しくなるかと思いきや、ジェストの顔からは未だ笑みは消えていなかった。
それから数年。ある日の牢獄の見張りをしている看守が、2人で会話していた。牢の中からは『ガリガリ…ガリガリ…』という音が聞こえてくる。
「おい…コイツが壁引っ掻くのに使ってる刃物って…魔力で作ったんだろ?」
「そうだが…それがどうかしたか?」
「気味悪いんだよ…魔力を封じる手錠ってのあっただろ。なんで着けさせないんだよ?」
「それはこの前やろうとした」
「そしたら?」
「……着けようとした看守は、ソイツに喉を噛みちぎられて死んだ」
「そりゃ酷いな……ん?音が止んだ…?」
2人が振り返ると、扉についている小さな覗き窓にベッタリと顔を付けたジェストが看守達を眺めていた。
「うわっ!」
「本当に…気色悪い奴だ」
一方その頃、牢の中では…
「ンー…退屈デスねェ。テロでも起こらないものでショうか」
その時、牢屋の中に声が響いた。
「…驚いた。これほど澱んだ心を持つ人間が居るとは…」
「アナタは……誰デしョうか?」
「私かい?私の事は…月と呼んでくれ」
「何の用デす?まサカ…!ワタシに殺されに来てくれたのデスか!!?あア…!神よ!!感謝致します!!!!!」
「落ち着いてくれ。私は君と戦いに来たのではない」
「ハァ…でハ何の用で?」
露骨にテンションの下がったジェストが尋ねると、月は空虚な笑みを浮かべて言う。
「君に…私の部下になってほしい」
「アナタの?」
「そう。詳細は伏せるけど、とりあえず私には君が必要なんだ。もしこの誘いに乗ってくれるのなら、今すぐここから出してあげよう」
「なりまショウ!!!」
即答だった。
「えっと…もう少し考えたりするものじゃないのかい?」
「何を悩む必要があるのデすか!!もう一度舞台に立てる…それ以外に望む物なドありまセンよ!!それを叶えてくれるノだカラ…従う以外に道は考えられませン!!!」
「…なるほど」
月の声は聞こえなくなり、それと同時に牢屋の扉が爆発した。看守達が走り寄ってくる音が聞こえる。「アハハ……!楽しミですネぇ…!!」
ジェストはメスを握り、帽子の位置とコートの襟を直し、心底嬉しそうに呟く。当然だ。彼はもう一度立てたのだから。この最高の舞台に。そしてその最高の舞台は、いずれ最紅の舞台へと変貌する。




