第七十六話 呪いが呪いに変わる時
「…という具合だ」
スカーヴの話を一通り聞き終わった後、その場にしばらくの沈黙が流れた。そして、その沈黙を破ったのはスカーヴだった。
「それで、俺をどうするつもりだ?」
「だからどうもしないって言ってるだろ」
「じゃあ何の為に俺と剣を交えた?先に言っておくが、俺の救済などは考えない事だ。安寧も救済も…俺には過ぎた代物。もし俺を救いたいと本気で思うのなら…ここで俺の首を落とせ」
「ハァ…分かってはいたが、楽な依頼じゃないな…」
リーフェウスが呟いていると、遠くの方からラビアがヒラヒラと手を振りながら歩いて来た。
「ただいま」
「そういやアンタ途中からどっか行ってたよな。話が佳境に入ったところだったのに」
「スカーヴ引いてたわよ」
「ごめんって」
「どこ行ってたんだよ?」
「スカーヴの育った場所」
その言葉に、スカーヴを含めた全員が戸惑う。
「え?あそこはスカーヴが壊滅させたんじゃ…」
「その通りだ。今のあの場所にあるのは、せいぜい瓦礫の山程度の筈だぞ」
「皆さぁ…僕がどんな存在なのか忘れたの?」
「いや覚えてるが……まさかアンタ…過去の事すらも権能の範疇内なのか?」
「最初にそうだって言ったじゃん…まぁ、過去の事を詳しく知りたかったら、その対象に近づく必要があるんだけど」
「…何の為だ。俺の傷を抉る為か?」
「な訳無いじゃん…捻くれ過ぎだろ」
リーフェウス達は全員『お前が言うか』と思ったが、全員その気持ちを込めた視線を送るだけに留めておいた。
「僕さ、気になってたんだよね。10年くらい苦楽を共にした仲間達が、『あんな事』で君を恨むと思うかい?『危ない時は必ず助ける』だとかの約束をした訳でもあるまいし」
「あんな事…だと…!」
再び、スカーヴの中に怒りの炎が燃え始める。
「最後まで聞けよ。そもそも当時の君は…いや、当時の君達は、碌に食べる物も無い上に、衛生環境も悪い場所で過ごしていた。そんな奴に誰かの命どころか、充分に自分の身を守れる力すら無いって事くらい、余程の馬鹿でもなければ分かる筈だ」
「だが…!それではあの時の声は!何と説明をつけるつもりだ!あの…悲痛な叫び声が!俺の呪いとなっているんだぞ!」
その『呪い』という言葉に、ラビアは複雑そうな顔をする。
「呪い…か。分かるよ…言葉はいとも簡単に、誰かを縛る呪いになり得る」
先程までとは様子の違うラビアの真剣な表情に、スカーヴは言葉を詰まらせる。
「話を戻そうか。僕が途中で抜けたのは、その『叫び声』の詳細を知る為だ。君、実際のところはなんて言ってたのか知らないんだろ」
「…ああ。だがあの声は確かに…俺の名を呼んでいた。それは間違い無い。あの状況と様子で俺の名を呼ぶなど…助けを求めていた以外に、何の理由がある?」
「あるだろ、あと1つ。それも…至極簡単な事さ」
スカーヴは黙って考え込んでいる。
「…まぁ、1人で分かるんなら僕らはここに居ない。答えを教えてやるよ」
ラビアは両手をポケットに入れたまま、少しだけ笑って答える。
「あの子達は…君に生きていて欲しかったんだ」
「…何だと?」
「だから…君だけでもあそこから逃げ延びて、真っ当に生きる事を望んでたんだよ。君の友達、全員ね」
「妄言を…あの幻覚達は…俺に絶えず呪いの言葉を吐いている。そんな世迷い言、信じる訳が…」
「幻覚?蜃気楼ですらない、君にしか見えない物が吐く君にしか聞こえない言葉を、君は鵜呑みにするんだ?…ハッ、君は僕が思ってるよりずっと愚かだったみたいだね」
その様子を見て、リーフェウスが少し焦った様子でラビアに耳打ちする。
「おいラビア…メンタルを折りにいってどうする」
「黙ってろよ…話す事に関して、『言葉の神』と張り合うつもりかい?」
「ハァ…分かった。話す事はアンタの専門だったな」
そんな2人のやり取りの横で、スカーヴは憔悴し始めている。当然、ラビアがそれを感知できない訳も無く…
「…信じきれないってのも無理はない。じゃあ見て来なよ、君があの時かけられた言葉の正体を…さ」
その瞬間、スカーヴの脳内に映像が流れ始める。それは紛れもなく、彼がマフィア狩りの道を歩むきっかけになった日の映像だった。
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銃声と悲鳴が鳴り響いている。まだ16歳の貧弱な子供達が、怯えながら逃げ惑っている。
(…)
その地獄のような光景の端に、スカーヴはかつての自分の姿を見つけた。戦う力も何も無く、ただ逃げる事しか出来ない少年の姿だった。
(…こんな物をわざわざ見せつけて…何のつもりだ?)
スカーヴが苛立ちを募らせていると、その耳に例の叫び声が聞こえて来た。ラビアが何かを施したのか、今度は銃声に邪魔されず、はっきりと。
「スカーヴ!」
(…)
彼らが発した言葉は…
「スカーヴ!逃げろ!」
「あなただけでも生きて!スカーヴ!」
(…!)
彼にとって、これ以上信用出来る物は無い。会ったばかりの飄々とした人間の言葉より、100倍信用出来る物だった。
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「…全く……どこまで…俺を困らせるつもりなんだ…」
スカーヴの目頭が熱を帯びる。そんなスカーヴを横目で見ながら、ラビアとリーフェウスが小さな声で話し合う。
「…なんか大人しくなったぞ…アンタすごいな」
「ハハッ…呪いが呪いに変わった瞬間だね」
しばらくして、俯いていたスカーヴが顔を上げる。
「……恩に着る。お陰で…同胞の意思を見誤るところだった」
「いや意思を見誤るって事に関してはもう手遅…」
ラビアが言い終わるより先に、萬屋の4人の拳が飛んでくる。
「お前達は仲が良いんだな」
「本当にそう見えるかい?なんの躊躇いも無しに同僚に腹パンする奴らだよ?」
「スカーヴ、もうマフィア狩りは辞めるのか?」
リーフェウスの唐突な問いに、スカーヴは真剣な表情で答える。
「いや、辞める事は無い。俺の同胞達の意思を知った以上、そんな者達の命を奪った奴らを…許す事など出来ない」
「…そうか」
「俺からも1つ。恩返しと言っては何だが、もしかしたら今後使えるかもしれない情報を渡そう」
スカーヴは鞘に収めた刀の柄に手を添えながら、聞き取りやすい声で話す。
「俺達赤月の使徒には、個別の能力とは別に月から与えられた力がある。俺達は安直に『奥の手』と呼んでいる。特に固有の名前は無いからな」
「その奥の手ってやつはどうやって使うんだ?」
「使徒によって違う。指定の感情をある程度高めた状態で、それぞれに設定された条件を満たせば使う事が出来る。大体分かっていると思うが、奥の手を使うと、見た目の変化の他に全ての能力が高まる」
その説明の一部から、リーフェウスはある事に気がついた。
「見た目?という事はアンタの奥の手って…」
「ああ。俺の発動条件は『反意』がある程度高まった状態で『1度死ぬ事』…全く、容易な条件ではない」
「なるほどな…」
一行が内容を理解し終えた辺りで、スカーヴは踵を返して言い放った。
「ではな、また会おう」
スカーヴは赤い霧の中に消え去った。
「…なんか、意外とあっさり別れたな」
「これが普通だよ。さっさと帰ろ」
「これは任務完了…かしら?」
「そうだろ。多分」
無事に任務を完遂した5人は、ゆっくりと帰路に着いた。




