第五十三話 夢追い人の理想郷
無事にラビアを蘇生したリーフェウスとメイは、現世に戻って夢中病を広めた悪神の居場所へと向かっていた。3人は今、何もない草原を歩いている。
「…まだ歩くのか?」
「当然でしょ。メイは移動手段が徒歩しかないんだから」
「すみません…」
「アンタが抱えて飛べばいいだろう」
「…君は乙女心ってもんが分からないみたいだね」
ラビアの死因が死因なので気まずくなるかと思われたが、案外普段通りの雰囲気だ。
「そういえば、アンタなら夢中病を広めた神の動機とか分かったりするんじゃないのか?」
「分かるよ。だからこそ『悪神』って呼び方は気に食わない…彼にも彼なりの考えがあるんだから」
「どんな動機なんだ?」
「言う訳ないだろ?少なくとも今は。何でもかんでも僕が教えてたらつまらないじゃんか」
「まぁそれもそうだな」
しばらく歩いていると、突然ラビアが立ち止まった。
「ここだよ」
『ここ』と言われても、目の前には何もない。強いて言うなら若干低木が生えている程度だ。
「ここ?何もないじゃないか」
「よく見てみなよ」
リーフェウスとメイが目を凝らすと、目の前の空間がぼやけて見え始めた。
「「おお…」」
「それどういう感情?」
「アンタなら聞かなくても分かるんじゃないのか?」
「会話が成立しないだろうが」
「…アンタが『つまらない』って言ってた理由がなんとなく分かった」
「これ…ここからどうすれば良いんでしょうか?」
「簡単さ。入るんだよ」
ラビアは躊躇い無くぼやけた空間の中へ進んでいく。その後に、2人も続く。
「何だここ…」
そこに広がっていたのは、外から見た様子とは全く違う、金色の光に包まれた庭園だった。点々と生えている木々にはリンゴやブドウが生っており、その木の陰などには幸せそうな顔をした人々が寝そべっている。
「…まさに桃源郷だね」
「ここの人達…妙に幸せそうな顔をしてますね…」
「前に聞いたが…今回の相手は『人の願いを叶える力』を持っているらしい」
「ここにいる奴らは皆、願いを叶えてもらったんだろうね」
3人は、庭園の奥の方を目指して歩き出す。その道中で、3人は様々な声を聞いた。
「幸せだ…!」
「最高!」
「やっと報われた…!」
「ありがとう…!」
これ以上ない程幸せそうな声を聞くたびに、リーフェウスとメイの中には迷いが生じ始めた。
「ラビアさん…私達がやろうとしている事は…本当に正しい事なんですよね…?」
その問いに、ラビアは冷淡な口調で答える。
「…人の思想に善いも悪いもない。『これ』があの神の正義だと言うのなら、僕達はそれに『僕達の正義』で応えるだけさ」
そのラビアの声は、どこかに今回の相手に対する嘲りが感じられた。
少し歩くと、正面に他の人々と比べていくらか目立つ青年を見つけた。白と青を基調とした司祭のような服装に、薄い水色系の髪、首辺りに緩く巻いたスカーフ、赤っぽい色の両目なども特徴的だが、最も特徴的なのは、後頭部に浮いている黄金に輝く法輪だ。
「おや…客人ですか」
その青年は落ち着いた口調で話す。青年は本を閉じ、ゆっくりとリーフェウス達の元へ歩いてくる。
「初めまして。私は『赤月の使徒』…『先導者』アルカディアと申します」
その名乗りを聞いた瞬間、ラビアの周りに魔力の奔流が溢れ出した。
「どうした?」
「いや…つい、ね…赤月の使徒か。チッ…面倒くせぇ…」
リーフェウスは『赤月の使徒』という文言が気になりはしたが、とりあえず置いておいてアルカディアに向き直る。
「貴方達は…どのような要件でここに?」
「世界中に広めた夢中病をどうにかしてくれ。その為に来た」
アルカディアは数秒間キョトンとしていたが、すぐにリーフェウスの意図を理解した。
「ああ…アレの事ですか。アレは病などではありませんよ」
「じゃあ何だって言うんだ」
「私はただ、人々の願いを叶えたに過ぎません…今、永遠の夢に身を置いている人は皆、今までの人生で1度は願っているのです。『永遠に夢の中に居たい』と」
「それは困るんだ…うちの大事な従業……仲間に居なくなられたらな」
「…今従業員って言いました?」
「気のせいだ」
リーフェウスの主張を聞いて、アルカディアは溜め息と共に言葉を返す。
「貴方は人々の願いを否定するのですか?ここにいる人達も…皆様々な苦難の果てに、ようやく幸福を手にしたのです。…現実を必死に生きたところで、救いなんて訪れない。『努力が必ず報われる』なんて、素直な善人を動かす為の甘言でしかないんですよ」
ラビアは、そのアルカディアの言葉を真剣な表情で聞いていた。そして、アルカディアは続ける。
「無理して現実を生きるくらいなら…例え虚構であったとしても、そこで幸せに生きた方が良い。虚構の世界に…永遠にいればいい」
そこまで聞いた時、ラビアが同じくらい落ち着いた口調でアルカディアに問いかける。
「へぇ…じゃあ僕の事も救えるって?」
「当然です…さぁ、共に参りましょう。無苦なる理想郷へと…」
その時、リーフェウスの中は密かに戦慄した。まさかラビアは寝返るつもりじゃないだろうな、と。リーフェウスは、リーフェウスなりにラビアの苦しみを理解していた。だからこそ、『救済』という言葉に釣られてラビアが寝返るのではないかと危惧したのだ。しかし、それは杞憂だった。
「黙れよ。俺を救う?お前如きが?お前は何も分かってない。お前みてぇな年齢二桁程度のガキが、世界の苦しみを理解した気になるんじゃねぇよ…!お前は知らないんだ…本物の惨苦を…!」
考えてみれば当然だ。ラビアほど捻くれた人間が、そんな言葉を信じる筈もない。
「それとリーフェウス…君僕を疑ったよな?」
「えっ…あ、いや…悪い」
予想外の拒絶をされたアルカディアだったが、決して声を荒げる事なく言い渡す。
「…私達は分かり合えないと言うのですね…それならば仕方ありません…あまり気は進みませんが…戦うしかないでしょう…!」
こうして、夢中病の元凶であり、夢と願いを司る神アルカディアとの戦いが幕を開けた。