第?話 雨の味
セツの仮面は顔の下半分だけを覆うタイプのやつです
セツには自身の生い立ちに関する記憶が一切無い。本名、種族、出身地など…何もかもが不明の存在。それがセツだった。セツの最古の記憶は、スケイドルの端の方で目覚めた自身の姿である。セツがまだ『セツ』という名前すら名乗っていなかった頃の話だ。
「ここは…」
セツは戸惑いを抱きながら、無意識のうちに人里を目指し始めた。幸い、セツが目覚めた場所は人里の近くだったらしく、少し歩けば集落が見えてきた。特に何をしようという当てもなかったが、とにかく通行人の女性に話しかけてみた。だが…
「ヒッ…何よアンタ!」
セツが向けられたのは、様々な負の念であった。特にセツが何かをした訳ではなく、セツ自身にその他の問題があった訳でもない。セツは諦めずに他の者にも話しかけてみたが、反応は全て同じだった。皆セツを恐れるような反応をしたり、セツを『化け物』と呼んだりと、散々な扱いを受けていた。しかし…
(得体の知れない者に突然話しかけられたのなら…当然の反応か)
セツはその事については特に何とも思っていなかった。そもそも、セツには普通の人間が標準装備しているような感情がほとんど備わっていない。姿形こそ人に見えるが、当時のセツは機械と呼んだ方が正しく聞こえるほどだった。
目覚めてから数週間ほど経ったある日、セツはいつも通りに恐怖や嫌悪の視線を向けられながら、当てもなく街中を歩いていた。その時セツの視界に、杖をついた少女から財布を盗んだ男の姿が映った。セツはまだ善悪の区別がよく分からなかったが、本能的に目の前で行われた行為を悪行だと理解した。その男の服のポケットから財布を盗り返すと、被害者の少女に返した。
「これはお前のものだな?外を歩く時は気をつけろ」
「え…ありがとうございます。気づきませんでした」
澄んだ声で返す少女は、深いお辞儀をする。セツは、少女の杖が気になっていた。
「その杖…何故持っている?」
「私は、生まれつき目が見えないんです。左目は完全に見えなくて、右目も弱視でほとんど見えません」
「なるほど…配慮の足りていない質問をしてしまったな。すまない」
「いえいえ、気にしてないですよ。あ、私は『マリ』って言います。あなたは…?」
「私は…セツだ」
「セツさんですか。良い名前ですね」
その時、セツは初めて『セツ』と名乗った。その言葉に、特に意味があった訳ではない。ただその時思いついただけの言葉だった。
「また物盗りに遭っては困るだろう。私が家まで送っていく」
「ありがとうございます。セツさん」
「敬語は使わなくていい」
「じゃあ…ありがとう、セツ」
2人はしばらく歩いた後に、小さな家の前へと辿り着いた。
「ここが、私の家だよ」
「1人で暮らしているのか?」
「うん。両親は、2年前に死んじゃったから」
「そうか…では、私はそろそろ帰るとしよう。帰る家など無いがな」
「あ…うん」
その時のマリは、どことなく寂しそうに見えた。
「何故そんな顔をする?」
「その…セツも、一緒に暮らさない?家…無いんでしょ?」
「…良いのか?他の人々は皆、私のことを化け物と呼び、恐れ、嫌厭する…そんな奴と共に住めるのか?」
すると、マリは優しそうな口調でこう言った。
「私の目が見えないのは…きっと、外見に囚われずに本質を理解する為の、神様の贈り物だと思うんだ。だから分かる…セツは、私が今まで出会った人の中で1番、優しい人だよ」
その時、セツは生まれて初めて『目の前の人間を守りたい』と思った。前述の通り、セツは強い感情を抱いたことがない。声を上げて泣いたことも無ければ、表情を変えて笑ったことも無い。故にその時抱いた感情も微々たるものだったが、今までで1番強い感情でもあった。そこに大した理由は無い。ただ、これほどまでに無垢で優しい心を持った人間を、セツは心の底から尊敬していたのである。
「そういうことなら…分かった。お前の親に代わり、私がお前を守ってやる」
こうして、セツに初めての家族ができた。それから、セツは職を探した。目が見えない為にまともに働くことの出来ないマリの代わりに、自分が生活費を稼ごうと思ったのである。様々な職場を転々とした結果、最もセツに合っていた職場は、とある男が率いている傭兵団だった。彼らは『移動式の何でも屋』と名乗り、各地を巡って様々な困り事を解決している。
「お前がセツか!歓迎するぜ!」
「ああ、世話になる」
「団員を紹介しようと思ったんだが…ほぼ全員任務で出払ってるな…まぁいいや。今いる奴だけでも紹介しとくぜ」
団長が『おーい』と叫ぶと、移動式住居の奥から銀色の長髪を携えた男が出てきた。
「なんだ団長殿…私が任務帰りだと知っての行動か?」
「新入りだよ。顔くらい見せとけ」
「君が新入りか…初めまして、私はカロス」
「私はセツだ。よろしく頼む」
セツが上手く挨拶が出来るのは、マリのおかげでもあった。
その日からセツは、多種多様な任務に赴いた。単独任務、集団任務、潜入、戦闘など…セツは要領が良かったらしく、初陣から大活躍を見せた。そうして報酬として得た金で、マリと2人で暮らしていた。
1週間ほど経った日の夜…
「おかえり、セツ」
「ああ。少し遅くなってしまったな。今夕食を作ろう」
「いや、たまには私が作るよ!いつも任せっきりだしね!」
「…そうか。なら、お言葉に甘えるとしよう」
1時間ほど経って、食卓には蕎麦や漬物などの和食が並べられた。
「…?」
「あ、初めて見る?って、私もあんまり見えてないんだけど…」
「ああ…今までは野生動物の肉や携帯食料しか食べてなかったからな」
「これは和食って名前で、旧世界の伝統的な料理なんだって!」
「なるほど…良い香りだ」
セツは、初めに漬物に箸を伸ばした。
「これは……」
「どう?美味しい?」
「ああ…とても美味だ。こっちの細長い食べ物も、良い味がする」
「気に入った?」
「気に入ったが…何故そう聞く?」
「だってセツ…ご飯食べてる時はちょっと笑顔になってるんだもん」
「笑顔…?私が?」
セツは戸惑っていたが、少し前に聞いたマリの言葉を思い出した。
『セツは…今まで出会った人の中で1番優しい人だよ』
「そうか…私は『人』なんだな」
「何言ってるの!当たり前でしょ!」
マリと共に過ごすことで、機械のようだったセツは段々と人間に近くなっていった。表情こそ変わらないが、代わりに感情が声に表れるようになった。
マリにとって、セツはかけがえのない家族であり、セツにとっても、マリは大事な家族であると共に、自分に『人間らしさ』を芽生えさせてくれた恩人だった。だが、変わらない物など存在しない。
セツとマリが出会ってから、1年半ほど経った日の事だった。その日のセツは、比較的遠い場所で任務に参加しており、帰りがいつもより遅くなっていた。帰りが遅くなるのはこれが初めてではないが、セツはこの日に限っては尋常ではない胸騒ぎがしていた。いつも任務帰りに行う打ち上げも不参加にして、酷い胸騒ぎと共にセツは一目散に家に帰った。
「何故…だ…」
玄関のドアを開けたセツの目に飛び込んできたのは、荒らされた家内、血で汚れた床、そして…自らを初めて『人』と呼んでくれた恩人、マリの遺体だった。
「誰が…誰がこんなことを…」
ただでさえ錯乱しているセツの心をかき乱したのは、家に残された犯行の痕跡だった。
複数人で押し入ったと推測出来る足跡。
床に一つだけ残された拘束具。
真ん中から折れた杖。
そして、マリの遺体の様子から分かる…性的暴行の痕跡。
セツは目の前が真っ赤になった。だが、セツは怒りに任せて報復に向かったりはしなかった。もしそれを行ってしまえば、自分は本当に化け物になってしまう…そう感じたからである。
そこからセツは、執念の調査によってたった1人で犯人の特定に至った。犯人は周辺に住む若い不良数人のグループであり、特定だけではなく裁判にまで発展させることができた。これで、ひとまず犯人に報いを受けさせることが出来る…そう安堵していた。だが…
「では判決を言い渡す。被告人は…」
「無罪とする」
それを聞いたセツは、思わず声を上げる。
「待て…今何と?」
「無罪だと言ったんだ」
そしてセツは、とうとう怒りを抑え切れなくなった。
「ふざけるな!どんな理屈でこの屑共が罪に問われないと言うつもりだ!戯言も大概にしろ!」
「少年法という法律があるのだよ…旧世界から受け継がれているルールなんだ」
「それだけか…たったそれだけで…私の唯一の家族を奪った者共はまた日の元を歩けると言うのか!?」
「ルールはルールだ。君に教えてやろう…ルールなんてものは、大衆…言い換えれば、多数派が決めているんだ」
「だから何だ!」
「多数派が決めたルールなど、多数派に都合の良いように作られている。旧世界の多数派達は選んだのだよ…『未成年は罪に問われない』という世界をな。少数派である君では、ルールの恩恵は受けられないんだ」
「そんな腐った規則など…私が…!」
「『変えてやる』とでも言うつもりかね?やめておきたまえ…この世界において、数は力だ。近隣住民も、君の同僚も、誰1人として君の素性を知らないそうじゃないか。そんな輩に味方がつくと思うかね?所詮、個は集には勝てないのだよ」
その時、被告人の席から嘲るような声が聞こえてきた。
「マジでウケたよな、アイツの死に様」
「だよな。ずっと『助けて、助けて』ってな。あと『セツ』ってずっと言ってたし」
そして、数人の不良達は一斉に笑い始めた。
一方で、セツの頭の中には様々な考えが巡っていた。
ーーーー『守る』と言ったのに、守れなかった
ーーーー自分を『人』と呼んでくれた人間を、死なせてしまった
ーーーー唯一の家族が、何よりも大切だった存在が、奪われた
ーーーーこんな奴らに…
「ハ…ハハ…フハハハハハハハハッ!」
「どうした?とうとう気が狂ったか?」
「貴様は先程こう言ったな…『私はルールの恩恵を受けることはできない』と…それは言い換えれば『私にルールは適用されない』とも言えるな?」
「ああそうだよ!お前は法律に守ってもらえなんかしねぇんだ!」
「さっさと帰れよ気狂い野郎が!」
セツは、依然として俯いたままだったが、突然顔を上げてこう言った。
「なら…私はもう貴様らのルールになど従わない」
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以下はスケイドルの某裁判所にて起こった惨殺事件の詳細である
裁判官、裁判長、被告人、聴衆、全てが心臓を貫かれて死亡しており、一部の遺体には鴉に啄まれたかのような傷が見られたことから、犯人を『黒鴉』と呼称する。
黒鴉は未だ捕まっておらず、調査が続けられている。
また、被告人と裁判長の席に遺体は無く、代わりに大量の血と肉塊が席付近に散乱していた。後の調査によって、その肉塊が被告人や裁判長だったものだと判明した。
また、本事件はこの500年後に起こった『鉄鬼事件』と同様に、『スケイドル二大凄惨事件』として知られている。
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「…」
雨が降る中、セツは血まみれのまま彷徨っていた。
(マリが…人と呼んでくれたのに。私に人間らしさを教えてくれたのに…それを私自身が否定してしまった…)
その時、セツは前方に見知った顔を見つけた。理由は分からないが、記憶の中の顔よりもいくらかやつれたカロスが、そこには立っていた。その姿を見るなり、セツの中の怒りが再燃した。
「貴様らは何をしている…!あのような善良な者を守るために!貴様らが居るのではないのか!」
セツは怒りのままに、カロスの心臓を貫いた。
カロスは抵抗もしないままに倒れ込み、ただ一言
「すまない…」
とだけ言い残して、絶命した。
セツはその場に座り込んで、ただ雨に打たれながら俯いていた。
何度も言った通り、セツは強い感情を抱いたことがない。あの激しい怒りも、もう自分から思い出すことは出来ない。それは2500年経った今でも変わらない。だが、ただ1つ覚えていることがある。
あの日の雨は、塩の味がした。
キャラクタープロフィール㉗
名前 マリ
種族 人間
所属 なし
好きなもの 散歩 食事 童遊び
嫌いなもの 雨(外を出歩けないから)
作者コメント
極端化した少年法の犠牲者。勘のいい人なら名前で気づいたと思うが、スケイドル人ではない。星導と並ぶレベルの善人。死ぬにしたってあんな胸糞悪い死に方してほしくなかった。セツと一緒に細やかな幸せを感じながら生きていてほしかった。




