9話
「あの…もう十分休みました。私はここにいる理由がありません。伯爵家へ…帰ります」
私はサッと両眼に目薬をさして、ベットから降りようとした。…が、フェルナンド様に制される。
「イルシス嬢は、今まで通りの生活を続けるつもりなのか?」
「はい。もう1年以上続けてきたので」
「1年?!…っ…それは、成人してからすぐに働いたということか?」
「あ…はい。翌日には今の仕事が決まったので、とてもラッキーでした」
「…ラッキー…?」
フェルナンド様は頭を抱えてしまったけれど…
お金が貰えて、食事付きのお仕事なんてラッキーでしかないでしょう?
こんな素敵な邸に住まう人には分からないかな…でも、伯爵家へ戻ってからは今が1番幸せなの。
「イルシス嬢は…貴族令嬢として生きたいとは思わないんだな…」
言われてみれば、そう思ったことはない。
魔法や魔術、ある程度の言語についての知識は師匠や薬師から教わったけれど…貴族としての教育は受けていないし、令嬢としてどう生きるかは考えたことなどなかった。
「私、礼儀作法も全く分かりませんし…魔眼持ちでは嫁ぎ先もないんです。
貴族として生まれて、家の役に立たない令嬢など“ゴミくず”同然なのだそうですよ?ご存知でしたか?」
父親からそう言われたのはいつだったかな?
あれ、フェルナンド様のこめかみに青スジが…。
「イルシス嬢は…ゴミなどでは断じてないっ!」
フェルナンド様がサイドテーブルを激しく拳で殴りました。
─ガシャーン!!─
オシャレな一輪挿しが床に落ちて割れる。
…あぁ…高価そうなのに勿体ない。
「失礼いたします!どうされました!!」
40歳くらいのメイド服を着た女性が、慌てて部屋へと走ってきた。
未婚の男女が同室にいる場合は、扉を少し開けておくことがルールらしい。花瓶の割れた音なんて丸聞こえね。
「フェルナンド様っ!お怪我は?!」
「メイド長…私は問題ない。すまないが、片付けてくれるだろうか」
「畏まりました、今すぐに」
この空気の中でも淡々とお仕事をこなすメイド長さん…流石。
私は黙って静かにすることしかできない。
再びフェルナンド様と2人きりになるまで…身動きせずジッとしていた。