大好き鏡
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
自分で自分を好きになる。
ややもすればナルシスト的思考にとられるが、生きていくうえではなかなか大切なことだろう。
いくら頑張っても、引きはがすことができない存在。そいつと四六時中、付き合っていかねばならないのだから、どうにか認めて、好きになっていかないとしんどすぎる。
自分を好きになるには、どうしたらいいのだろう?
僕はやはり、承認欲求が大切なんじゃないかと思う。よく生きていくうえでの三大欲求が挙げられるけれど、これは種を残す上で大切な行為。
けれど名を残すことへの願望は、あるいはそれらを上回る。寝食を忘れて、遊びや研究に打ち込む人がままいるようにね。
誰かに認めてもらえるのは嬉しい。そのためにはまず自分から……といきたいところだけど、時には奇妙なできごとに出会うこともあるようだ。
僕の昔の体験なんだけどね、聞いてみないかい?
僕も以前は、自分があまり好きではない人間だった。
はた目には、他の人と劣っているところはないといわれるけれど、とうてい信じられない。誰かを見ていると、自分の足りない部分をまざまざと見せつけられているような心地がしてしまう。
隣の芝生は青く見える、というやつか。とにかく相手のやること、なすことが気になるとともに、自分はどうしてあの域に届かないのかと、劣等感に駆られる。
どうにかして、彼らに追い付く方法はないだろうか。それも長い積み重ねを経るのではなく、あっという間に。
僕は相手を驚かせたいとも思っていた。できれば、当人の目の前で。そのためには何年も時間をかけるのではなく、今日明日にでも実行できる方法が必要なんだ。
わらにもすがる思いで、伝手をあたっていく僕は、やがて怪しいおまじないに行きついたんだ。
夜中に鏡を使うたぐいのもの。この傾向は、おそらく君もご存じのことと思う。
僕が教わったのも、それのひとつだった。とはいっても、もろもろの大仰な準備を必要としない。
あたりの明かりを消し、自分の顔がうつるあたりまで鏡に近づいて、「大好き」と何度も呼び掛けるのさ。
ゲシュタルト崩壊では、「お前は誰だ」と鏡の中の自分に言い続けるらしいが、これはその逆というわけ。
この「大好き」を繰り返していると、そのうち、ふらりと意識が飛ぶ瞬間がくる。
めまいか眠気か。あの一瞬だけ、記憶がなくなってしまうようなときがね。こいつが来たなら成功。一両日の間に、自分が望む力が得られるという話だ。とはいっても、魔法じみた非現実的なパワーには届かないらしい。
僕は家へ戻ると、さっそくその日のうちにおまじないを試みた。
自分以外に映るものが多いと、うまくいかないという。自然、暗闇が支配する夜中の時間帯に実行へ移した。
光源が少ないせいか、いささか青白く見える自分の姿へ対し、僕は教えられたとおりの言葉を繰り返す。
「大好き、大好き、大好き……」
恥ずかしい、などとは思わなかった。
明日には全国区で学力を測定するテストを、学校で実施するという話だった。これまでにも何度か行われていたが、個人的に鼻持ちならない奴がいて、僕よりいつも成績が上だったんだ。
今回こそは、あいつに目にもの見せてやる。
あいつはおそらく、僕のことなど眼中にないだろう。そう考えるとなおのこと悔しいが、この時は自分だけでも納得できればいいと、必死こいていたんだよね。
それから、何回繰り返しただろうか。
いまにも背後の闇から、自分の肩から。ぬっと何かが出てくるんじゃないかと思う瞬間を、幾度も重ねた時間のあと。
ふらりと、僕は頭がぐらつくのを感じた。
いまいるのは洗面所前。正面の鏡以外に、脇にタオルやドライヤーを乗せている棚がある。ふらつくまま、そこに側頭部をぶつけそうになったんだ。
ぐっと手で頭をおさえ、鏡を見据える。そこには苦々しい表情を浮かべる、僕がいるだけだ。自分がそう顔をしかめているのだと、実感できる。
来た時と同じように、めまいはすぐさま消えた。鼻とこめかみの奥に、じかに冷水を流し込まれたような涼しさが、残るばかりだ。
これで本当に、うまく行ったのだろうか。
いぶかしがりながら、僕は布団へ入ったんだ。
結論から言うと、手ごたえのある出来。それにたがわぬ結果が待っていた。
あいつは今回も、変わらずすごい。だが、今回の僕はそれの一歩先を行く。
悔しそうな顔をあいつはしない。「おめでとう」と祝ってくる。それがまた、僕を意識していないことの現われに思えて、内心では面白くない。
だがおまじないの効果は、実証されたといっていいだろう。
それからの僕は、ここぞというときにこのおまじないを使った。
一度、引き出せたスペックはそのまま。そこへ後付けされていく形で、僕は文武両道を地でいくようになる。
どこまでが本当の自分の力で、どこからが借り物の力なのか。
ふと頭をよぎることがあるも、周囲が手のひらを返して、見直していくのがこっけいに思えて、僕はついつい続けてしまった。
疎く、遠かった人間が近づいてくる様は、浅ましささえ感じられて鼻で笑いたくなったよ。
一度目にしちゃうとさ。いつまでも頭の中に残って、いくら他のいいところを見せられても、イメージが引きずられてしまう。役作りが大切な仕事の大変さを、間接的に知ることができた時期でもあったよ。
おまじないが、ほぼ願掛けとなってから1年が経った。
運動会を前日に控えた僕は、再び夜に、鏡の自分と向き合う。
年々、学年が上がるにつれて、平均値は底上げされていくんだ。前年と同じ力では、今年がどれだけ悪い位置にいるとも限らない。まるまる力をつけていかなくては。
そう思う僕は、また青白い自分と向き合った。
「大好き、大好き、大好き……」
そうだ。この望んだ力を振るえる自分が、やはり好きなんだ。
これまで勝てなかった相手の上をいく。どのような方法であったとしても、結果的に達することができればいい。そう、達することさえできれば……。
そう思い続け、もはや慣れためまいがやってくるのを感じ、それに身をゆだねようとして。
これまでより、いっそうの大きなぐらつき。抗うすべはなかった。
頭は前方。ガシャンと大きな音。遅れてくる痛み。
つむじから鏡へ突っ込んだ今の状態は把握できたが、すぐには元へ戻れなかった。
さながら磁石のS極とN極。離れようとしても、向こう側からしきりに引っ付こうとしてくる力を感じて、引きはがせない。
腕を棚にかけ、何度も何度も挑みかかる。それが不意に力が消えたときには、勢いあまって背後の壁へ、体ごとぶつかってしまったよ。
だがその瞬間に見た。
ひび割れた鏡の表面。飛びのいた拍子に、遠ざかる自分の顔、肩、背中。
その背後に、一足早く同じ姿勢で飛びのき、壁の向こうへ消えていったものがあったのさ。
とまどう僕とは対照的に、満面の笑みを浮かべた、もう一人の僕自身の姿をね。
運動会はさんざんだった。それどころか、他のことにおいてもすっかり僕は元の実力に戻ってしまっていたんだ。
あっという間に落ちこぼれた僕に、また周りは期待を寄せなくなってくる。またまた腹立たしさを覚えた瞬間さ。
もうくだんのおまじないをしていないが、僕は何となく思う。
あれはさんざん楽をして力を身に着け、おそらくほぼ完成形となった「僕」。
それが好きでやまず、手軽に奪おうとした、別の鏡より訪れた「僕」なのかもしれないとね。




