チャプター3.約束の当日(5:40~) (2)
(7:57~)
漫画版では、明里によって「借りようと思う本はいつも遠野くんが先に読んでる」と明言されている。映し出される貸し出しカードでは三枚中二枚で貴樹の名前が明里の先に書かれており、このシーンから強調されたのであろう。
なお、ここでも日付のズレは存在し、例えば貴樹が「6/16」に貸出をしていることになっているが、作中で二人が四年生であるはずの(貸し出しカードには、二人とも所属が4-3とある)一九九一年の六月十六日は日曜日である。一九九〇年と考えても土曜日である。このあたりは、特に厳密性が低くなっている。
(8:09~)
黒板には「五月十五日金曜日」とある。一九九二年に、この曜日は一致する。従って、これは二人が五年生の時、つまり出会ってから一年ほどした頃の出来事なのであろう。
(8:22~)
参宮橋駅付近から小田急線を見下ろす。次のシーンからすれば、この走っていく電車に貴樹が乗っているのだと思われ、回想から現在の時点に移り変わっている。豪徳寺駅を出発した貴樹の乗った電車が、明里と過ごした思い出のある参宮橋駅付近を通過したわけであり、貴樹の空間的位置と記憶の時間的位置が対応している。
シーン1-6:約束の日(2)(8:30~)
(8:30~)
小田急線新宿駅のホームから改札へ。現在も構造物の外観は大きく変わっていない。
(8:38~)
小説版において、券売機がタッチパネル式であることに貴樹が戸惑う描写がある。一九九五年頃というのは、東京でも、JR以外にはまだボタン式券売機が主流だった時期なのであろう。
なお台本では、構内放送について、乗り換えに関する案内に続いて、「左側のドアよりお降りください」云々という内容があるが、カットされている。
(8:48~)
新宿駅西口改札付近だが、その様子はさすがに大きく変化している。
(8:52~)
第二話(41:44)との対比に注意。ここでの貴樹と第二話の花苗は、同じような立場にある。
なお、筆者は鉄道の事情に全く通じていないので、鉄道関係について厳密な考証はできない。気づいた範囲の明確な事実についてのみ述べる。
(9:30~)
貴樹は武蔵浦和で乗り換えているが、快速を使うためだろうか。少なくとも現在は新宿から大宮まで直通で行くことが可能である。当時のダイヤについては不明なので、時間的な問題で乗り換えが必要な便をあえて使った可能性もあるだろう。
シーン1-7:回想(2)(9:45~)
(10:01~)
貴樹と親との関係については後述するが、この場面を見る限り、明里と仲がいいことを知っていて、その関係を見守ってくれている、というような印象を受ける。だが、そうでもないようである。
(10:05~)
明里は卒業まで同じ小学校に在籍していたようなので、厳密には「転校」ではないだろう。小説版では、この場面で「転校」という言葉は使われていない。
大きく写る漫画雑誌は「とっても!ラッキーマン」が表紙の週刊少年ジャンプのようである。おそらくこの表紙デザインそのもののモデルが存在するのであろう。この場面は小学六年生時点だと思われる(小説版では小学六年生の冬と明言される)。貴樹の部屋にあるカレンダーは二月となっているし、貴樹が中学校について「受かったのに」と言っていることからも、二月となりそうである。これまでに現れた日付からすれば、一九九四年の二月となるだろう。ラッキーマンの連載期間が一九九三~一九九七年であり、一九九四年にはアニメ化されている。雑誌表紙に「アニメ化決定」とあるので、このあたりは一致している。しかし、それによって作品内での日付のズレが、かえって明瞭になっている。また、そもそも貴樹がこんなものを読むのか?という気もするが、本作のわずかな描写や、小説版で明示されているところでは普通に社交的ではあるらしいので、そういう普通の年頃の趣味にも、手を出さないわけではないということだろう。個人的には、今ひとつ納得できないのだが。
また、明里が使っている電話ボックスも実在したらしいが、現存するかは不明。あえて公衆電話を使っているという行動には、明里の状況や心理状態が示されているようである。
(10:41~)
背景に引っ越し業者のトラックが通っており、その後信号で停車する。明里の目には入っていないようだが、明里の置かれた状況を強調する、ある種残酷な光景である。
なお台本では、この一連の電話のシーンで明里が使うのは「公園の電話BOX」となっている。また、トラックに関する描写に触れられていない。とすると、このトラックを描写するために、あえて道路に面した電話ボックスに変更したとも考えられる。
シーン1-8:約束の日(3)(10:49~)
(10:55~)
貴樹は大宮で乗り換えているが、現在は新宿から小山まで直通の電車もある。当時のダイヤについては不明。武蔵浦和での乗り換えと同様、時間的な都合で、あえて大宮乗り換えを選んだという可能性もある。
(11:11~)
貴樹が不自然な位置に立っているように見えるが、小説版によると、どうせ並んでも座れないだろうから、あえて乗車待ちの列から外れた、人の少ないところにいたらしい。その心境は、分からないでもない。
(11:26~)
東京であれば、雪によって交通が影響を受けるということは想像しにくいだろう。また、貴樹がこの後向かう岩舟までの間で、そのような大雪が降ることは、現実ではまず無いという。
なお本作には全く関係がないが、「天気の子」では東京でとんでもないことが天候を原因として起きる。
(11:48~)
大宮駅を過ぎるとほとんど何も見えなくなったというのは、雪で視界が悪いということを考えても言い過ぎだと思われる。空想の物語に写実性を求める必要はないだろうが、このあたりの描写は、貴樹の孤独感、不安感を強調するために誇張されたものと考えるべきであろう。また、ドアを閉めるボタンに関する男性とのやりとりは、小説版にはない。