チャプター10.26歳の日々(48:31~)(1)
(チャプタータイトル)
タイトルで二十六歳ということが示されているが(誰が、という点については、貴樹、明里、花苗であろう)、作中にはそれを直接明言する場面はない(日付を読み取れる部分はあるので、計算することはできる)。とはいえ、二十六歳という数値そのものにはあまり意味はなく、大人になったある時期のエピソードである、ということだろう。
身も蓋もないことを言えば、公開時期の二〇〇七年に近い時期を現在として、その時に大人であることを基準に置き、小学生時代(第一話)、高校時代(第二話)と時系列を配置した結果が二十六歳という年齢だったのであろう。これが二十五歳でも二十七歳でも、特に影響は無いように思われる。もちろん、それぞれのエピソードの時期を何年に設定するか、ということには、何かしらの意図は読み取れる(第一話での再会の日付や、第二話のロケット打ち上げの時期など)。
閑話休題、第一話では一九九五年の三月に貴樹たちが中学一年生だったため、十二年後の二〇〇七年四月から二〇〇八年三月ということになる(第二話からすれば八年後)。具体的な時期については、読み取れる箇所で述べる。
なお内容からすると、主に貴樹の「日々」であるようだが、明里についても多少描写される。花苗については全く触れられない。それは、何度か言及した漫画版最終話で行われている。
シーン3-1:春を歩く貴樹(48:43~)
(48:43~)
新宿の高層ビル街の遠景。この後の新海誠作品でも繰り返し描かれる場所である。
(48:45~)
こういった場面はモデルになったアングルも特定できそうだが、筆者はしていない。また、飛んでいく鳥にも注意。
(48:50~)
新海誠展では、いくつかの年代の新海誠の作業環境を再現したものも展示されている。それによればマッキントッシュを使用していたようなので、貴樹の使用している機材も、それがモチーフなのであろう。また、アップルのロゴが改変されずに使用されているように見える。
(48:52~)
「2008年3月」と書いてある。この場面は、第三話(また、本作全体)で描かれる中では最も遅い時期にあたる。
(48:54~)
マウスには「Logicool」のロゴが特に改変されずに見えている。
なお、有名なのであえて述べる必要も無さそうであるが、「Logicool」はスイスの周辺機器メーカー「Logitech」の日本向けのブランド名。二〇〇八年当時から現在(二〇二四年)に至るまで、有力なメーカーである。
(49:01~)
画面奥の卓上カレンダーは、わずかに読み取れる部分で分かるようにNECのものである。二〇二一年現在も、ほとんど同じものが営業担当者などから配布されるようだ。一般に入手できるのかどうかは不明だが、貴樹が会社で使っていたものだったのかもしれない。作画の元になった実物があるのだろう。
また、左下のマスに斜線が入っているが、月曜日始まりと考えれば、二〇〇八年三月はこのような表記になる。
(49:06~)
貴樹は窓を開けっぱなしで外出したのであろうか。
(49:10~)
第一話の00:22と同じ場所、同じアングルだが、工事が行われたらしく、大きく変化している。貴樹の左手には桜の木が一本だけあるが、第一話ではもっと多くあった。
また、画面左奥のビルはNTTドコモ代々木ビルであろう。49:14でより大きく写る。第一話の時点では描写されていなかったが、一九九七年着工、二〇〇〇年竣工であるためだと思われる。貴樹が過ごした場所の時間に伴う変化の一つの象徴となっているようだ。
(49:19~)
この踏切は第一話冒頭で描かれた場所と同じだと思われるが、そこでは描かれなかったアングルである。また、貴樹のすれ違う女性の服装は、第二話で貴樹の夢に現れた女性のものと同じであることにも注意。
なお、あえて「貴樹のすれ違う女性」という慎重な言い方をしたが、言うまでもなく明里だと考えて間違いなく、実際、台本でも明言されている。
シーン3-2:夜の新宿の貴樹(49:49~)
(49:49~)
新宿駅、中央線ホーム。新宿駅の描写については細かくカットが切り替わるため、詳細は省く。主に西口から新宿住友ビルまでの道のりが描かれる。
(50:50~)
ごく短時間しか写らないため読み取り困難だが、水野の携帯電話には「12月24日(月) 00:49」と表示されている。チャプタータイトルの注釈で述べたことからすれば、二〇〇七年一二月二十四日となるだろう。曜日も一致する。ただそうなるとこの場面は、実質的に日曜日の深夜ということになるのだが、そんな時間帯でも新宿駅ではタクシー待ちの行列ができるのであろうか。
なお小説版では、この日に相当すると思われる場面は、「金曜の夜」「クリスマス」とされる。上述の通り、時期が一致していないように見えるが、小説版はそもそも年代を特定できるような情報がほとんどないため、最初からそういう厳密性は重視されていないのであろう。ただ、小説版では貴樹がタクシーを諦める理由となった、客の列ができている理由として上記の金曜の夜といったことが挙げられているため、映画版では貴樹がわざわざ歩くことになった動機の説明が弱くなっている、という点については、一応指摘しておく。




