表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/107

一 地勢 1/4

 遠野郷とは西暦2021年現在の岩手県遠野市のことで、山々に囲まれた平野です。

 明治には遠野、土淵つちぶち附馬牛つくもうし、松崎、青笹あおざさ、上郷、小友おとも、綾織、鱒沢、宮守、達曽部たつそべの1つの町と10の村に分けられていました。


 明治30年(1897年)-昭和29年(1954年)まではかみ閉伊へい郡に属し、

 明治12年(1879年)-明治30年までは西閉伊郡、それ以前は閉伊郡に属していました。

 (閉伊郡は延久2年(1070年)の延久蝦夷合戦により蝦夷から日本に編入された時に作られました。

 閉伊の言葉は霊亀元年(715年)の『続日本紀』という書物に『閇村』という地名が、弘仁2年(811年)の『日本後紀』に『弊伊村』という地名があるそうです)

 中世には遠野保とおのほとも呼ばれていました。


 今日こんにちの市役所がある場所は、つまり元は1郷の中心で南部家一万石の城下町でした。

城は横田城とも言われます。


 明治においてこの土地に行くには花巻の停車場で汽車を降り、北上川(1級河川)を渡り、その支流である猿ヶ石川の渓を伝って、東に13里(約51km、だいたい大阪から京都までです)ほど進まなければいけませんでした。

 現在はJR東日本の釜石線が通っていて、新花巻で東北新幹線から乗り換えられます。


 山奥にしては珍しくにぎわっています。(東京や大阪と比べてはいけません)

 言い伝えによると大昔の遠野郷は全て湖で、その水が猿ヶ石川となって人界に流れ出たので、このように山々に囲まれた平野になったらしいです。

 だから川が非常に多く、俗に『七内八崎ななないやさきあり』と言われています。

 『内』は『沢』または『谷』の事で東北の地名に多いです。



 遠野の『トー』はアイヌ語で『湖』。『ナイ』はアイヌ語で『小さい川』を指します。(例、稚内わっかない)

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ