人は見た目で判断しません(14)
「おはよう。ううん?もう夜だからオソヨウ?どっちでも良いよね。よく眠れた?」
目を開けるとメイが私の手を握りながらほほ笑んでいた。私は熱せられた鍋に触れたときのように反射的に手を引いた。メイは驚いたようだったが気にした様子もなく、顔には陽だまりのような笑顔を浮かべている。彼女が握っていた私の手には包帯がぐるぐると巻いてあるのが見えた。少し遅れてどうやら私は屋敷にある自室のベッドで寝ていたのだとわかる。
腕だけでなく全身に治療のあとが見てとれた。動かそうとすれば痛むが、この様子からすると打撲程度だ。歩けないほどではない。
「私はどのくらい寝ていたのですか」
頭がよく回らない。寝起きだということもあるだろうが、まるでまだ夢の中にいるかのようだ。記憶が霞んでよく思い出せない。
「うーんと。昨日の夜からずっと寝ているから一日中寝てたよ!よっぽど寝不足だったんだね」
「そうだ、昨日の夜。あれからどうなったんですか!?ジルは、仲間は、エリックさんは?」
あの夜、エリックさんの攻撃が風精霊の鋭刃を消し去ったあと、その余波に私も飲み込まれた。そのあとの記憶がない。
「エリックお兄ちゃんだったら今頃はまだ宿にいるんじゃないかな。本当は今朝出発するつもりだったらしいんだけど全身筋肉痛で動けないんだって。だらしないね。魔法のはんどう?なんだって」
やはりあの動きは魔法によるものか。実力以上のものだったのだろう。よほど無理をしていたのだ。恐らくは筋繊維のいくつかは損傷しているのだろう。それだけの動きだった。
「ジルは一体どうなったのですか?」
「領主様はよくわからないんだけど、『ようぎしゃ』になったから兵士たちに連れていかれちゃった」
ジルは逮捕された?状況がつかめない。焦るな。いまは状況を把握することが第一だ。
「それにシルビアさんって人、凄いんだよ。オークション会場を一晩で全部壊しちゃったんだって!大人の人たちがずっと見つけられなかったのに凄いよね!」
シルビア。エリックさんと一緒にいた魔族の女か。なるほど、昨夜のうちに連続してオークション会場を襲撃していたのは彼女だったか。
「他のエルフの仲間はいまどこにいますか?」
屋敷の中から話声や足音が聞こえない。ジルは私が裏切る万が一の場合に備えて傭兵を仲間たちの近くに配置していたはずだ。最悪の結果が頭に浮かぶ。
「今頃は町で兵士たちが話を聞いているところだよ。エルフのみんなもジルに命を狙われてて危ないところだったんだって。でもエルザさんとキースさんが手分けしてみんなの安全を守ってたっていってたよ」
どこまでも抜け目のない。自分が最も危険な場所にいながら、それでも私のために戦力を削ぐなんて。一つ間違えば自分が死んでいたというのに。最初からあの男は私を救うつもりだったのだ。
「エルフの人たちがこの町でこれからどう暮らしていったら良いのかみんなで話し合うんだって。『エルフももうこの町の仲間だから見捨てられない』って」
終わったのだ。メイの話を聞いて詳細こそわからないが、私が背負うべき宿命は全て一夜のうちに消滅したのだと悟った。ジルは捕まり、オークション会場も全て破壊された。仲間たちがこれ以上、危険にさらされることもない。
「それでね。屋敷はだれもいなくなるからメイヴのそばにいてあげてってエリックお兄ちゃんに言われたの。一人だと寂しいもんね」
メイはエリックさんから託された使命を誇らしそうに語る。その傍らで私は安堵の息を漏らす。
あとは残された咎人が報いを受けるだけなのだと、自分の末路を理解する。不思議と恐れはない。恐怖や後悔よりも仲間を守りきれた、そしてこれ以上罪を犯すことがないという安堵が全ての感情に勝っていた。もう他に何も望むものなどない。
「どうしたの、俯いて?具合でも悪いの?」
一向に表情が晴れない私の顔をメイは心配そうにのぞき込んでいる。
「もう怖い人たちは逮捕されたから大丈夫だよ」
「いいえ。怖い人ならまだ残っています。ほらここに。」
私はまるでナイフでも突きつけるかのように、自身の人差し指と中指を自分の胸へとあてた。可能であればそのまま心臓をえぐり取ってしまいたかった。
「メイヴは全然怖くないよ。むしろ優しいよ」
メイの目には一切の曇りはなかった。信じているのだろう、心から。その信頼は私の胸を蛇がそうするようにギリギリと締め付ける。
「私はあなたとこんな風に話していて良いものではないのです。多くの命を犠牲にしてきました」
「よくわからないけどエリックお兄ちゃん言ってたよ。メイヴは騙されただけだって。何にも悪くないって。他のみんなもそういってたよ」
「騙されていたからと言っても、自分が犯した罪の重さは変わりません。私がどんなにこの先、悔い改めたところで私の道はもう明るい場所へはつながっていないのです」
「でも私を助けてくれたよ」
「広場でガーゴイルからあなたを守ったのはただの気まぐれ。自分にも危害が及びそうだったから刃を振るっただけです」
「オークション会場で私たちを助けてくれたのも、自分の身を守るため?」
心臓がドクンと跳ねる。メイは変わらずまっすぐ私を見据えている。嘘つきを糾弾するのではなく、それはシスターが信者の懺悔を促すような誠実さに満ちていた。
「エリックお兄ちゃん言ってた。私たちが捕まったとき、壁に穴を空けて道を作ってくれたのはメイヴだって」
「何を言って」
「『あんな強い風魔法を放てるやつが他にいるかよ』だって」
そうだ。私もあの会場にいた。オークション会場に何か不測の事態が起こったときに対処できるように。あの檻を見たときは自分の眼を疑った。メイを守ったつもりでいたが、私が台無しにしたガーゴイルの代わりに彼女は連れてこられたのだと知ったとき、納得がいった。
私が誰かを助けられるはずがない。誰かを救おうとしたことが結果として誰かの不幸を招く。常にそうだったじゃないか。気の迷いで行動を起こすべきではないのだ。仮にここでメイを助け、そのことが露見すれば、次こそは仲間たちに危険が及ぶ。今更、善人ぶるな。私はこのオークション主催者の仲間なのだ。
だから、エリックさんがメイを庇い戦っていたあの瞬間、彼を殺そうとあの魔法を放った。少なくとも直前までは。ただもしかしたら、今度こそはと。煮え切らない感情とも思考とも判断がつかない何かが私の攻撃をあのように誘導した。私には無理でも、彼ならばもしかしたら。
「たった一回」
私は流されまいと、意地になるように言葉を紡ぐ。
「たった一回、気まぐれで、人を助けたところでこれまで幾度となく人を殺し続けてきた私が許されて良い訳がないんですよ!。そんなことは間違いなんです!」
「その一回で私は救われたよ」
メイは私の手を再び握りながら言い切った。抜け出そうとする私の手を今度は両手でしっかりと。
「助けてくれてありがとうね、メイヴ」
ああ、なんてこの手は暖かいのだろう。
良いんだろうか。私のような存在が感謝などされて。良いんだろうか。何かが報われたような気持ちになっても。
「今まで独りで頑張ってたんだね、お疲れ様」
気付けば私は人目を憚ることなく泣き出していた。酷い有様だっただろう。しかしそんな私をメイは両手でしっかりと受け止めてくれた。時間にしてどのくらいだったのかはわからない。延々と泣きじゃくる私を包んでくれたメイは天使のようだった。
「もう大丈夫?」
気付けば私の涙は出し切り、声も枯れ始めていた。不思議だ。涙が流れるときはいつだって悲しいときで、後に残るのは空虚な残滓だけだった。しかし、今は胸の奥底に渦巻いていたドロドロとしたものは涙となって流れ切り、空っぽになったはずの場所には暖かなもので溢れていた。
「ええ、もう大丈夫です。私はもう大丈夫なのです」
自分で自分を縛り付けた挙句、そうせざるを得なかったのは周りのせいと、勝手に世界を呪った。そんな私の鎖を引きちぎり、ほかでもない私が蔑ろにしてきた私を掬いあげ、救い上げてくれた人がいた。最後まで諦めず、どこまでもまっすぐ私に手を差し伸べて続けてくれた。
この世界のどこかには必ず誰か助けてくれる人がいるということをあなたが教えてくれました、エリックさん。
重ねた罪の所在を誰かに押し付けることなどもうできない。私は昨日までの自分を切り捨てることはもうしない。償い切れない罪業だというのなら、せめて償えるだけは償おう。完済は無理でも利子ぐらいにはなるだろう。
無責任ではないか?そんなことを私のなかで誰かがいう。そうかも知れない。ただ、こんな私を見限らなかった人がいたのだ。少なくとも彼の行動が良いものであったと私は証明する必要が、いや、したいと思うのだ。
「メイヴ様、お目覚めになられましたか」
気付くとドアが開いていて、エルフのまとめ役たちが部屋に入ってくるところだった。




