教会
奇妙な夢を見た。
体が浮いた状態で、トンネルの中を飛んでいるという夢だった。
トンネルは別段暗くはなく、高速道路でよくあるようにタイル張りで、オレンジ色の光が満ちていた。
トンネルの先は全く見えず、延々と続いているようだった。
時々、行先を示すであろう矢印が描かれた緑地に白字の看板が取り付けてあったが、文字を読むことはできなかった。
しばらく、そのまま飛び続けたあと、行先に白い光が見えた。出口だ。
僕はやっと出口か、なんてことを思いつつ、その光に向かって飛んで行った。
出口に到達したと思ったとたん、不意に体が落ちるような感触があった。
僕が目を覚ますと、そこはベッドの上だった。
しかし、スヴェトラーナさんが貸してくれたベッドではなかった。
質素な石造りの壁と、板むき出しの天井が目に入る。見慣れぬ天井だ。
ガバリと起き上がる。思考をめぐらす前に、隣から深みのある落ち着いた声が聞こえた。
「気が付かれましたか。」
僕が声の主に目をやると、そこには黒い立て襟の服を身にまとい、首からロザリオを下げた細身の中年男性が椅子に座り、こちらに微笑んでいた。
青葉「ここは?」
「ここはアイガシーキ・カトリック教会。あなたはすぐそばの道端で倒れられていました。」
青葉「教会……。」
「ええ、散歩に出ていたオーガスタがあなたを見つけてくれました。」
僕は考えを巡らせる。確かグニェズドヴォにも教会はあった……しかし、壁の材質はもっと分厚いコンクリートのような
ものだった記憶がある。
そしてさっき見た夢。あれはまるでどこか別の場所へ移動することを示唆するような夢だった。
「ともあれ、無事なようでよかった。申し遅れました。私はこの教会で司祭をしています、ランドルフと申します。」
男性がニコニコしながら自己紹介をした。
僕は思考の整理をしつつ、自己紹介を返す。
青葉「僕は高松青葉といいます。」
ランドルフ「タカマツ……さん、なるほど、東アジアからお越しですか?この辺りは観光客もいますが、まれに物取りなども出ますからね。」
青葉「いえ、僕は」
僕は言葉に詰まる。また嘘をつくべきか?いや、そんなことをして後で信頼をなくすくらいならもう最初から狂人として扱ってもらった方がいいかもしれない。
誰もがスヴェトラーナさんのようとは限らないし、何よりここは教会だ。よほどのことがない限りは狂人として突き出されることはないだろう。
青葉「僕は、昨日までソ連にいました。」
ランドルフ「ソ連に‥?」
青葉「眠って、起きたらここに。」
ランドルフ「……」
ランドルフさんが怪訝そうな顔になった。やはり信じてもらえないか。
ランドルフ「……ふむ。混乱しているかもしれませんね。起きることはできますか?」
青葉「はい。」
僕はベッドから降りた。道で寝ていたせいか、若干体が痛いが、特には問題ない。
青葉「大丈夫そうです」
ランドルフ「それはよかった。もうすぐ祈りの時間なので、よろしければご同席ください。」
青葉「はい、ですが僕はあいにくキリスト教についての知識がなくて。」
ランドルフ「大丈夫ですよ、最初は参列されるだけで構いません。あなたの荷物はそこに置いてありますからね。」
ランドルフさんは部屋の外に出て行った。
僕は自分の荷物を確かめる。身分証や旅券などはスヴェトラーナさんの家の居間に置いたままだったからなかった。
入っていたのは買ってもらった着替え、簡単な生活用品、いくらかのロシアルーブル、そしてニコラーエフさんから餞別にもらった本だった。
本は痛まないように分厚いカバーをかけてもらっていた。
なんとなく開いてみたときに初めて気が付いたが、僕はその本に書かれた文字……昨日まで理解できていた文字を一切読むことができなくなっていた。
服を着替え、本とルーブルを持って部屋の外に出る。そこにはさっきとは別の男性が立っていた。
「お、でてきましたね、神父様や子供たちがお待ちですよ。こちらへ。」
さっきの神父より年を取っているように見える男性が僕を聖堂まで案内してくれた。
聖堂はいわゆる「RPGによく出てくる教会」と似たような作りであり、教会に一度も言ったことのない僕は本当にこんな場所があるのかと
ちょっと感動してしまった。
聖堂には神父のほかに、何人かの子供たちがいた。
ほとんどの子が小さい子だ。一番大きい子でも小学校高学年くらいだろうか。
僕が到着したのを確認し、ランドルフ神父が大きな十字架の前にたった。
「すべてを造り、治められる神よ、いつくしみ深いみ手の中で始まるこの集いを祝福し、み旨を行うことができるよう、私たちに知恵と勇気を授け、導いてください。
私たちの主イエス・キリストによって。 アーメン。」
はじまりの祈りがささげられ、先ほど案内してくれた男性がパイプオルガンを弾き始める。
賛歌が歌われ、聖書の一部分が子供たちによって朗読される。
僕は何もしていないので若干居心地が悪かったが、退屈というワケではなかった。
ランドルフ神父が結びの祈りを述べたあと、こちらに向き直る。
ランドルフ「それでは皆さん、今日もなすべきことをいたしましょう。」
子供たちが一人ずつ出ていく。通った4人は全員がこちらをちらちらとみて、不思議そうな顔をしていた。
最後の女の子、唯一小学校高学年くらいに見える女の子だけがこちらに話しかけてきた。
「あなた、倒れてた人だよね?大丈夫?」
青葉「…うん、ありがとう。大丈夫だよ。」
「そう!よかった!わたしはオーガスタ!これから学校だから、またあとでね!」
その女の子はニコッと笑うと早足で出ていった。
ランドルフ「彼女があなたが倒れていることを知らせてくれました。」
ランドルフ神父がこちらに歩み寄る。
ランドルフ「体の方は大丈夫そうですね。」
神父は少し安心したような顔になったが、僕が本と外国の通貨を持っているの気が付き、不思議そうな表情になった。
ランドルフ「おや、それは?」
青葉「これは、僕が昨日、ソ連のスモレンスクにあるグニェズドヴォという町でもらった本なんです。僕は昨日、そこにある
スヴェトラーナさんのお宅で睡眠をとっていた。そして目が覚めたらこの町に……ランドルフ神父とお会いした部屋にいました。
昨日まできちんと読めていたこの文字も、今日になったとたん、読むことができなくなったんです。あの、ここはどこなんでしょうか?」
ランドルフ神父は少し間を開けて、口を開いた。
ランドルフ「…ここは、エルジア王国、ブリティッシュコロンビア州、バンクーバー島にあるアイガシーキという町です。」
ランドルフ神父 名前は航空母艦ランドルフから。
オーガスタ 名前は重巡洋艦オーガスタから。
アイガシーキ 教会が絡むことに実在の町を使うのは気が引けるので架空の都市を作っています。
バンクーバーのどこかに存在する設定です。
名前は「イキスギ」のモノグラムをちょっと英語風にしようとしたものです。