異世界の家
青葉「おじゃまします。」
スヴェトラーナさんのお宅にお邪魔した。
スヴェトラーナさんがリガを外につないでいる間に玄関から中の様子を見る。
家の中はなかなか暖かく、おまけにかなり広い。
明らかに元の世界の家とは違うが…ひょっとしたら、元の世界でも外国の家というのはこんなものなのかもしれない。
スヴェータ「さ、これで足をふいて。ここにうちの息子が使っていなかった靴と靴下があるわ。大きさ合わないかもしれないけどとりあえずこれを履きなさい。」
青葉「ありがとうございます。」
足の裏を見る。砂や泥、杉の葉っぱなどがついていて汚れていたが、奇跡的にけがなどはなかった。
靴を履いて…かなりぶかぶかだった…スヴェータさんについていく。
スヴェータ「若い男の人がここに来るのなんて久しぶりよ。孫はまだ小さいし。さ、ここに座って少し待っていてね」
スヴェトラーナさんが僕を食卓に招き、台所へ消える。
せっかくなのであたりを見回してみる。
食卓は小さく、2-3人分の皿を並べたら隙間がなくなりそうだ。
ソファの上に新聞がたたんでおいてあり、新聞の見出しには「女王陛下がSu-57複座型の試験機を……」という文章が書いてあった。
新聞の本文は読めたが、これまで見てきた新聞とは違い横書きで書かれていた。
本棚には赤い背表紙の冊子らしきものやアルバムがまとめてあり、その横の小さな机にはいくつか写真立てが乗っていた。
スヴェータ「待たせたね、たくさんスープを作っておいて良かったわあ。」
スヴェトラーナさんがスープをよそって持ってきてくれた。黒い色のパンも一緒においてくれた。
それを見たとたん腹が鳴った。考えてみたら朝から何も食べていない。
青葉「い、いただきます!」
手を合わせてからパンにかじりつく。硬い!
スヴェトラーナさんがくすりと笑う。
スヴェータ「そうじゃないわ、そのパンはスープにつけて食べるのよ。」
言われたとおりにつけてみる。スープに使った黒パンはちょうどいい柔らかさになり、パン自体の味と
スープの塩味がちょうどよく調和してとてもおいしい。
僕は見知らぬ人間の家だということも忘れ、がつがつと出された料理を食べた。
青葉「ごちそうさまでした!」
スヴェータ「ふふ、おいしかったようだね。良かったわ」
青葉「はい、とっても!ありがとうございます!」
ご飯を食べたら元気が出てきたが、それと同時に思考も戻ってきた。
スヴェータ「さて…相変わらず何も思い出せないかい?」
青葉「……ええ。すみません。」
スヴェータ「謝ることはないよ、可哀そうにね……あの森の中で強盗にあうだなんて、何とも罰当たりな強盗もいたもんだ。」
青葉「あの森?」
スヴェータ「そう、アオバが倒れていた森さ。あの森はカティンの森というんだ。」
青葉「…カティンの森…」
カティンの森。どこかで聞いたことのあるような名前だ。でもどこで聞いたのか思い出せない。
スヴェータ「あの森は以前とある事件があったのさ。」
スヴェトラーナさんは少し怖い顔になった。
青葉「事件…」
スヴェータ「ふふ、アオバにする話じゃないね」
スヴェトラーナさんはまた笑顔に戻り、食器を片付け始めた。
スヴェータ「少し休憩したら警察に相談しに行こう。大丈夫、あたしはこの辺りでは顔が利くからね」
青葉「はい…」
僕は食卓から立ち上がり、部屋を見回し始めた。
食器棚があり、掛け時計があり、暖炉があり、その横には地球儀が…
僕は目はその地球儀にくぎ付けになった。
その地球儀はちょうど、太平洋北部のあたりをこちらに向けていた。
今までどんな地図でも見たことのない島がいくつもある太平洋を。
僕はその地球儀に近づき、あらゆるところを眺めだした。
まず日本だ。日本はそのまま日本と書かれている。しかし、中国や朝鮮半島の部分はいくつもの国に分かれていて、
逆にオセアニアは多くの国が「スファムトネシア連邦共和国」と「国連直轄領」にまとめられていた。
元の世界でたくさんの国に分かれていた中央アジアは「ベークルナット連邦」という黄色で塗られた国で埋められており、
ヨーロッパの国もすべて見たことのない名前に代わっていた。
アメリカとカナダはほとんどそのままだったが、それぞれ「サラトガ合衆国」「エルジア王国」という名前に代わっていた。
北太平洋にはいくつも見たことのない島があり、それぞれに名前がついていた。
不思議なことに南太平洋の方にはニュージーランドが反転したような国がある以外は何もなかった。
このとき、僕は一つの確信を得た。
この世界は異世界だ。僕の想像していた異世界とは全然違うけれど、確かに異世界だ。
僕は、異世界に転移してしまったんだ。
スヴェータ「アオバ?どうかしたのかい?」
スヴェトラーナさんが後ろから声をかけてきた。
青葉「あっ、えっと…」
とっさに辺りを見回し、本棚の横の写真立てに目が留まった。
青葉「この写真の人は?」
スヴェータ「ん?ああ…」
スヴェトラーナさんは写真立てに近づき、懐かしそうでもあり、寂しそうでもある顔を浮かべて写真立てに近づいた。
スヴェータ「これはあたしの旦那さ。」
そう言われて見せられた白黒写真には椅子に座るとてもきれいな女性と、その後ろに立つ背の高い男性が映っていた。
スヴェータ「こっちは息子と、嫁、孫たちさ」
もう一つの写真はスヴェトラーナさんと、さっきの男性によく似た雰囲気の男の人、やや大柄な女性、小学生と幼稚園児くらいの子供2人が映っていた。
青葉「あの、旦那さんは…」
スヴェータ「死んだよ。大祖国戦争でね。」
青葉「大祖国戦争…」
スヴェータ「そう。50年以上前の。帝政主義者たちと共産主義者たちとの戦いさ。」
僕はスヴェトラーナさんがいつになく複雑そうな顔をしているのに気が付いた。
青葉「すみません、ヘンなこと聞いてしまって」
スヴェータ「いいんだよ、そんなこと。息子の方は今は航空機の製造メーカーで技師をやっているんだ。孫たちは6歳と3歳。モスクワに住んでるから結構会いに来てくれるんだ。」
スヴェトラーナさんが明るい顔に戻り、家族の話をつづけた。
スヴェータ「アルバムもあるんだよ、見てみるかい?」
スヴェトラーナさんが本棚からアルバムを取り出し、こちらに見せてきた。
スヴェータ「これがあたしが衛生兵だったころの写真、こっちが旦那と戦車を写した写真だね。それでこれが…」
スヴェトラーナさんが話を続けているが、僕はうなずきながら少し別のことを考えていた。
この世界には、日本がある。さっきの地球儀を見る限り、元の世界と同じようになっているのは日本だけなのかもしれない。
この世界の日本に行けば、何かわかるかもしれない。ひょっとしたら、戻ることもできるかもしれない。
そのためには……
青葉「スヴェトラーナさん。」
スヴェータ「うん?」
青葉「この街に、図書館はありますか?」
スヴェータ「ああ、あるけれど……図書館に何かあるのかい?」
青葉「‥‥いろいろな情報を手に入れれば、もしかしたら記憶が元に戻るかなって。」
スヴェータ「あら、それはいい考えだね。よし、警察にはもうちょい後で伝えることにしましょ。」
僕は、図書館に行くことにした。
とにもかくにも、まず情報がいる。
この世界を、知らないと。