作者目線で「チート主人公」について語ってみたい
人気ですよね「チート主人公」。
しかし「チート」の定義、かなりフワフワです。
一体何をすれば「チート主人公」で何をすれば「努力系主人公」なのか……そこに明確な答えを持っている方、ほとんどいないのではないでしょうか?
今回はそれについて考えていき、また「チート主人公」を蛇蝎のごとく嫌う層のロジックを考察していきたいと思います。
早速ではありますが、今回のお題は表題の通り「チート主人公」についてです。
何故そんなことを考えるのかといえば、「なろう」と言えば「チート」みたいな風潮があるのもそうですが……そもそも「チート」ってジャンルが鬼難易度だからこそ考えてみたいってのが今回このエッセイを書こうと思ったきっかけとなります。
こう言うと「チートの何が難しいんだ?」とか「ご都合主義の極みなんだから書くの簡単だろ」とか思う方もいるかもしれませんが、その真意については追々説明していきます。
最初に明言しておきますが、これから書き連ねますのは「面白い話の書き方」ではなく「チート主人公ってだけで拒絶反応が起きる理由」についてです。
とにかく好き嫌いの話をすると泥沼になる話題ですが、ここでは作者として「チート」を使うことによるデメリット、つまりチート嫌いに対する作者としての立ち位置を整理してみようというのが主題となります。
チート主人公が好きな人を呼び寄せる手法ではなく、チートというだけで嫌悪感を抱く読者は何故そう考えるのだろうか……それを考えていきたいと思います。
簡潔に纏めますと「チート主人公って面白いのになんてアンチが出るんだろう?」とお悩みの方への「チートを嫌う思考の解説」くらいに思って貰っても結構ですって内容なのを予めご了承ください。
なお、ここでいう「チート主人公」は「主人公最強もの」とほぼ同じ意味であるという解釈の元で書かれております。
まずは大前提の話ですが、そもそも「チート」ってなんでしょうか?
辞書的な意味で言えば、「ごまかし」「不正行為」「イカサマをする」という単語ですね。ものの見事にネガティブな意味が並んでいます。
日本でこの単語が使われるようになったきっかけは、恐らくゲーム関連でしょう。正規の手順ではない改造などで何かしらの利益を得る(レベルを上げたりアイテムを入手したり、システム的にありえないステータスを得たりする)ことをチート行為と呼ぶことから広まった話です。
ようするに、本来の意味では明らかに推奨されない行為であり、チート行為を行う者とは断罪されるべき悪人だ――くらいには思われるレッテルなのです。そりゃそうですね、他の真面目にコツコツルールを守っている大勢の一般ユーザーからすれば、苦労もせずに不正行為で自分たちを超えていく相手に好意を持てという方が無茶な話です。
では、今ネット小説を中心に広まっている「チート」も同じ意味でしょうか?
そういう意味で使っている批判的な考えを持つ人ももちろんいますが、大多数は違うでしょう。ネット小説で言う「チート」とは「不正行為により強大な力を得る」という過程を示していた意味から、結果である「普通ではありえない強大な力を持つ」という意味で「チート」という単語が使われています。
言葉を変えていえば「規格外な力」とか「反則的な強さ」とか「並ぶものがない特別」とかそんなニュアンスですかね。
当然、これはネガティブな意味ではなく誉め言葉、賞賛の言葉として使われています。作中に出てくるどころか主人公に対する形容詞としてタイトルに出てくるケースも最近では珍しくないくらいです。「チート○○の~」みたいな感じで。
まさかこれが「この小説の主人公は不正行為を行っています。推奨されない違反行為で一般人に迷惑をかけている男が主人公であることをあらかじめご了承ください」なんて意味で使われているということはないでしょう。
ということで、言葉としての理解はこのくらいでいいでしょう。
では、もっと踏み込んだ話として……「チート」を使うことによる小説への影響を考えていきましょう。
今まで述べてきた通り、単にすごい力を持っていることを「チート」と呼称しているだけなら何の問題もないですが、問題は辞書的な意味で受け取られる場合です。
これは結論としては、キャラに対する読者の好感度に直結する話ですね。「すごい力を持っている英雄」と「イカサマ野郎」では印象が全く違います。
よほど特殊な性癖を持っている人でない限り、見ていてイライラする、嫌悪感を感じるキャラを見ていたいと思う人はなかなかいないでしょう。
更に言えば、「チート」を持ってるキャラは大体が主人公という、もっとも出番が多いかつ敗北することがまずない立ち位置にいるキャラなのですから。
敵役悪役が嫌われるのは作者からすると大成功と笑うところですが、主人公が嫌われるのはかなり致命的です。話の中心が嫌われてしまっては細かい枝葉の美しさなんて見向きもされないことでしょう。
まあ、嫌われ者を主人公に据えた上で徹底的にいじめる話とかならまた話は変わるでしょうが、大体の人は「主人公がチート能力を使って大活躍」という話を書きたいでしょうからそれは例外とします。
じゃあ好かれる主人公ってどんなの?
という問いは黙秘します。私はそんな神の問いに対する答えは持ち合わせていません。それがわかるんなら私は今頃印税で左うちわの生活をしていることでしょう。そもそもチートだからそうじゃないからなんて小さな一要素で決定する話ではありません。
ですが、「チートが原因で嫌われる」という話ならば一応の答えはあります。
この問いに対する回答は「人それぞれ」です。身もふたもなく、一言で言えば解なしが答えとしか言えません。
なぜそんなことになるのか、といえば、「主人公のチート能力」と言われたときそれが辞書的な意味なのかネット小説的な意味なのか、どちらで受け取るかは人それぞれだからです。
辞書的な意味での「チート」が不正行為という意味であると最初に言いましたが、では物語の主人公が持っている力は不正に入手したものなのでしょうか?
これがゲームなら話は簡単です。ルールは運営、製作者が定め、それから外れる行為をすればそれが不正ですから。
しかし、大多数の物語の舞台はゲームではないでしょう。ゲームやスポーツのような明確なルールを定め、その中で行われる競技ではなく、そもそもルールなんて存在しない喧嘩であることがほとんどです。
ルールがないんだから不正も何もないって話ですね。
といっても、いまいちイメージつかないでしょうから、一つ具体例として「チート能力主人公もの」として真っ先に上がる代表的なものに「神様転生」と呼ばれるものがあります。ここでこんなエッセイを読んでいらっしゃる皆さまならば説明されなくてもわかるでしょうが、一応解説すると「何かしらの理由で死亡した主人公が何かしらの理由で神様に特別な力をもらって異世界に転生する」という話ですね。
小説家になろうはもちろんのこと、二次創作なんかでも大量にいます。トラックに轢かれて神様に出会い、特典貰って異世界へ旅だった主人公たちだけで野球チームが作れるどころかリーグ戦ができるくらいいるんじゃないかってくらいに量産されたものです。
余計な情報をすべて外して神様転生を纏めると「神様に能力をもらった主人公」ということになります。
では……神様に能力をもらうって不正ですか? それとも合法ですか?
答えはわからんとしか言いようがないですよね。世界にそんなルール存在しないんですから。
神様にもらったチート能力主人公、に対する解説が「神様という不正ツールで力を手に入れたイカサマ野郎」になるのか「神様に選ばれた超人」になるのかは一人一人が自分で決めたルールによる、としか言えない――つまり人それぞれなんです。
前者の認識を持つ人は「本人の力ではないのだから不正」とルールを定めているのでしょうし、後者の認識を持つ人は「偶然幸運に恵まれただけで不正ではない」と定めているのでしょう。
これはどっちが正しいとかそんな話ではありません。ここまで読んだ皆さんがどっち側の人なのかはわかりませんが、前者の人は例えば「道を歩くのに杖を使うのは本人の力じゃないからチート」なんて思っているわけではないですし、後者の人は「ルール上禁止されていないのなら何をしてもいい」と主張したいわけではないはずです。
では、辞書的な意味、つまり「チート」を不正だ反則だイカサマだと否定的に見る読者何故そう考えるでしょうか?
前述した通り、ゲームやスポーツを舞台にしているならばともかく、異世界でバトルするとかなら不正なんて存在しようがありません。そもそもルールがないので。
その答えは、言うまでも無いくらいにシンプルです。
卑怯だから。格好悪いから。ずるいから。
おおよそこんなところでしょう。
何故そのように考えるのか、あるいは考えない人がいるのか。それこそ人それぞれですが、私の意見としましては、物語を読む際の視点の違いがもっとも大きいでしょう。
もちろん絶対では無いですが、チート肯定派の人は主人公の視点で物語の世界を見ており、チート否定派の人は第三者の視点で世界を見ていると考えれば立場の差はわかりやすいですね。
どんな理由にせよ自分が得したことに文句を言う人間は少ないですが、赤の他人が正道とは言えない手段で利益を得ていることに不満を持つ人間は多い。つまりはそんな感情が原因なんだと思います。
つまり主人公を客観的に見た際不快感を覚えないようにすればいいんですが、それが中々難しい。
何度も繰り返した通り、結局「チート」批判は個人的なルールに基づいて行われる、主観的なものです。何が「チート」で何が「チート」じゃ無いのか、どこまでが個人の才能や努力の範疇でどこまでが本人の力では無い外付けなのか……それは明確に定義できる物ではありません。
それでもなお、作者として最大公約数的に批判を理解しようと思えば、辞書的な意味でのチートとはかみ砕いてしまえば「卑怯者」というニュアンスで捉えるのがもっとも正確でしょう。
ここで「チート」肯定派と否定派の激しい戦いとなってしまう話題なのですが、そもそも「チート」は卑怯なんでしょうか?
そもそも何が「チート」で何が「チート」ではないものなんでしょうか?
幾つか例を出してみますので、皆さんもどっちなのか考えてみてください。
1.特に才能があるわけでも無い少年が膨大な練習をした末に武術大会で優勝した
2.優れた才能を持つ少年が膨大な練習をした末に武術大会で優勝した
3.優れた才能を持つ少年が僅かな練習の後に武術大会で優勝した
4.優れた才能を持つ少年が全く練習すること無く武術大会で優勝した
5.神の加護で超強化された優れた才能を持つ少年が膨大な練習まで行って武術大会に優勝した
6.神の加護で超強化された優れた才能を持つ少年が僅かな練習の後に武術大会で優勝した
7.神の加護で超強化された優れた才能を持つ少年が全く練習をすることなく武術大会で優勝した
8.神の加護で超強化された特に才能があるわけでも無い少年が膨大な練習の末に武術大会に優勝した
9.神の加護で超強化された特に才能があるわけでも無い少年が全く練習することなく武術大会に優勝した
文字数稼ぎごめんなさいってくらいに並べましたが、さて……これどれが「チート」でどれが「努力」なんでしょうか?
まず、「1」をチートという人はいないでしょう。結局強くなったんだから才能を持っていたんだろうって意見はあるかもしれませんが、基本努力100%です。
では「2」はと言えば、これも「1」と同等の努力はしっかりとしていますよね? 流石に才能を持っているというだけで卑怯者呼ばわりはないでしょう。
じゃあ「3」はと言えば、「1」に比べて努力量は少ないですが、だから「チート」だと言われるでしょうか? この辺から人によって判断分かれるかもしれませんが、私としては持って産まれた才能によって必要な努力の量が変わることにまで文句を言っていてはお話が作れないということでこれも「努力」に入れたいところです。
ならば「4」ですが、これは努力ゼロで才能だけで勝っていますね。これはチートだろう……という人も増えそうですが、どうでしょうかね? 流石に意見分かれそうですが、天才キャラではあってもだから卑怯だと罵るのも何か違う気がします。
ここから新要素「神の加護」が入ります。前述した「神様転生全否定」の人からするとこれ全部チート判定になりますが、考えていきましょう。
まずは「5」を見ると、才能もあり努力もした上で神の加護を持っている全部乗せです。神様~という人の身ではどうにもならない要素が付加されたとはいえ素の才能と積み重ねた努力だけでも十分強いって話ですね。
次に「6」になると、主に神様の加護と才能頼りではありますが一応の努力もしているというパターンとなります。才能はありますので神様パワーなしでも勝っていた可能性は十分にありますが。
そして「7」になると、完全に才能と神様パワーのみで栄光を掴んでいます。しかし才能があるのは確かなので神様抜きでも勝っている可能性は否定できません。
ややこしくなるのが「8」。確かに神様パワーを持った上ではありますが、才能が無いのに努力を重ねて強くなったパターンとの複合です。神様って要素が無ければ文句なく「チート」扱いでしょうが、この少年は卑怯でしょうか?
最後の「9」ですが、まあこれはイカサマ呼ばわりされても仕方が無いですね。1から10まで神様の恩恵だけですので。
さて、では皆さん……どっからどこまでがチートでどっからどこまでが本人の能力ですか?
アンケートでもやってみたい話ですが、多分分かれるでしょう。「1」をチートだという人、「9」を努力の人だと言う人はまずいないでしょうが、そのほかは人によって違うと思います。
神様パワーがあれば努力の量なんて関係なく勝てるんだから全部卑怯、神様パワーなんてなくても勝てる力を自力で持ったんだから卑怯じゃ無い~などなど、いろいろあるはずです。
また、才能に関して言っても努力なしで勝ててしまうなんて卑怯だという意見もあれば、才能は個人の資質なのだから卑怯では無いという人もいます。凡人よりは少ない努力量で勝利してしまう天才を卑怯だと糾弾するのは正しいのでしょうか?
例えば、始めてその競技をやる人間がいきなりそこそこ努力してきた経験者に勝ってしまった、なんていろんな創作物で使われているパターンですよね。それどころか、現実でも部活動で毎日やっている専門競技なのに体育の授業で運動神経のいい素人の子に負けた、なんてそこら中の学校で見られる光景です。
そんなこともあり、ここから始まったら全部卑怯、と断言する人はあまりいないと思います。
皆さんがどこまでが努力の範疇でどこまでがチートの範疇であると結論したのかはわかりませんが、その意見が全て一致しているということだけは絶対にあり得ない。
少なくとも、それだけは確かなはずですよね。それどころか、個人の意見の中でも「でも○○だったらチートとは言えないよな……」みたいな迷いがあるんじゃないですか?
と、ここまで述べてきた話を纏めると、チートを受け入れるかどうかは人それぞれという毒にも薬にもならないクソくだらない話で終わってしまうので、ここで作者目線で考えてみましょう。
作者目線で考えますと、はっきりといえば「チート」をネット小説的な意味で捉える人のことを気にする必要はほぼありません。失礼な言い方になりますが、この話関連のことなら何やっても大体許してくれる人達なので適当にやっても問題は起こらないのです。
故に、作者として考える必要があるのは「チート」を辞書的な意味で捉える人、客観的視点で主人公を評価し、卑怯と断定する人をどうするべきなのかということになります。
また、チートと言っても二つのパターンに分かれます。
転生したときなどに最初から渡されるなど、本来持っていなかったことを明言した上で持つ「外付け型チート」パターンと、一応努力した末に身につけたという過程を踏む「努力型チート」です。
外付け型はともかく努力型でチートってどういうことなのって感じですが、上の例で言うところの「5」~「9」の神様パワーが外付け型ならば、「2」~「4」の才能が凄まじい系をチートした場合のタイプと思って貰えれば問題ありません。
もちろん、この二つのタイプでいうチートとは、どちらも辞書的な意味になります。よって、ここから先は「どうすれば卑怯ってイメージを消せるか」について語っていきたいと思います。
もちろんさっきの例で言うところの「1」で書けば絶対に大丈夫ですが、それでは意味が無いので、何かしら特別な力を主人公が持っていても卑怯だとは思わせないためにはどうすればいいのかについて考えていきましょう。
ここからはある意味本題、私個人による「チート(卑怯者)判定の基準」になります。
こっから先は完全に独断と偏見です。人それぞれと言ってきましたが、その中の私バージョンの話になりますので、そこのところご了承の上でどうぞ。
私が書いていて「あ、こいつこれじゃただのチート野郎(卑怯者)だわ」と思った要素は幾つかありますので、一つ一つ紹介していきたいと思います。
まず、外付け型チートに絞って考えますが、第一のポイントは「特別なのは主人公だけの特権であるか否か」です。
卑怯か否かって視点で考える場合、やはり公平では無いってのが一番最初に来るでしょう。もちろん将棋じゃ無いんですからスタートラインからして人が平等であるはずもないのですが、それにしたって主人公だけの特権で全てに勝利するのは印象が悪くなります。
先ほどの武術大会の例にしても、もし出場者全員が神様パワーを持っている(それが当たり前の世界)、という前提を追加したら、神様パワー関連でチート判定を下した項目もいくらかチートじゃ無い判定になるのではないでしょうか?
現実世界で魔法を使えることを卑怯だと言う人はいても、魔法使いの学校で魔法が使えることを卑怯だと言う人はまずいません。ようは他の人と同じ条件かどうかが問題なのであり、神様が~とかステータスが~とかが原因では無いだろうって話ですね。
しかし、言っておいてなんなのですが、そもそもチートものってのは主人公だけが特別であることを楽しむものなんだから、そんなこと言っても仕方が無い……と言う話でもあります。
と言うよりも、主人公だけが特別であることは物語として何らおかしな話ではないんですよね本来。主人公だけが持つ特別な力によって~というあらすじの名作、この世にいくらでもありますから。
というわけで、外付け型チート第二のポイントは「その能力を持っていることに意味があるか否か」です。
主人公だけが持っている特別な力があるとして、それなんのために使うのってことですね。
仮に神様から力を受け取った主人公が、その力をもって神をも越える魔王に挑む~とかそんなあらすじだった場合、これを「神様から力貰ったからチート!」と指さす人はほとんどいないと思います。何せ、力の大本である神以上の存在に挑んでますからね。
が、逆に「特に理由は無いけど神様から貰った超パワーで一般人相手に無双します!」とか言えばそりゃ卑怯者呼ばわりされるでしょう。
これは先ほど解説した神様転生系によくある話なのですが、特にやりたいことや目的があるわけでも無いけど超戦闘力を貰うとか……まず何考えてんのって疑問に思われます。
異世界で生き残るため~とか言っても、その世界で生きている住民全員がそんな能力なしでも毎日を生きているわけで、スタート直後に本体の能力はその名もなき一般人全員以下であるって烙印押されていますからね。
そっから能力使っても楽には勝てない魔王でも出て来てくれればまだ話は変わりますが、貰った能力より明確に弱い相手に能力頼りで勝利をいくら重ねても、だから主人公凄いってことにはなりません。
まあ、要するに物語の主軸となる明確な目的を持たせましょうってことですね。
チート能力で無双したい、以外何も考えていないってことにならないようにしましょう。
そこが現実であれ異世界であれ、そこにはチートとは無縁の一般人がいます。そんな彼らと主人公を比較した結果、チート抜いたら最下位なんて評価になったら洒落になりません。
チートという要素が余計な添え物になるのは明確な失敗です。チートが無ければならなかったのだ、と説明されなくても納得できるような話を練りましょう。
というわけで、外付け型チート第三のポイントは「チートに依存しているか否か」です。
早い話、そのチート能力がなくなったら価値ないね、なんて印象をよりにもよって主人公にもたれていないか……という話です。
チートものをやろうというのならば、真っ先に考えるべきなのは「チート」の設定ではありません。そんな力を抜きにした主人公の魅力についてです。
チートがあるから強い、チートがあるから活躍できる、チートがあるから尊敬される、チートがあるから……という印象しか持たせることができない場合、チート抜きじゃ何にもできない卑怯者だって思われても文句は言えないでしょう。
特に、才能関係の話では無く、神様パワーのような外付けの能力であった場合、読者はそれを知っているのです。作中の登場人物ならばいくらでも「主人公さん凄い!」と言わせることができますが、舞台裏を知る読者が相手では「どんだけ凄くてもチートが凄いだけだろ……」から一歩も前に進めないのです。
この大問題に対しての対策は、もう何とかして読者に「こいつなら神様抜きでも何とかしそう」と思えるような要素……例えば「チート能力では解決できない問題に主人公をたたき落とす」とかを話に混ぜておくとかでしょうか。
あるいは、チート能力に弱点や欠点を持たせ、そのカバーを主人公本人の機転や発想でやるとかですかね。
ただし、この際の注意点として、試行錯誤はしっかりとしましょう。欠点の発覚から克服まで一瞬でやってしまっては印象が余計に悪くなりますので。
まして、克服方法がチート能力の更なる強化となると最悪です。ここでの目的はあくまでも「チートを除いた主人公の魅力」であり、チート能力が更に隙のないものになりましたでは否定派読者の嫌悪感を強める一方ですからね。
とにかく、主人公=チートではなく、主人公を構成する様々な要素の中にチートがある、くらいの認識を持たせられるように考えていく必要があります。
チートがあるから凄い、ではなく凄い主人公だからこそチートを得たのだ、くらいのイメージの方がわかりやすいですかね。
それにより克服できるのが、外付け型チート第四のポイントである「主人公が地に足突いているか否か」です。
要するに、最近九官鳥のように叫ばれている「イキリ!」関係の話ですが、外付け型チートの主人公はこれが特に顕著です。
ようするに「お前が凄いんじゃ無いんだから調子に乗るんじゃねぇぞ」って話なんですが、こんな風に思われないためには謙虚さも必要になるということです。貰い物借り物って印象のあるチートだけで全てが解決し、それを自分の手柄だとでかい顔をするのは印象が悪いですよね。いっそ自分は裏から全てを解決するだけで表に出ない、くらいのスタンスの方が書きやすいかと思います。
所謂ハーレムとか俺TUEEEとか、そういう公式な評価を得るパターンとチートってよくセット扱いされていますけど、これ作者的に考えると相性最悪なんですよね……。
まあ、とにかく結論としましては、まず主人公のキャラをしっかりと考え、美点も欠点もある一人の人間として作中世界に定着させましょう。
その上からチートを足すだけに留めれば「チート以外に美点が無い」とか「チートなんて無くても欠点なんて無いけど何故かチート付けました」みたいなキャラとして嫌われる存在の極みみたいなものにはならないことでしょう。
というような諸々の論争の末に産まれたのが、努力型チートなんでしょうね。
最初は弱いけど段々強くなるってパターンであり、一応その力の全ては他からの貰い物では無く全部自力ですって奴です。一見チート無関係な努力ものにも見えるあらすじですね。
ここで重要なのは、外付け型チートは「俺の力は貰い物だ! 文句あるか!」というスタンスなのでチート呼ばわり上等なのですが、努力型チートに関しては「チートじゃありません。努力の賜です」ってスタンスを目的にしている部分が多々あるため、そもそもチート呼ばわりされた時点で失敗ってことになります。
要するに、努力型チートという矛盾した感想を持たれてはいけないのです。
これは作者と読者の温度差にも繋がる話ですが、作者的には努力もののつもりで書いているので主人公に努力の大切さとか語らせるわけですけど、読者的にはただのチートですので「お前が言うな」とそっぽを向かれることになるわけです。これは中々に致命的な話ですね。
というわけで、ここからは「努力してんのにチートと思われるのは何故か」というのが主題になります。
では、努力型チート第一のポイントとして「その強さに説得力があるか否か」について考えましょう。
そもそも努力型チートとは、要するに努力ものの皮を被ったチートってことなんですが、普通の努力ものと同じように努力して得た力なのになんでチート呼ばわりされなきゃいけないのかと思うことでしょう。
その回答こそが説得力の有無です。なんで力を持っているのか、という点の説明を完全放棄した外付け型チートならば考える必要はないことですが、努力ものという要素を持つのならば「何故そんな力を得たのか」に最低限の説得力が求められるのです。
といっても、これかなり難しい話です。何をすればどこまでの力が手に入るのかなんて結局は個人の主観的な線引きですし、ファンタジーな魔法的な修行となれば基準なんてあるわけありません。
故に、多くの読者が基準にするのはその定義通り「作中に登場する主人公以外のキャラ」になるのです。
どういうことなのかと言うと……例えば、海で練習をしたら泳げるようになった。これがチートだと思う人はまあいないですよね?
これが「一週間練習した末にようやく泳げるようになった」なのか「水に入ってすぐに泳げるようになった」なのかはそれこそ才能の違いですけど、どっちにしても十分あり得ることでしょう。
では「水に入ってすぐにオリンピックで優勝できるくらいの泳ぎを身につけた」だったらどうでしょうか。大抵の人は「それは流石に……」と思うでしょうし、時間に関係なくコーチやら何やら環境を整えて成長してもおかしくは無いって説得力を持たせなければ首を傾げられてしまうでしょう。
なんでそうなるのかと言えば、比較基準としてオリンピック選手が出て来たからですね。
具体的なことは知らなくとも、オリンピックで優勝するような選手は膨大な練習を重ねていることは誰でもわかります。しかも、国の頂点ともなればその才能って一点だけでも頂点クラスであることは疑いようもありません。
そんな存在に才能だけで勝つとなれば、そりゃもう才能という名のチートであると判断されるわけですね。
ましてや「泳ぎの練習をしただけで水属性無効スキルを手に入れました」とかになってくると、もうチート持つのに中途半端な言い訳してんじゃねぇよってな話になってしまいます。外付け型第一のポイントと同じく、その世界の住民全員が水属性無効スキルを持っているというのなら話は別ですけどね……。
そこが努力型チート第二のポイントは「他のキャラのことを考えているか否か」になります。
これは外付け型第一ポイントや、私が以前書きました「キャラ視点で~」にも被る(ダイマ)話なのですが、努力とは基本誰でもできることなのです。
もちろん、環境によってその質は大きく変わりますが、主人公以外だって皆当たり前に努力はしているってことを忘れてはいけないということが最も大切です。
俺は努力したから他の有象無象とは違うんだ、って感じに無双しているが、その程度の努力って他の奴らもしてるんじゃないの?
この感想を抱かれたら大失敗ってことですね。
主人公は超簡単に強力な能力を習得したのに、何故か他のキャラは同じことができない。何故なのか……ああ、チートだからだなって結論になりますから。
この話題で一番わかりやすいのはゲーム系……というよりも、多人数参加型ゲーム、MMORPGを舞台にしている場合ですかね。
MMOはゲームである以上、全プレイヤーは平等です。もちろんプレイ時間やら課金額やらプレイヤースキルやらに差は出ますが、大前提として誰がやっても同じことをすれば同じ物が手に入るようになっています。
レアドロップは確率の問題で手に入らないということはあるでしょうが、出るまでやれば出ることは変わりません。0.1%の確率を引く者と引かない者はいても、どちらにも0.1%の可能性があることには変わりないのです。
故に、ゲームの中で主人公が入手したあらゆる力は他のプレイヤーだって持っているのが当たり前なんです。
特定のプレイヤーが倒したときのみ手に入る~なんて依怙贔屓は(舞台設定がゲームとして破綻しているって設定で無い限りは)絶対にあり得ないと断言できる設定なんですね。
そんな中で「主人公だけ強力なスキルを手に入れました。他のプレイヤーは誰一人同じことはできませんしやりません」なんてやったらチートじゃねーかと判定されるのも仕方が無いですよね。作中ではあくまでもゲームの仕様であると言い張れますが、そんなゲーム設定にしている時点で作者の依怙贔屓と言う名のチート認定されてしまうので、こういうのがやりたいのならばしっかり設定練りましょう。
作者が忘れてはいけないことの大前提は、設定、ストーリーの決定権は作者にありますが、それを見て評価する権利は読者にあるってことです。
いくら作中で言い訳をしても、読者がそれを言い訳であると判断することを止めることはできないのです。
要するに、万人単位でいるプレイヤーの中でも主人公しかやらないほどの困難な内容であり、かつゲームとして破綻していないと読者を納得させることができる設定を捻り出す努力が必要不可欠になるわけですね。
わかりやすいのは何かしらのイベントの優勝賞品だとか、先着何名様限定のタイムアタックの景品だとかですか。それにしたって限度はありますけど。
繰り返しますが、否定派は第三者目線での評価を下す層ですので、自分が主人公じゃ無くてもそのゲームが楽しめるのかって視点で考えましょう。
もちろん、MMOほど平等で公平が保証されていない現実世界でも同じことです。
チートだなんだと言われる舞台の大半がバトル系なわけですが、自分の命がかかっているのに努力しない奴は早々いない。それでも差が付く理由はちゃんと考えましょう。
もちろん、それが「才能があるから」でも全然問題はありません。その場合は「俺は努力の人」って態度を取らないことだけを気にすればいいんですからね。
以上、個人的独断と偏見による「チート」の問題点でした。
と、この辺で本エッセイは終わりにしようと思います。
冒頭でも書きましたが、ここまでの話は全て「チート否定派に嫌われる理由解説」であり、ここに書いたことを実践すれば面白くなるわけではありません。
まあ重要度としては「こんな風に思われているかもよ?」と頭の片隅に入れておいて貰うくらいで丁度いい話ですね。
また、決して勘違いをしないで欲しいのですが、チート……というよりも、他を置き去りにする最強無敵の主人公には確実に需要があります。誰しも「圧倒的な力」には憧れを持っているものなのですから。
どんな形にせよ、圧倒的な力を持つ主人公なんて確実な客層が掴める場所でやると決めた以上、くだらないことで読者を減らさないように注意しよう、というのが私としての最終的な結論ですので、チート主人公なんてそれだけでクソだ、みたいな暴論に走らないようお願いいたします。
冒頭で書きました通り、チート主人公ものは難易度が鬼ですが、やるとなったからにはくじけずに頑張ってください。その理由は今まで書いてきたようなことで「チート主人公だから嫌い」という全否定層がいることと、何よりもストーリーを作ることの難しさにありますが、そこは気をつけてくださいね。
なお、ストーリーを作るのが難しい理由は今更言うまでも無いでしょうが、最強無敵のチート主人公には「強敵が出現」→「苦戦する」→「修行や覚醒でパワーアップ」→「勝利!」という少年漫画の黄金パターンが使えないという前提条件があり、更に「主人公が出て来たら話がほぼ終わる以上、話のほとんどをサブキャラ達で持たせなければならない」という厳しい縛りがあるのが理由です。
指一本でどんな相手にも勝てるような力を持ちながらダラダラ苦戦するようでは最強主人公の魅力がゼロになりますからね。こんだけ文字数使って注意するべき点を述べなきゃいけない枷+そこまでやってんのに主人公の出番は終盤限定って厳しすぎるジャンルですが、需要はあるので何とか活かせるよう工夫と試行錯誤は続けなければなりません。
間違っても「人気あるからテンプレに乗ればいいや」なんて軽い気持ちでは手を出さないようにと忠告させていただきます……。
もっとも力を入れて考えた「チート」の出番よりも第三者目線の代表者である脇役の方にしっかりと目を向けなければならない。
「チート主人公」とはそういうジャンルなのであると、私は結論いたします。