怖い話その2。
前回に引き続き怖い話第2弾である。
夏場でしか堂々と話せないのだから、たまには良かろう。
大丈夫だ、多分そんなに怖くない(2020年8月現在来栖家調べ)。
私だとて、毎日鏡を見ながら
「まあなんでこんなボロアパートに広末涼子が?」
などとやっている程ヒマではない。
色々と仕事の合間に小説を書いたり仕事帰りの妄想尾行に勤しむ忙しい身である。
私は子供の頃から『家の間取り図』を見るのが好きで、新聞に挟まれた売り家やマンションの間取り図のついたチラシを見たりして、私が住むならここは趣味の部屋にして……とにへらにへらとしていたし、大人になってからは引っ越す予定もないのにアパマン情報などの住宅情報誌を買っては、
「ふむ、今はこのような間取りが主流か。……××区はやはりワンルームでもお高いのう。
それに比べて我が××区のリーズナブルな事。外国人が多いのはそれもあるのだろうか。
やややっ、この物件は1995年モノなのに2003年モノより家賃が高い。ほぼ同じ平米数なのに解せぬ。……ほほぅ、やはりな。ペット可物件であれば致し方あるまいの。
ちょっ、最寄り駅から徒歩35分というのは全く最寄ってないではないか。
そもそも徒歩圏内なのか? なぜ都内で30分以上歩いて他の駅が存在しないのだ。ミステリーサークルか。大家を呼べ大家を」
などと住宅ソムリエもどきになっており、住みもしない地域の相場や穴場物件などが把握出来る程になっていた。
社会的にはきっと何の役にも立たないムダ知識だと思われる。
不動産屋であれば仕事で活かせる可能性もあるが、今まで不動産屋に勤めた事はない。
ケーキが好きならみんなパティシエになるのかという話である。
……まあ待て、「お巡りさんこっちです」は犯罪を犯してからにして欲しい。
人様に迷惑はかけてないのでギリセーフだ。
余り同好の士と知り合えた記憶はないが、絶対にこういう趣味の人間は国内には少なからずいるはずである。
マイノリティでも力強く生きていける世の中であって欲しい。いや生きる。
そして、似たり寄ったりの間取りが多くて大分飽きて来た時に辿り着いたのが「事故物件」の間取り図である。
……いやだから大丈夫だ、奇声を上げて飛び回ってもいないし壁のシミと延々と語らったりもしていない。
見るだけで実際に住みたいと積極的に思った事もない。
特に変わった間取りでもないのに、自殺や事故が多いとか、傷害、殺人、心中、孤独死などが同じ部屋、建物で複数起きている事がある。大●てる氏のサイトなどを見ても、種火ではなくお焚き上げレベルの業火になっている物件もある。
私は基本的に自分で見たものしか信じないタイプの人間なので、映像などで見た本物っぽい幽霊も、本当にいるのかいないのか分からないと思っている。今は映像技術が発達してるし。
だが世間の荒波に揉まれまくったこのように大変こすい人間ではあるが、1回は偶然で片付いても2回目以降は何かしらの影響がなくもないんじゃないかなー、と考えたりもする。
まあ事故物件そのものより、飛び込み自殺や酔っ払いの転落死亡事故が多い中央線や総武線などのレジェンド事故路線や、なぜか強盗事件や殺人事件に発展しやすいコンビニのある地域、よそから勝手にやって来ては、住人でもないのに勝手に屋上から飛び降りまくられるという、130人以上の飛び降り自殺者が発生しているレジェンド中のレジェンド、団地そのものが事故物件という板橋区の高島平団地など、その手の話題に事欠かない東京エリア(近県含む)ではあるが、事故物件は事故物件で別物として考えたい。
現在の高島平団地は全ての屋上に金網が張られダイブするのは難しい状況になっているし、飛び降りが多い高層マンション等は3階以上のフロアは飛び降り出来ないように通路側にアクリル板や鉄の柵が付けられたりしている。
口の字型でエントラスが吹き抜けになっているマンションなどは、1階のエントランスホールの周りにブロック塀が高く設置されたところもあった。
外観がめっちゃ悪くなるやんと思われる方もいるだろうが、飛び降りの人を間近で見たい人もそうはいないし、落ちた後の血しぶきが建物内に飛ぶのを防ぐためらしい。恐らく経験から学んだのだろう。
ただその後事件が起きた際に警察や救急隊はどこから入るのかは不明だが、まあ一部の画像だけなので全部が覆われている訳ではないのだろう。
1階2階にガードを設置しない点については、「まあ飛んだとしてもよほど打ちどころが悪くなければまず死なないだろう」というのと、外観保持や経済事情などが複雑に絡み合うのが見て取れる。
ただ家賃を払って住んでいる人間だけの問題ならまだいいが、隣近所、隣室果ては違うフロアであっても購入物件だった場合、事件・事故が発生した場合、いきなりどーんと評価額は下がるし売りにくくなるし散々な事になる。
落ちた先には人がいた、という他人の人生も命取りになる可能性もある。
電車の飛び込みでも飛び降り自殺でも、気の毒だとは思うが「今じゃなくて」「この路線じゃなくて」「この場所じゃなくて」と少しも思わなかった人などいないと思う。影響を受ける当事者なら尚更だ。
殺人事件や孤独死ならば本人ですら時と場所は選べないという総被害者説が適用されるかもだが、自殺系についてはどうしても死にたいなら山なり海なり行ってくれと個人的には思う。
薄情だと思うだろうが、こちらも自分の人生がある。
私の身内で自殺した人間もいるが、身内ですら勘弁してくれと思うのだ。赤の他人にそこまで気を遣う事は出来ない。
経験から言うと、本当に死にたい奴というのは何があっても死ぬのだ。
長い説得の末、漸く思い直したと思ってホッとした一週間後には風呂場で手首やら肘の内側やら切って死んでいたりする。
環境だったり心の病だったりする場合もあるが、一生その人の人生に付き添う事は私には出来なかったので、闇に取り込まれた時にその場にいなければ本当にどうしようもない。
勿論いてもどうにもならない場合もある。
無力感しかない。
だから、私はせめて人に少しでも気分転換になったり笑って貰えるような小説を書いている。
救いのない話も絶対に書かないし、最終的にはハッピーエンドだったり円満に終わるような話を望む。
本当に万に一つの確率で自殺志願の方がたまたま私の小説を読んだとして、
「ちょっと気になるからこれ読み終わるまでは」
と何日かでも死ぬのを一時停止している間に、その人に何か劇的な変化が訪れるかも知れないし、まだ死ぬほどの事はなかったと思い直す可能性だって0じゃない。
人間関係が嫌なら死なずとも別の場所に逃げたっていいし、どうしてもそこで我慢しないとならないなら改善するかどうか足掻いてからでも遅くない。
私がコミュ障やヒッキーでも結構楽しく生きてるからと言って「人生って悪いことばっかじゃないよ」などと無責任な発言は出来ない。人が死にたくなる理由などはそれぞれだ。
小さい時から集めていた宝物のような漫画本を、家族にゴミ回収に出された事で死ぬ人もいる。
片思いしていた相手に恋人が出来たからと絶望して死ぬ人もいる。
そんな事でと思ってはいけない。生きる意味というのは個人差がある。
あくまでも当事者の主観・価値観であり、客観的第三者でしかない人間には真実など分かりはしないのだ。
それでもしつこく言っておこう。「生きてるだけで丸儲け」とさんまさんも言っていた。
耐え難い事があったとして、足掻いてみなくてもいいから3年何とか生きてみよう。
そこまで経っても生きてるのが辛ければダメ押しであと2年。
例えばその間に引っ越したり1年誰とも会わず引きこもれるお金を貯めるのもいい。
甘ちゃんかも知れないが、5年も経てばその問題は些細な事、何とか耐えられる事に変化してる場合もある。
人間なんて、どうせ放っておいてもいずれ寿命で死ぬ生き物だし、事故に遭って死ぬ事もあるんだから、生きられるとこまでは生きてみるのもまた1つの手である。
ブクマ、評価ありがとうございます。
なんとか十万文字超えた……。




