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夏の飯とヘイト問題。

 マスクを最近は常時着用しているせいで、顔が痒くて仕方がない。

 きっと冬までには汗疹が顔中に広がるのではないかと恐怖に震える日々だが、今日は有休を取り昼寝をしたのでご機嫌である。


 顔の痒さも家では私1人しかいないのでマスクはしないし、鏡を見れば


「まあ竹内結子がどうしてこんなところに?」


 と第三者が居れば殺人事件発生不可避な事を呟きながらそうめんを茹でていたりする。


 雷が凄いなおっと落雷だ。でも仕事休みだから、大雨になろうが今日の私は勝ち組。



 そこで今回のテーマは『夏の飯』である。


 たった今思いついた。

 だんだん何かしらお題を付けないと、もう考える事すら億劫になるのは35℃超えの真夏日なので許して欲しい。



 前にも書いたと思うが、夏の料理というのは正直作る人間の食欲を減退させるほどしんどい。夏場の料理人は大変だといつも思う。

 特に中華なんかは強火で炒めるなど多そうなのでキツイだろうなと思われる。


 火を使うのは秋と冬、それとまだ涼しい春しか認めたくはないが、人と言うのは萌えと仕事への熱意(棒読み)という霞だけでは生きていけないので、飲み食いはしないといけない。



 私がこの季節よく作るのは短時間で台所から退避できるそうめんとざるうどんと冷製パスタが8割近い訳だが、流石にそれだけでは野菜や肉・魚が足りないので元気が出ない。


 しょうがないので豚バラをさっと茹でて味ぽんで食べたりゴマダレをかけたり、切り身の魚に小麦粉をはたいてムニエルにしたり煮魚にする。


 だがこれも飽きて来るので、長ネギを粗みじん切りにして大量のカツオブシと混ぜ、味の素と醤油を適宜かけ回して炊き立てご飯に乗せて食べると大変コスパもいい食欲増進ふりかけ(?)になる。

 ちなみにオクラを軽く2,3分茹でてから細かく輪切りにして長ネギの代わりにしても大変美味である。マグロのブツやホタテなどをより小さめにカットしてわさび醤油で和えてからのトロロ投入もこれまた美味い。トロロは醤油よりベースをめんつゆで味付けするのがお勧めだ。


 少し黄身が半熟の目玉焼きを作ってご飯に乗せて醤油をかけるのもなかなか美味い。私は生卵よりこちらの方が好きである。


 たまにデザートに駅とかで売っているコージーコーナーのシュークリームなどを買ってきて、冷蔵庫にしまって後でひんやりしたのを食べるのもちょっと贅沢な感じがしていい。


 個人的にはシューの皮はもっと固めの方が好きだし、中のクリームももっと少なくならないもんだろうかと思うが、個人の趣味嗜好だから仕方ない。味は美味しいし。





 そして、話は変わるが先日、私の大好きな漫画家さんである明智抄先生が亡くなられた。

 心臓疾患のようだがまだ60歳、これからもっと作品を生んで欲しかったと思う。

 心の中でご冥福をお祈りする。


 サンプルキティや始末人のシリーズなど切り口が違う個性的な作品が多数あり、一般のキュンとする恋愛ものと言えるものではないが、とにかく個性的だった。


 私の家には川原泉先生と西炯子先生と明智抄先生の作品が多数あるが、この方々は超リスペクトな御三家である。


 考えてみれば、私が熱中して読む時期にプロとして活躍しているのだから、どの方も私よりは年上なのは当然で、先に亡くなる可能性も高いに決まっているのに、ついずっと私を楽しませてくれるものと思ってしまうのが漫画オタクである。


 ジョージ秋山先生やモンキーパンチ先生、荻野真先生、多田かおる先生や野間美由紀先生、森永あい先生などパッと思い出しただけでもかなりの漫画家さんがお亡くなりになっている。そんなに若いのにと思う事も多いが、職業的に締切に追われていれば不規則な生活になりがちだし、私のように座り仕事で椎間板ヘルニアが持病、みたいな方もおられる。健康的な生活とは言いがたい場合もあるのだろう。



 人間はどんなに好きだろうと嫌いだろうと等しくいずれは死ぬ。



 正直、私は人と接するのが苦手だし、好き嫌いもはっきりしている。

 社会人としての歳月で辛うじて世間的になるべく問題のないように接する事を学んだが、それでも現在は1人で過ごしている方が精神的に楽である事には変わりはない。


 でも、いずれ死ぬんだよなーと思うと、10年以上前から嫌いな物や苦手な人に関わる時間が勿体ないと思うようになった。


 人生が長いか短いかボケるかボケないかも分からないのに、人をディスったり負の感情を持ち続けるのはメンタルにも悪いし、ボケもせず自分の意思で生きられる貴重な時間を無駄に消費してしまう。

 

 で、大概は後悔するのだ。


 SNSの誹謗中傷や小説サイトの感想欄に書かれている勢いで書かれた様なむき出しの刃物のような文章を読むと、怒りやヘイトの感情って疲れないかなあと思う。


 当事者の人生に関わっている主観的、社会的な怒りやヘイトなんかは当然あるだろうし、私も全くないかと言えば嘘になる。


 だが、第三者に対して何もかもぶつけていいかと言えばそれはNOだと思う。

 オープンに吐き出してしまえば気持ちいい事もあるかも知れないが、相手は身内でもなきゃ友達でもない人だ。そんな言葉の暴力を受け止める義理はないし、対応する時間も勿体ないのである。時は有限なのだから。


 そこらへんの線引きが出来てない構ってちゃんが結構年齢関係なく増えている気がする。


 それが「想像力」の欠如なんだろなー、と思う。



 相手に不快な事を言ったり書いたりすれば相手からも不快な返事があるだろうし、更にヒートアップするという悪循環になるケースもある。


 言葉だけで済めばいいが、力でどうにかするタイプだったら一生ディスれない状態になる事だってないとは言えない世の中である。


 相手を追い詰める事は考えても、自分が追い詰められる事は想像出来ないから言葉の暴力を振るうんだろうけども。


 自分は大丈夫という根拠のない自信を持つのは自由だが、決してその自由は普遍的なものではないのだ。最近では命を軽んじる人も多い。SNS絡みの殺人も多いし、目を潰された、手足を傷つけられ不自由にされたという話も本当か嘘かネットでは読む。


 別にこれが全部本当だと信じている訳ではない。

 あっても全く不思議ではないと思うだけだ。

 後悔した時にはもう遅い。


 誹謗中傷やヘイトアピールは、自分の命をどんどん無防備にさらしているのと同じ事だと想像出来るようになれば、少しは減るかも知れないんだけども。

 自分から見て弱者をいじっているつもりでも、弱者の周囲が弱者であると決まった話ではない訳で。



 私は自業自得な案件で目が見えなくなるのも体が不自由になるのも御免なので、ムッとしたりするメッセージもさらさら~っと記憶から流して忘れるようにするし、ディスらなくて済むように怒りも長く留めないようにする。


 いい人になりたいのではなく、全て自分の天寿まっとうの為である。


 苛立ってばかりの人は言葉なり文章で吐き出す前に、ちいとばっか考えよう。

 加害者から被害者へのチェンジというのは自分の意思ではなく行われるのだ。

 それもかなり簡単に変わる。



 ね? だからさ、心も身体も平和で生きようよ。ほんと楽だから。






ブクマ、評価ありがとうございます。

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