7話
この村から近くの街へは、およそ丸一日程度であるらしい。馬に乗って行くならば半日と掛からず着くことも可能らしいが、あいにく目の前の馬は荷物を積んだ荷台を引いており、道だって綺麗に整地されたものではないから、中々に揺れも酷い。
まして夜になれば明かりもなく、足元すら見えないのだから、とうてい馬を走らせることなど出来るものではない。いくら整地が十分でないとはいえ、それでも人や馬が踏みしめた立派な道だ。万一、道から外れるようなことになれば、馬も荷台もどうなるか分かったものではないから、その判断は当然のことだろう。
僕は逸る気持ちを抑えつつ、荷物を再度確認した。
袋には2.3日分の保存食に、ナイフ、ロープ、マント、魔法を使う為の触媒など入っている。
それと、通常のものよりかなり小型の短弓と呼ばれる弓、ダガーも入っている。
このダガーは村の鍛冶屋に無理言って作ってもらったもので、刃渡りは20cmほどのものだ。
切れ味も悪く、装飾もなく、形だって日用品の包丁と大差ないものであったが、俺にとっては立派な剣であり、身を守る武器だ。
腰のベルトにつけたホルスターにダガーを携え、マントも出しておく。
ああ、肝心の狩人から譲り受けたあの短刀だけれど、実はその後、消えてしまったのだ。
消滅したという意味ではなく、収納されたというのが正しいだろうか。
あの短刀を受け取った日、俺は嬉しくなって鞘に入れた短刀を握りしめて眠りについた。
そして、目が覚めた時には短刀が無くなっており、大層慌てたものだった。
それを彼に打ち明けたところ、彼は笑って教えてくれた。あれは大層特殊な武具で、持ち主の魔力をもって使うことが出来るのだと。消えたということは、お前の中に眠っているだけだと、そう言っていた。
にわかには信じられなかったが、実際に体験してしまっては疑いつづけることも難しい。
彼に言われた通り、かの剣の姿を頭に浮かべ、手に魔力を集中させたところ、なんとその手に短刀が握られていたのだ。だが、使うことは出来なかった。
果たして本物なのかと疑って、短刀を鞘から抜こうとしたところ、ポフンと間抜けな音を立てて短刀が消えてしまったのだ。同時に襲い来る強い虚脱感と不快感、それはまさしく、急激に魔力を消費した時に起きる症状であった。
彼も、いくら僕の魔力が少ないといっても流石に少しの間使用するくらいはできると思っていたらしく、申し訳なさそうな顔で顔を逸らしていた。
その後「魔力は成長する可能性はある…」とフォローになっているのかどうか分からないフォローをしていたから、僕としても何も言えなかった。
いずれにせよ、今の僕には分不相応なものであったのは間違いないので、いつか胸を張って使えるようになるまで、その存在は頭の片隅にしまいこむことにした。
実は、かの業物を使って強い魔物を狩り、将来有望な冒険者として賞賛を受ける自分を想像していたのは内緒だ。
一通り荷物を整理し終えると、カバンの底に紙の包みがあるのを発見した。そこには手紙と、30000Gが入っていた。30000Gといえば、慎ましく暮らせば一月程度は何もせず生きられる額だ。いや、ほぼ自給自足なあの村に関していえば、時折必要な物品や薬を購入する程度だから、半年はゆうに暮らせるだろうか。
ちなみに今腰につけている村の鍛冶屋謹製のダガーもどきで、だいたい5000Gくらいらしい。らしい、というのは、当然僕はそんなお金を所持していなかったので、獲れた獲物を代金代わりに支払ったためだ。なので、そのダガーの代金も、獲物の買い取りも適正なものかは分からない。まあ、今更気にしても仕方ないことだろうと思う。
そんなわけで、世間的に見ればどうなのか分からないが、僕にとっては見たことのない大金で、なんだか落ち着かない気持ちだった。
僕にそんなものを用意する余裕はなかったので、間違いなく彼女からの餞別だろう。ここは有難くいただいておくことにする。
金とともに手紙も同封されていて、その手紙には困った時に開けるように、と書かれており、おまけに手丁寧に蝋で封までされていた。
彼女が意味のないことをするとは思えないので、今は開封せず、再びカバンに仕舞いこんだ。
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それからしばらく走り、休憩を挟んで再び馬車が動き出した頃。今まで沈黙を保っていた行商人が話しかけてきた。
「なあ坊主。どうして冒険者なんかになりたいんだ?いっちゃあ悪いが、ほとんどの冒険者はその日暮らしに手一杯のあり様だし、大抵はろくな死に方をしやしない。その点、坊主はあの村の薬師様から薬作りも教えてもらっていたんだろ?継ごうとは思わなかったのか?」
行商人の疑問は当然のものだろう。確かに冒険者というのは危険と隣合わせの職業で、子供たちが憧れる英雄や勇者と呼ばれるものは極々一部だ。それらは、人並み外れた強さや幸運、才能などが無ければ、決して到達しえない雲の上の世界だ。
もちろん、僕には多くの魔物を食べて記憶を取り戻すという目的がある訳だが…このような荒唐無稽な話をわざわざ聞かせることもないだろう。信じてもらえるかは分からないし、そもそも誰でも彼でも話すような内容でもない。そう考えた僕は如何にもな答えに濁すことにした。
「冒険者になって一旗揚げる。男なら誰だってみる夢だと思いませんか?それに、今言われたように、無理なら無理で、村に帰れば一先ず暮らしていける程度のことはできますから」
「違いない。俺はもうこんな年だがよ、坊主くらいの時はいつも思っていたもんだ。こんな片田舎の行商人で満足していていいのかと。もっと大きく手を広げれば、大商人の仲間入りをして、自分の店を持つことも出来るんじゃないかって。だけど…それは出来なかったんだ」
そう答えた彼の横顔は少し寂しそうに見えて、思わず聞き返していた。
「それはどうして?僕みたいに、やるだけやって、駄目なら諦めるって道もあったんじゃないですか?」
「俺の故郷は小さい村だったからな。なんとなく、村の誰と一緒になって、暮らしていくだってことが、坊主くらいの年になるとわかるんだよ。もちろん、お互いに好きでもなければ無理やりってことは流石に珍しかったけどな。ま、幸か不幸か、俺なんかにもそういう相手がいたわけだ」
「それが理由?」
「…多分、そういうことなんだろうなぁ。わずかな可能性にかけて夢を追いかけるより、ささやかでも堅実な生活を選んだってことだ。別に坊主が間違ってるって言いたいわけじゃない。こんな選択をしたおっさんもいるってことを、伝えたかったんだ」
彼が何を伝えたかったのか、僕にどうなってほしいのか、それは分からなかったけれど、その時僕には彼の姿が先ほどより大きく見えていた。彼には彼の事情があったのだろうし、僕には僕の事情がある。お互いに話していないことはたくさんあると思うけれど、そんなことは大した問題には思えなかった。
そんな会話の後は元の沈黙が再び訪れ、やがて空が茜色に染まり始めたころ、馬を止めた彼が再び声を上げた。
「今日はここまでだな。すまんが坊主、野営の準備を手伝ってくれるか?なに、冒険者になろうっていうんだ。まさか何もできないとは言わせないぞ」
そう言って、彼がにやりと笑った。