表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
僕と龍と美食譚  作者: のーむ
プロローグ
6/17

5話

彼女の家についた僕は、弾む息を整え、扉をノックした。

数舜の沈黙の後、果たして、ひとりでに扉が開いた。このようなことが出来るのは一人しか心当たりがない。やはり、彼女はそこにいたのだ。


中に入ると彼女は僕に背を向けるようにして立っていた。僕は夢中になって彼女へと言葉をかけた。

謝罪、そして今までの感謝を。

僕が語っている間、彼女は黙ってその言葉を聞いてくれていた。

そうして、伝えるべきことを伝え、頭を下げた。

少しすると、ふわりと彼女の匂いがした。様々な薬草や香草、それに彼女の匂いが入り混じった、清涼な、ほのかに甘い、僕の一番好きな匂いだった。


―――


やがて落ち着いた僕を見ると、彼女は話した。


「すでに話したように、お前の母を殺したのは私だ。だが、父親は生きている。そして、私はその行方も知っている」


「だったら、父さんのことを教えてください。それに、消えた記憶についても」


これは気になっていたことだ。あの時彼女は、僕や村人の、と言った。

それはおかしい。僕が親を失ったショックや、かの龍と対峙したことが要因で記憶を失ったのであれば納得はいく。

ただ、彼女は間違いなく覚えているようだったし、僕だけでなく、彼女を除く村人全てがそうだというのは一体どういう理屈なのか。


「…話せない」


彼女は言った。やはり、僕ではまだそれに値しないのかと、そんな風に考えていると、彼女は続けた。


「勘違いするな。今のお前であれば、きっと正しく受け入れることが出来ると信じている。しかし、話せないのだ」


「どうして…」


「例え話をしよう。古来には『呪い』というものがあった。今は失われた魔法とも違うその業は、あらゆるものを蝕んだ。対象も、あるいは術者本人すらも。そして、それはある悲劇を経て、いつくかの命へと姿を変え、今も尚この世界に存在する。子供でも知っていることだろう。常軌を逸した力を持ち、永劫の時を生き、そして、人々に仇名すものの存在を」


彼女が僕に伝えたいこと。それは彼女の魔法が見せたあの映像に関連するものに違いないだろう。それならば、その存在とはーー



「ああ、そうだね。きっと思っている通りだろう。アレらは己の歪んだ在り様をこの世にうつす力を持っている。ただのヒトに抗うすべなどない」


彼女の話は抽象的であり、しかし十分な情報であった。

龍なる存在のせいで、悲劇が起き、僕の記憶もそれに影響を受けたためであると。彼女の真意は分からないが、彼女が僕の母を殺めたというなら、それは必要なことであったのだろう。

納得したわけではない。しかし、受け入れることはできた。


彼女は僕にそれを話したが、別に話す必要などは無かったのだ。彼女がそうした意味、それはきっと、他ならぬ僕のためなのであろうから。


「これから、僕は何をすべきでしょうか」

彼女の話を聞いたあと、僕は彼女に尋ねた。


これはもちろん、生きているという父親や、記憶を取り戻すためにはどうすべきか、という問いだ。

しかし、彼女には恐らくなんらかの制約があって、明確な返答が出来ない可能性がある。そのために、わざと曖昧な表現をしているのだ。


無論、そんなことは彼女にはお見通しで

「抗い難い力ではあっても、決して抗えないという訳ではない。例えば熟練の魔法使いに魔法が効きにくいように、同じ力を持つものには、その効果が薄まることもあるんだ。そして、力とは何も己が内から湧き出るものだけではない。『持つ』というのは、自らの内に収めるということと同じ」


そのように彼女は話した。いささか難解で、すぐには理解出来なかったが、それが意味することが今後の指針と見て相違ないだろう。

しかし、ことの発端が龍であるとすれば、その力とは、龍のものであるはずだ。それと同じものとは、つまり…


そこまで思い至り、それは可笑しいと首を左右に振った。

それはつまり龍に対抗するために龍の力が必要だということだ。そもそも、龍、あるいはそれに比肩しうる力を持っているなら、初めから龍に相対すれば良いわけで。そのようなまどろっこしい手順を踏む必要はないだろう。


「あとは、あいつに聞くといい。それで、すべてわかるはずだ」


僕の悩みをよそに、彼女はそういって立ち上がると、そのまま自室に行ってしまった。

話は終わりということだろう。そして、彼女が僕以外に個人を差して話すことは一人を除いてない。

つまり、彼女の古い知己であり、僕の師でもある狩人の男に他ならないだろう。


未だ完全に理解することは困難であったが、今は記された方針に従うしかない。僕は彼の家へと足を向けた。


―――

彼の家に着くと、僕の来訪を分かっていたかのようなタイミングで彼が出迎えてくれた。

入り口のドアを開けると、中から胃袋を刺激する芳しい匂いが漂ってきた。

これは…


「肉ですか?」


「…ああ。俺は、あいつのように器用ではない。食えないことは無いはずだ。許せ」


そう問いかけると、彼はバツが悪そうに頭を掻きながらそう言った。


食卓について少し待つと、彼が大きな皿に盛った肉の塊をもってきた。

肉はシンプルに塩のみで焼かれたもので、見た目からは何の肉か判別が付かない。ただ、非常に食欲をそそる匂いが漂っていた。


数日寝ていた上に、まだ水とスープしか口にしていない体だ。このようなものを食べるべきではないと、頭では分かっていたのだが、その芳香には抗い難い魔力があった。

彼を見ると小さくうなずいたため、ナイフで小さく切り分け、その肉を口へと運んだ。


噛んだ途端に肉汁が溢れ出し、えもいわれぬ旨味と多幸感が僕を支配した。

見た目には一見固そうに見える脂身の少ない赤身肉であるのに、その身はしっとりとして柔らかく、しかし一定の固さを持って僕を歯を押し返す。それは、未だ経験したことのない美味との邂逅であった。

いつまでも噛んでいたいと思う心と裏目に、何度か噛み締めたそれを、僕はほとんど無意識に飲みこんでいた。


それからはもう止まらなかった。何度も、何度も、肉を口に運び、そのうちに切り分けるのすら億劫になり、僕は大振りの肉片に齧り付いていた。

どのくらいの時間が経ったか、気づけば彼が持ってきた皿はすっかり空になっていて、自分でもその食欲に驚いた。彼もまたそうであったようだ。ぽかんと大きな口を開けて表情が固まっており、呟くように一言。


「一口でよかったのだが…」


と声を漏らした。

そんな彼の呟きを聞き、少しばかり恥ずかしくなった僕は、彼の真意を問おうと考えた。

そうして口を開こうとした刹那、頭に鋭い痛みを感じた。同時に、その意変に気が付いた。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ