表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
19/23

(19)たゆたう

猫の日ショートショート。エブリスタさんにも投稿しています。

 夏が来るとあの黒猫を思い出す。

 わたしの一回きりの、たいしたことない霊体験。


 その日、祖父母と両親は、朝から出かけていた。

 家に残ったのは、高校生の兄と、中学生のわたしだけ。

 わたしと兄は、お昼ご飯にカレーライスを作ることにした。大人が慌ただしくしている日は、料理をすると喜ばれる。

 カレールウがなかったので、わたしが買い出しに。日焼け止めを塗って、サンダルを履いた。


 田舎町だから近くにコンビニなんてない。カレールウは、二キロ先の古い雑貨屋まで行かないと、買えない。

 外は暑かった。錆びた標識。色褪せたポスター。軽トラックの排気ガスと、空き地にしげる草の匂いが混じり、私の鼻をかすめる。

 陽炎(かげろう)がゆらぐ坂をのぼるうち、汗が流れた。

 お兄ちゃんは家で料理なんてズルいなぁ、と、思った。


 疲れたわたしは、雑貨屋でカレールウのほかに、バニラのアイスキャンデーを買った。お店を出てすぐ、歩き食い。

 半分ほど食べたところで、上から鳴き声がした。ニャーオ。

 視線をあげると、古いブロック塀の上に、黒猫がいた。太陽がまぶしくて見えづらい。

 ニャーオ、ナーオ。

 アイスがほしいのか、黒猫は甘えた声を出していた。

「だめ、だめ。猫にアイスは毒だよ」

 人間の甘いものは動物に与えてはいけない。わたしはアイスを背中に隠し、黒猫に向かって、しっしっと手を振った。手が逆光で陰る。

 猫はそんなのお構いなし。たっと塀から降りてきて、わたしの足もとに来た。

「え」

 思考が止まった。溶けたアイスキャンデーが、したたり落ちた。

 くるぶしが、急にひんやりしたから。冷たい水をかけられたみたいに。……夏の黒猫は、こんな体温じゃないはずだ。

 下を見ると――黒猫の体は、わたしの足をすり抜けていた。バニラのしずくも日の光も、猫の体を無視して地面に落ちている――。

 黒い毛並みが不気味に思えた。


 わたしは声にならない叫びをあげ、道を駆けだした。

 甘え声を出していた黒猫は、態度を変えた。金の目を見開いて追ってきた。いや。たすけて。そんな言葉が口に出た。

 動揺したわたしは、歩道の亀裂に足をとられた。バニラアイスが宙を舞う。

 わたしがこけようという瞬間、黒猫はわたしの体を、猛スピードですりぬけていった。黒猫はわたしもアイスも無視して、ある獲物に向かっていた。

 わたしは膝を押さえながら起きあがり、猫が飛びかかっている生き物を見た。

 蛇だ。ずんぐりとした体形の、赤茶色の蛇。

 黒猫は俊敏(しゅんびん)な動きで、蛇の頭に噛みついた……正確には、噛みつこうとした。

 猫の鋭い牙、長い爪、どちらも蛇の体を通らない。この世の者でない黒猫は、蛇にさわれないようだった。

 だけれど赤茶色の蛇は、身をくねらせ、遠くに這っていった。黒猫の攻撃は痛くなくとも、冷たくて、いやだったのだろう。

 残った黒猫は、未練がましく鳴いた。そして、陽炎のように揺らいで消えた。

 わたしはしばらく座り込んでいたが、草むらに「マムシ注意」という看板があったので、さっと立ちあがった。看板に描かれたマムシの絵は、さっきの蛇とそっくりだった。


 家に帰ると、兄にとても心配された。その足のけがはどうしたかと。

 わたしはまず、買ってきたカレールウを、兄に手渡した。


 わたしは兄にすり傷の手当てをされながら、ありのままを話した。

 マムシと、おばけの黒猫を見た、と。

 兄は薬箱を棚に戻しながら「へえ」と。気のない返事をした。

「ほんとに見たの。あれはきっと、幽霊猫か化け猫よ。すごい顔でマムシに襲いかかっていたんだから」

 捕まえられなかったけど。

「その黒猫、お前になにかしたの」

「……黒猫のせいでマムシに会った……。ううん。マムシから、助けてもらったかも」

「ならよかった」

 その黒猫は幸運を呼ぶ猫か、ただの猫だよ。兄はそう笑った。


 悪いものじゃないなら、もう一度あの黒猫に会いたかった。

 だってせっかくのオカルトだ。怖がらずに観察したい。「霊が見える」とまわりに自慢したい。

 こういうよこしまな心がいけないのか。マムシが出ないよう道が整備されたからか。

 中学生の夏以来、あの黒猫を見ることはなかった。

 ただバニラアイスを食べているときは、くるぶしが冷えて、猫の気配を感じた。


 今年も夏が来る。

 わたしは子供のころに会った、あの黒猫を思い出す。

主人公の少女は羽海といい、以前に書いた短編に端役として登場しています。

『ぼくの怖い話』

https://ncode.syosetu.com/n7762ew/

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ