《秘匿されし聖女》の仮面が剥がれる時
沢山の方に読んで頂きありがとうございます‼︎
今回は割り込みです‼︎
今後も頑張りますので、よろしくどうぞ‼︎
仄暗い妖しい光。
噎せ返るような甘い匂い。
無理やり暴かれる肌。
振るわれる暴力。
今はそこにいないはずなのに、今も夢で見る。
まだ救われていないんじゃないかと、錯覚しては。
目が覚めて涙を流す。
ローラ・コーナーに身体を奪われ、彼女の身体に閉じ込められたアリシエラ・マチラスは。
本当の《秘匿されし聖女》は、今、教会に滞在していた。
教会では心や身体に傷を負い、俗世で生きることが難しい人を迎え入れ、社会復帰できるように支援している。
アリシエラもその支援を受ける者の一人として、教会で過ごしていた。
朝、日が昇る前に目覚めて……朝食後、掃除や洗濯などの雑務を手伝う。
昼食後は、読書などの自由時間。
夕食後は、神官様とお話をする。
そして、就寝。
基本的に自由度の高い日々を過ごしているが、それは心や身体が傷ついた人に無理をさせないためだ。
しかし、アリシエラの場合、その身に起こった不幸は常識では考えられないことばかり。
学園に通うことになったと思ったら、学園に入る直前に意識を失い……目覚めた時には既に娼館で。
目が覚めた時には、アリシエラはローラ・コーナーになっていて。
ローラの名前で呼ばれる。
自分の身体ではなくなっている。
否応なしに慰みモノにさせられ、拒絶すれば暴力で服従させられる。
辛かった。
どうして自分がこんな目に遭わなくてはいけないのだろうと、神すら呪った。
ゆえに、このような穏やかな日々を過ごしていても、彼女の心が癒されることはなかった。
それどころか日々、苦しみばかりが募る。
救われたはずなのに、未だにアリシエラはこれが夢なのではと思ってしまう。
それほどまでに、彼女は傷ついていた。
しかし、そんな彼女はある日……とある青年と出会う。
*****
「こんにちは」
いつ頃からか……教会の裏にある小さな庭で呆然と座ることが多くなっていたアリシエラに、声をかけてきた青年がいた。
落ち着いた焦茶色の髪と真っ白な瞳。
神官の服を着た彼は、優しい笑顔を浮かべていた。
「………こん、にち…は……」
夜に神官様とお話しする(メンタルケアの一種)以外は、滅多に喋らなくなっていたアリシエラはその人物に動揺する。
そんな彼女を気にすることなく、彼は話し続けた。
「僕の名前はベンジャミンと言います」
「…………」
「貴女のお名前は?」
「………………」
アリシエラは目を伏せて、逡巡する。
しかし……恐る恐る口を開いた。
「私、は……アリシエラ……です……」
「アリシエラ嬢ですか。触っても?」
「……………え?」
「あぁ、いきなりそんなことを言ったら不審ですよね」
ベンジャミンはクスクス笑って、自身の目を指差した。
「僕、盲目なんです」
「え?」
「なので、人の顔を把握するには直接手で触れるしかなくて……ですから、貴女に触れてもいいかお聞きしました」
ベンジャミンは盲目だということに嘆いている様子はない。
その姿にアリシエラは困惑する。
何故、自分の身の不幸を嘆かないのか。
どうして普通にしていられるのか。
………分からない。
「………どうして…」
「?」
「どうして……盲目なのに、そんなに普通にしていられるの……?」
アリシエラは、彼よりも自分の方が不幸だと思っている。
勝手に身体を交換されて、娼館で働かされていたのだ。
ありえないはずの出来事で、でも真実で。
元の肉体に戻ることはないと言われた以上……他人のモノだったこの身体は、アリシエラのモノだ。
この穢された身体で、生きていかなくてはいけない。
そんな自分と盲目を比べると……自分の方が不幸だと思うのも当たり前だろう。
しかし、それでもベンジャミンの盲目というのも、不幸であると思えた。
ほんの少しだけ、不幸な境遇が重なっているから……アリシエラは彼に聞いた。
どうして嘆かずにいられるのか、と。
ベンジャミンはその質問に、柔らかく微笑んで答えた。
「……うーん…産まれた時から盲目なので、これが僕の当たり前なんです」
「………」
「それに……容姿が見えなくても、その人の本心は見えますから。問題ないんですよ」
それを聞いたアリシエラは、自分と彼は違うことを悟る。
そこで、ベンジャミンは柔らかく微笑んだ。
「で、貴女は自分の不幸と僕の不幸を比べて楽しいですか?」
「…………え?」
しかし、ベンジャミンはとても軽い言葉でアリシエラの本音を指摘する。
柔らかく微笑みながら。
「自分が可哀想な子だと、悲劇のヒロインぶりたいのですか?」
「………何、を……」
「言ったでしょう?僕は目が見えません。ですが、本質を見抜くことができるんです」
確かに、アリシエラの心の傷は癒えていない。
しかし、それは傷ついている自分に浸っているからで、余計に癒えるはずがなかったのだ。
アリシエラは彼の境遇と自分の境遇を比べて……自分の方が可哀想な子だと思いたかっただけなのだ。
そうして嘆いて、悲劇のヒロインを演じているのだ。
それが無意識だとしてもーー。
「何、を……」
「随分と狡い人なんですね」
「………っ‼︎」
「楽しいですか?」
そう言われた瞬間、アリシエラは貼り付けていた仮面をかなぐり捨てた。
「貴方に何が分かるのっ‼︎そうやってしか生きられなかった……私の何が分かるのっっ‼︎」
アリシエラ・マチラスになる前……ただのアリシエラの時。
駆け落ち、なんてロマンチックな出会いでも現実は甘くない。
貴族令嬢がゆえに世間知らずでお荷物な母を連れながら、父は昼夜問わず働くしかなかった。
その鬱憤を晴らすように、彼女は日常的に父親に暴力を振るわれていた。
母は元貴族令嬢ゆえか弱い人だった。
だから、暴力を振るう父を抑えられず……アリシエラが暴力を振るわれるのをただ見ていることしかできなかった。
それはそうだろう。
アリシエラを助ければ、自分にも暴力を振るわれる。
日常的な暴力は逃げるという思考さえも奪っていく。
そして……目覚めたのが《秘匿されし聖女》の癒しの力だった。
だが、それは更なる地獄を呼んだ。
どれだけ怪我をしても治ってしまう。
つまり、どれだけ傷つけようとバレないということだ。
都合の良いサンドバッグができただけ。
暴力はどんどんエスカレートしていった。
痛かった。
苦しかった。
助けて欲しかった。
だから、アリシエラは思考を放棄した。
自分はいつも誰でも信じるような心優しい少女なのに、酷い境遇で生きてきた悲劇のヒロインで。
いつの日か救われる日がくるのだと考えるようになった。
それは一種の現実逃避。
でも、そんな風に振る舞わないと生きることさえできなかった。
いつしかそれが癖になって……いつからか、その悲劇のヒロインぶる行動に伴い、周りの人達が優しくなっていった。
それは誘惑の力に覚醒しただけだったのだが……そんなことを知る由もないアリシエラは、悲劇のヒロインが救われる時がやってきたのだと思った。
そうして、両親が死んで……祖父に引き取られ、貴族として学園に通うことになったのに……あんなことになって。
また悲劇のヒロインだと思い込まないと、自我を保てなかった。
でも、アリシエラがソレに耽溺していたのも確かだった。
自分は可哀想な人間なのだと、誰よりもこの世界で不幸な存在なのだと……浸っていた。
だって、そうしていれば……優しくしてもらえるから。
哀れんでくれるから。
暴力を振るわれないから。
「私が、私を保つためには……そうやって。悲劇のヒロインだって思いながら、自分を慰めるしかなかった……」
「…………」
「だって、そうしたら、いつか……誰かが助けてくれるかもしれない。助けてもらえたけど、まだ苦しい記憶が残ってるのよ……私は、自分が可哀想な子だからって。仕方ないと……思わないと……私は……。ずっと、ずっと…苦しんできたの……可哀想な子だったら……周りの人達も、優しくしてくれる……暴力を振るわないでくれるから……」
ぐちゃぐちゃな言葉を紡いで、アリシエラは泣きそうに顔を歪めながら呟く。
涙さえも流れない。
自分が、自分を理解できていない。
悲劇のヒロインを演じ過ぎて、本当の自分が分からなくなっていた。
ただ、打算的な意味合いが強過ぎたのだから。
そんな彼女の本音を聞きながら……ベンジャミンは静かに目を閉じた。
「それが貴女の本音ですか?」
「…………分から、な……」
「貴女は迷子なんですね。そんなに綺麗な心を持っているのに」
「………違う…私は……私は……」
「大丈夫です。貴女の心はとても綺麗ですよ。今は自分がどうするべきなのか迷子になっているだけです。だから、僕が一緒に探してあげます。悲劇のヒロインを演じないで、悲劇さえも乗り越えるアリシエラ嬢になるのですよ」
アリシエラはそれに答えられない。
自分が本当にどうしたいのかも、分からないのだから。
自分を慰めるため、周りから優しくしてもらうために……本当の自分じゃない自分を演じてきたのだから。
ローラに身体を奪われたことだって、本当はもう吹っ切れているのかも分からない。
どう思いたいのかも分からな……。
「なんかいい話にまとめてるが……茶番だな」
「「⁉︎」」
その声は、唐突に響いた。
振り返ればそこにいたのは、漆黒の髪の美青年と彼に寄り添う蒼銀の髪を持つ美しい少女………ラグナとミュゼだった。
「なっ⁉︎魔の物が何故、教会にっ……⁉︎」
盲目のはずのベンジャミンが震えながら、二人を睨む。
そんな彼を見て、ラグナは「ん?」と怪訝な顔をした。
「……あぁ、ギフト持ちか。《真眼》あたりか?」
「っっ⁉︎何故、それをっ……」
《真眼》は全てを見抜く魔眼だ。
神からの贈り物の一つだった。
「まぁ、いい。俺はそこにいる女に用があるんだ」
「近づくなっ、魔の物がっ……‼︎」
「《動くな、黙れ》」
ラグナの力ある言葉にベンジャミンは動けなくなり、喋れなくなる。
そして……二人は、ゆっくりとアリシエラに近づいた。
「貴女達、は……」
「こんにちは、アリシエラ様。お元気ですか?」
かなりシリアスな雰囲気だというのに、ミュゼはふわりと微笑んで彼女に声をかける。
アリシエラは「……えぇ…」と、呆然と答えた。
ラグナはそんなミュゼの様子に微笑みながらも、冷たい声でアリシエラで告げた。
「言いたいことは一つだ。お前の前の身体をぶっ壊すぞ」
「………え?」
ラグナは語る。
ローラ・コーナーに行う予定の復讐内容を。
それを聞いたアリシエラとベンジャミンは目を見開いて硬直する。
その余りの凄惨さに、アリシエラはガクガクと震え出すほどだ。
「オェッ……」
アリシエラは口を押さえて、俯く。
聞いているだけで吐き気を催しそうだった。
「まぁ、お前の身体を潰すのは確定なんだが……一応、言った方がいいんじゃないかなって眷属に言われてな」
ラグナは酷く面倒臭そうに言って、ミュゼの頬を撫でる。
アリシエラは、そんな二人を見て……恐る恐る聞いた。
「………貴方達は……一体……。それに…彼女は……そんな目に遭うほどのことを…したの……?」
そう言われてラグナはキョトンとする。
そんな彼にミュゼは教えた。
「アリシエラ嬢は何も知らないですよ?」
「………話してなかったか?」
「はい。何も教えてないです」
「まぁ、教えてやるか」
ラグナは語る。
ミュゼの四回の死とタイムリープ。
アリシエラ・マチラスの力によって、男達が彼女を殺したことを。
そして、その裏で暗躍していたのがローラ・コーナーだということを。
全部、教えてやった。
全てを知ったアリシエラとベンジャミンは、絶句する。
………アリシエラがこうして身体を交換させられたのも、娼館に売られたのも、全部ローラ・コーナーの所為だったのだから。
「はっきり言って、俺にとってはお前も加害者だからな。悲劇のヒロインだと思わないと自分を保てなかった?優しい子として振る舞わなくてはいけなかった?ハッ……笑わせるな。その所為で死んだ人間がいるのに」
アリシエラはそう言われて何も言えなくなる。
そんなことを言われても、五回目の彼女は被害者と言える立場だった。
繰り返した四回目では、加害者側だったと言われても……アリシエラは……。
「私がミュゼさんを、殺したの?」
「正確には貴女の力で洗脳状態になった男性達にです」
「お前の悲劇のヒロインぶるってのが誘惑の力を発動している状態なんだろうな。おかげでなんの罪もないミュゼは、お前よりも酷い目に遭って死んだ」
ラグナは怒りの色を宿しながら、黄金の瞳で睨みつける。
その顔は、まさに怨敵を見ているようで。
アリシエラはその殺意に身体が動かなくなる。
「本当はお前にも復讐してやりたいんだ。だが、お前の身体は奪われ、聖女の地位を奪われ、娼館に売られて娼婦として慰み者にされた。だから、まぁ?俺の手ではないけどそれなりの目に遭ってくれたから許してやろうかと」
「……………」
「二度と自分の身体には戻れない。クソ女が入った自分の身体も俺にズタズタにされる。加えて、お前はその穢れたクソ女の身体で生きていく。俺の手でそうなったって訳じゃないのが少し気に喰わないが……まぁ、充分だろう」
ラグナは楽しそうに笑う。
他人の不幸をケラケラと、喜んでいる。
その笑顔に……アリシエラは怒るよりも恐怖を抱いてしまう。
「あぁ、そうだ。お前も話を聞いた以上、利用させてもらうとしよう」
「……………っ‼︎」
喋れないベンジャミンは、その声が自分に向けられたモノだと理解してしまった。
ラグナがゆっくりと彼の額に触れ、記憶を探る。
そして……ラグナはニヤリと微笑んだ。
「なんだ、お前。異端審問官なのか。丁度いい」
「…………っっっ‼︎」
「話は聞いていたな?クソ女は化物になる予定だ。よかったな?本物の異端審問官として働けるぞ?」
この世界における異端審問官とは、悪魔崇拝などをする邪教を排除することを意図した異端審問に関わる役職だ。
しかし、ラグナが示す本物というのは実際の化物に対する異端審問で。
ベンジャミンはそれを理解して、震える。
「あぁ、そうだ。別に言いふらしても構わないが……その時は死を覚悟しろよ?俺の邪魔をするヤツは誰であろうと………殺す」
ぞくりっ‼︎
背筋が凍りそうな死の恐怖。
それがただの人間でしかないベンジャミンを襲う。
彼の目は……その邪悪過ぎる存在が、ただの魔物ではないと指し示していた。
「ラグナ。ラグナが何者か話してないから、脅しにならないと思うです。魔物としか分かってないと思うのですよ?」
「………《真眼》があるから分かってると思うが……まぁ、いいか。今更だが自己紹介をしよう」
こんな殺意に満ちた空間の中で、ミュゼだけはなんでもないような様子で微笑んでいて。
アリシエラとベンジャミンはそんな不気味な二人から……今すぐこの場から逃げたくて堪らなかった。
「俺は《破滅の邪竜》。邪魔をしない限りは敵対しないと誓おう」
「私は《邪竜の花嫁》なのです。よろしくお願いします」
そうして、転移の魔法で消え去った二人。
ミュゼ達が消え去ると同時に拘束の魔法が解けて、ベンジャミンはその場に倒れ込みそうになる。
滝のように流れる冷や汗と、身体が震えるほどの恐怖。
アリシエラとベンジャミンは互いに顔を見合わせて……。
「お互いに危険な存在に目をつけられましたね……アリシエラ嬢」
「それは貴方だけじゃない……?」
と言い合った瞬間、二人揃って気絶した。