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邪竜は愛しき花嫁のために交渉する







煩い声がした。

女の泣き喚く声だ。



その言葉は、「ここから出して」や

「助けて」ばかり。



しかし、この空間は闇色に染まっていて……彼女を助けようとする存在はいなかった。



同じようにこの空間に囚われるモノであろうと、あくまで彼は俯瞰者であった。




どれほどその女は叫んでいただろうか。

数日にも、何ヶ月かのようにも感じた。

いつしかその声は聞こえなくなった。


そこまでになって、やっと彼は目を開く。




『………死んだ、か?』




闇の向こう。

小さく息を飲む音が聞こえた。

まだしぶとく生きていたらしい。



「だ…れ……?」



その声は酷く弱っている。

少し哀れになった彼は、ほんの少ししか使えない魔力を使って小さな光を生み出した。

どうせ最後になるのだ。

本当の姿を見せても良いだろうとそう思ってしまった。


彼は自分の姿が化け物だと分かっていた。

だから、今日の今日まで彼女に姿を見せなかったのだ。

怯えさせると分かっていたから。


だが、現実はそれに反したもので。

姿を見た彼女は……驚いたように目を見開く。

驚いたのは彼の方もで。

雪のような蒼銀の髪に、菫色の瞳。

とても美しい少女が、酷くやつれた顔で驚いていて……ゆっくりと微笑んだ。




「………ふふっ…貴方……綺麗、ね」




消えそうな声だった。

でも、確かにその声は彼を褒めていた。

そんなこと言われたのは初めてで、酷く動揺する。


『……お世辞か…?』

「………なん、で……?」

『この姿を見て…綺麗、だなんて』

「……私…お世辞を、言えるほど……できた人間じゃ、ないの、よ……」


困ったように微笑んで彼女はゆっくりと目を閉じようとする。

駄目だ、と頭の中で誰かが叫んだ。


『っ……‼︎《癒しの力よ》っ‼︎』


この空間は反魔法の力が働いていて、彼は本来の力を使うことができない。

しかも、回復系の魔法は苦手な部類に入る。

しかし、少ししか使えなくても…苦手でも……使わないよりはマシだ。


柔らかな光が彼女を包む。

それを見て泣きそうになりながら、彼は小さく呟いた。



『おい…死ぬな……俺はまだ…お前の名前さえ知らないんだぞ……?』




どうか、彼女をまだ連れて行かないでくれと神に願う。



身勝手だとは分かっている。



けれど。




あの…綺麗な菫色の瞳を、もう一度見たいのだー………。







*****






空を舞う。

ミュゼを思ってなのか、ゆっくりとした速度で飛ぶ。

彼女はただ静かに彼の腕の中にいた。


(どこに行こうとしてるのかな……)


ラグナは真っ直ぐに王都の真ん中に向かっていて。

そこにあるのは白亜の王城だ。

もしかして……と思った時には、ほぼ眼前に迫っていた。


『この国の王に用がある。出て来い』


威圧感ある、王城全体に響く声の大きさで告げる。

どうやら予想は的中したようで……ラグナはゆっくりと王城前の広場に降り立った。

着地しても彼はミュゼを離そうとしない。

ミュゼは不安げな顔で見上げた。


「ラグ……」

『今は俺の名を呼ぶなよ』

「………はい…」


彼女に向ける声だけはとても、甘いほどに優しくて。

それだけで、何も言えなくなってしまう。

ラグナの声に反応して、王城からは沢山の騎士が出て来た。

銀色の鎧を纏った彼らは、大きな槍を構えて全身を震わせている。

中にはラグナの姿を視認しただけで腰を抜かす人までいた。

そして……騎士達の最後に、王冠を頭を戴いた国王が出て来た。


国王フレディ・ヴァン・ノヴィエスタ。


かつて内戦があったこの国をその手腕で政治的にも、軍事的にも収めた人。

名君、とも呼ばれる国王であった。


「わたしが国王だ。名をフレディ・ヴァン・ノヴィエスタという。貴殿は……」

『俺は貴様らの言葉を借りるならば破滅の邪竜と呼ばれるモノ。俺がここに来たのは簡単な理由だ。貴様と交渉がしたい』

「…………交渉…だと?」


そこで国王は、ラグナの腕の中にいた人物に気づく。

まさか邪竜の腕の中に人がいるとは思っていなかったのだろう。

驚愕していた。


「そちらの…令嬢は……」

『あぁ、目敏いな。俺の交渉とはこの娘のことだ』

「…………え?」


驚いたのは国王達だけではなくミュゼもだった。

ラグナはにったりと笑って、告げる。


『俺はこの娘をつがいにもらい受けたい。ゆえに俺とこの娘がこの国で暮らすことを容認してもらいたいのだ』

「つ……番っ⁉︎」

「この国で暮らす……⁉︎」


違う意味で、その場に動揺が走った。

ミュゼは〝番〟という部分で。

国王達は〝この国で暮らす〟という部分で。


『あぁ。俺がこの娘を俺の住む場所に連れて行っても良いんだが……人間には刺激が強すぎる場所だからな。ならば俺がこの娘の住む環境に合わせてやった方が良い』

「ならば…わたしの国でなくても良いのでは……」

『まぁ、それはそうだが……俺は邪竜だ。それだけで数多のモノに狙われる。彼女を庇護するにはどこかの国に留まってしまった方が都合が良いんだ。第一にすべきはこの娘を守ることだからな』


目を細めて愛おしそうに告げられて…ミュゼは頬を赤くした。

今までそんなことを言われたことがないから、耐性がない。

ミュゼは熱くなった頬を押さえて、目線を逸らした。


『それに……俺らが去る場合、二度とこの地を踏もうとは思わないからな。先にやるべきことをしてから出て行く必要がある』

「やるべき、ことだと……?」

『あぁ…名前はなんと言ったか……そうだ、あのアルフレッドとかいう公爵家の男を始めとして数人、殺してから出て行かなくては』

「…………え?」


ミュゼは一気に心臓が止まるような感覚に陥った。

彼が言ったアルフレッドとは、婚約者のことだろう。

何故、殺すことに繋がるのかが分からなくて、思わず叫んだ。


「ラッ……邪竜様‼︎何故、彼を殺すなど……」

『お前に剣を向けた。それが理由だ』

「でもっ……」

『何もしていないのに剣でお前の肌を傷つけた。それだけで充分な理由だと思うが?』


そこでミュゼは自分の腕を押さえた。

血は止まっていたが、剣で切られた所為でぱっくりと傷跡が残っていた。


『剣での傷は跡が残るというのに、俺の寵愛を受けるお前が傷つけられたんだ。俺は回復の魔法が苦手だからな…お前の傷を治そうとしたら逆に治し過ぎて死ぬ可能性が高い。本当に今ばかりは邪竜というのが嫌になる』

「そんなに心配…しなくても……」

『本来ならこの国を滅ぼしたいほどなんだぞ?』

「それは駄目ですからねっ⁉︎」

『……あぁ、お前がそう言うから数人を殺すだけでこの怒りを収めてやろうと言ってるんだ。まぁ、その過程でこの王都が滅びるくらいは仕方ないだろうけれどな』


ケラケラと笑うが冗談じゃない。

ラグナを除いた、その場にいる全員が顔面蒼白になっていた。

国王的にも抹殺対象となっている者が問題だった。

アルフレッドは公爵家の嫡子…加えて甥ゆえに国王も知っている。

その婚約者…ミュゼ・シェノアのことも。

つまり、邪竜の腕の中にいるのはアルフレッドの婚約者であり、そんな彼が婚約者に剣を向け、その報復に殺されるなど……醜聞以外の何物でもない。


『あぁ……話が逸れたな。とにかく、だ。この国に置いてくれるならば俺も多少の譲歩をしなくてはならない。その譲歩の中に先ほどの抹殺は先送るという件が入る』

「……先送り、なのだな……」

『当たり前だ。何もしていないひ弱な娘に剣を向けるのだぞ?それだけ考えれば頭がだいぶおかしい。そんなに頭がおかしいなら、何かと理由をつけて再び襲ってくるかもしれないだろ?』


国王は何も言い返せずに固まってしまった。

しかし、その言葉に反論する人がいた。



「お待ち下さい、国王‼︎わたしはそんなことをしていませんっ‼︎」



慌てた様子で、白馬に乗って現れた二人。

アルフレッドとジャンだ。

彼らはギリッ‼︎とミュゼと邪竜を睨むと、国王に進言した。


「我々は見ました‼︎その娘……ミュゼ・シェノアが邪竜を呼ぶのを‼︎ゆえに我らは剣を下ろしたのですっ‼︎」


アルフレッドが堂々と言う。

その言い方では、ラグナが来た後に剣を向けたことになってしまう。

ミュゼが違うと叫ぼうとした瞬間、ラグナが咆哮した。



『ふざけるなっ‼︎』



「っっっ……‼︎」


咆哮は、この地を揺らす。

その音は音の壁となって、ビリビリと身体を痺れさせた。


『貴様らが剣を先に向けたゆえに俺が来たのだ‼︎俺の愛し子が傷つけられたからなっ‼︎俺を呼んだのは貴様らの行動だっ‼︎』

「…………なっ…‼︎」

「黙れ、邪竜っ‼︎その女は剣を向けられるだけのことをしたんだ‼︎」


ジャンの言葉にラグナが反応する。

次の瞬間、彼の周りから漆黒の光が溢れ出した。


『剣を向けられるだけのことをした……?ダンスパーティーで婚約者が自分以外の女と参加し、それを見たミュゼが婚約破棄を願ったことが……剣を向けられる理由になると?』

「その中で彼女に言っただろう‼︎彼女こそが正妻だと陰口を叩かれることになるとっ……‼︎だから彼女は泣いて……」

『そうだな。だが、その陰口を叩かれるのはミュゼだ。何故、その女が泣く?』

「………何故って……」

『普通に考えて、ミュゼが正妻なのに相応しい女が他にいると言われれば陰口だろう。だが…その女に対して正妻が相応しいと言うのは陰口になるのか?その件で彼女が泣いたと抗議しに行って、その女が泣いた理由が分からないと言ったミュゼに剣を突き立てるのは普通のことだと』


ラグナの言葉に周りは騒めきだす。

話がおかしなことになっていると気づいたのだろう。


婚約者以外の女とダンスパーティーに参加した時点で既にこの件はこじれていた。

貴族が妾を作ることは珍しくないが、基本的には一夫一妻制なのだから、それを見てミュゼが婚約破棄を願い出るのも一理ある。

その中で、もし結婚したと仮定して陰口を叩かれるのは自分だとミュゼが話したのも普通だろう。

だが、その女が泣く理由は?

泣いたからとミュゼに抗議し、困惑した彼女に剣を向けたのは普通か?

いや、普通じゃない。



『お前ら……おかしいんじゃないか?』



ラグナの言葉は、そこにいる人達の意見を代弁したものだった。

それを聞いたアルフレッドとジャンは、目を見開いて狼狽する。

その姿は、自分が正しいと思っているのに…周りが信じてくれなくて、困惑しているようだった。


「ちっ…違うっ……違うっ‼︎」

「おかしいのはっ……その女の方だっ‼︎国王陛下達は…きっと邪竜に洗脳されてっ……」

『生憎、洗脳系の魔法は苦手でな。そんなものをやろうとしたらされた側は即死だ』


ラグナの言葉は嘘じゃないのだろう。

だが、二人は信じようとしない。

まるで発狂したように、違うとかおかしいとか叫んでいる。

ミュゼはその姿を見て戦慄してしまった。



自分が見ていたアルフレッドは……こんなにもおかしかったのか、と。



『あぁ、本当に目障りだな……もう面倒だ。今、この場で死ね』


ラグナが呪文を唱え始める。

それは大きな漆黒の魔法陣になって、アルフレッド達を囲む。

彼らは逃げようとするが、魔法陣には拘束の式も含まれているようで彼らは動けない。

国王達も止めてくれと叫んでいたが、その声は届かなかった。



だから、それを止められるのは……一人しかいなかった。



「止めてっ‼︎」



ぴたり。

ラグナの動きが止まる。

彼の腕の中で…ミュゼが悲しそうな顔で、彼を見上げていた。


「貴方が手を汚す必要はないです。そんな価値、彼らにない」

『………だが…』

「私は大丈夫。ずっと怖かったけど……貴方が私のことを思って守ろうとしてくれた。それで充分なんです」


その言葉に嘘偽りはない。

誰も守ってくれなかった。

でもラグナだけは守ろうとしてくれた。

それがどんなに嬉しくて、幸せなことなのか。

凄惨な死ばかりを迎えていたミュゼにしてみれば、それは〝死にそうなぐらいの幸福〟なのだから。

死んだ記憶が戻った以上、ミュゼの壊れた部分は治らない。

でも、彼の言葉のおかげで救われたのも確かなのだ。


「………お願い……殺さないで」

『………お前は優しすぎる』

「………ごめんなさい」

『謝らなくて良い。お前がそういう娘だったから、俺はお前が好きなんだ』

「………私、性格キツいですよ?」

『それは今まではこの男を好いてたからだろ。恋は人を愚かにするが、お前は愚かになっても常識的に見て当たり前のことをしただけだろう?相手のために勉学に励む。他の女が婚約者に擦り寄ってるのをたしなめた。それが性格がキツいということになるのか?』


何か怪我をさせたとか、イジメをしたとかをしたことがないが……そういったことを言った所為で、ありもしない悪事を作られて殺されてきたのだ。

また、あの死の恐怖を思い出して身体が震える。

何度も切り裂かれて死ぬ、あの痛みを。



『………ちなみに…今はもう好きじゃないよな?』



しかし、そんな震えは彼の言葉で簡単に止まってしまった。

記憶の恐怖に震えていたミュゼは、不安そうなラグナの言葉で現実に戻される。

見上げると……そこにはとても不安げな瞳で見つめてくる彼の姿。

身体は大きいのに…子犬みたいな雰囲気を出しているものだから、ミュゼは思わず笑ってしまった。


『………ミュゼ…?』

「ふっ…ふふっ……だって…貴方、身体は大きいのに子犬みたいなんですもん。可愛い」

『………俺を可愛いと言ったのはお前が初めてだぞ』

「ふふふっ……ごめんなさい」

『むぅ……可愛いと言われるのは男としてはなんとも言えない気持ちだが……ミュゼが笑うなら良いか』


ラグナが彼女に頭を近づける。

ミュゼも彼の頭に頬を擦り寄せた。

場違いなほどに甘い空気を流し始めた二人に、そこにいた人々は難しい顔をする。


「私、自分に殺意を向けてくる男を好きでいられる人間じゃないです」

『なら、良い』

「はい」


ミュゼが綺麗な顔で微笑むと、ラグナは満足そうに頷いた。

そして、そんな彼女の笑顔を見た周りの人達は……その笑顔に見惚れてしまった。


ミュゼは美しい容姿を持っている。

それはアリシエラに負けないほどの。




そんな彼女が、晴れやかな笑顔で……愛おしそうに笑うのだ。




その美しさに見惚れぬ者は、いなかった。




『あぁ、また話が逸れたな。国王、話を戻して良いか?』

「……っ‼︎……あぁ…」


ミュゼの美しさに呆然としていた国王は、呼ばれたことで意識を邪竜に戻す。

ラグナは戦意喪失して、動けなくなったアルフレッド達を尻目に……交渉を再開した。


『さて、譲歩にはもう一つある。俺達をこの国においてくれたなら、俺はお前達をついでに守ってやっても良い』

「…………何…?」

『俺がおおやけにこの国を守護するとなっては他国から良い顔をされないだろう。しかし、俺の姫君がいる国だ。ゆえに俺は彼女を守る。ついで・・・にこの国が守られても、他国の奴らは何も言えないだろう?』

「………‼︎」


つまりは、だ。

ミュゼ達をこの国においておけば、ラグナは彼女を守るという名目でこの国も一緒に守ってやっても良いと言っているのだ。

あくまでも協力関係ではなく、守護ではなく。

ただのついで・・・、で。


「………見返り、は」

『言っただろう。俺は彼女を第一考えている。ミュゼが過ごしやすい環境にいさせてもらうのが見返りだ』

「……………」

『あぁ……だが』


ラグナは目を細めて静かに殺意を放つ。

それはアルフレッド達に向けられ、彼らはビクッと身体を震わせた。




『ミュゼに何か起きた時、俺はこの国を滅ぼす。世界さえも、な』




数分にも数十分にも及ぶ沈黙。

国王は静かに頷いた。


「……………分かった……貴殿の要求を受け入れよう」

『ついでにミュゼとあの男の婚約破棄も頼む。ミュゼは俺の花嫁だ』

「……あぁ、直ぐに国王名義で破棄させよう」

『あぁ、話が分かる奴で良かった』


ラグナは満足そうに笑う。

そこに反論するのはやっぱり愚かな奴らで。


「国王陛下っ‼︎この邪竜の言うことを聞くのですかっ‼︎」

「黙れ、アルフレッド‼︎そもそもの原因はお前の所業だっ‼︎」

「………っ…‼︎」


国王に怒られたアルフレッドは今度こそ口を閉ざす。

ラグナは辟易とした目でそれを見ていた。


『やはり殺しておくか?』

「それは駄目です」

『冗談だ』

「……冗談に聞こえないです…」





彼は自分のためにここまでしてくれた。

もう、幸せ過ぎて死にそうで。






ミュゼは、困ったように苦笑した。










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― 新着の感想 ―
[良い点] 初めてこれを読んだ感想は素敵な愛物語を作っていただいてありがとうございます。次の展開は楽しみです
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