休日にも事件を添えて(2)
エドワード・シェノアという人物は一言で言ってしまえば〝良い人〟、だ。
他者を疑うことなく。
一つのことに集中してしまうと、それ以外は気にも留めない。
考えることより身体を動かすことを好む、筋肉馬鹿。
まぁ、オブラートに包まずに言えば、馬鹿である。
本来、伯爵家を継ぐべき立場なのだが……あまり期待はされていない。
それどころか今では、姉の婚約者に継がせるべきか?という話まであるほどにお気楽なのだ。
だから、彼がユーリとの打ち合わせ中にそちらに意識がいったのは珍しいことだった。
兵士として鍛えられた男達を容易く蹴り飛ばすその脚力。
その頭蓋骨を掴み、地面に叩きつける腕力。
そこにいた黒髪の男は、酷く地味な格好をしていたのに、とても強かった。
だから、エドワードは興味を持った。
強さを感じないのに……その力の底が見えない、男に対して。
「げっ……あいつはっ……‼︎」
そこでユーリが彼に気づいたのか、見たことがないような顔になって駆けて行く。
エドワードはきょとん、としながら……その後に続いた……。
*****
「なんでっ‼︎お前がここにいるんですっ‼︎」
ユーリが般若のような顔でラグナに告げる。
ミュゼはそんな弟に驚いて……首を傾げた。
「ユーリ?どうしてそんなに怒っているのですか?」
「怒るにっ‼︎決まってるでしょうっ⁉︎」
「?」
ユーリの言葉にミュゼがきょとんとしていたら、ラグナがいそいそと身体を動かして、彼女の膝の上に頭を乗っける。
言わば膝枕だ。
ミュゼはくすくすと笑って、彼の頭を撫でた。
「ラグナ、どうしたんですか?」
「帰ったらお前がいなかった」
「あぁ……ユーリがお出かけしようって誘ってくれたのです」
「出かけなくて良い。俺の腕の中にいろよ」
そう言った彼の顔はどこか仄暗くて。
でも、拗ねているようで。
ミュゼはもしかして……と聞いた。
「私がいなくて寂しかったんですか?」
「…………ぅ…」
ラグナの顔がじんわりと赤くなっていく。
思わずつられて、ミュゼも頬を赤くした。
狼狽したラグナは何度か口を開閉させると……意を決したように叫んだ。
「………あー、そうだよっ‼︎ミュゼが俺のところにいないと寂しいし、落ち着かないんだよっ‼︎」
「ラグナが置いていったのにですか?」
「それはそーだけどっ……他の男と一緒にいるなよ……」
「うーん……でも、ユーリは弟ですよ?」
「弟でも、なんでも。もし一人の時にあーやって絡まれたら、俺が守れないだろ」
ラグナが懇願するように彼女の手を掴んで、その指先に優しくキスをする。
彼は口先だけで守ると言うのではなく、ちゃんと行動で示そうとしてくれる。
それが酷く嬉しくて……ミュゼは柔らかく微笑んだ。
「ふふっ……ラグナは私の王子様みたいです」
「止めてくれ。王子様なんて邪竜のガラじゃない」
げんなりとした顔をしてラグナが呻く。
美青年であるし、愛しんでくれる。
ミュゼは自分の言った言葉はあながち間違いではない……と思ったのだが。
「大体、そういう王子は邪竜とか倒す側の奴だろ。どうせなら……王子も勇者も全部倒して、俺のミュゼを攫ってしまった方が性に合ってる」
ラグナは、真剣な声で言う。
それは嘘ではないのだろう。
アリシエラの件がある今の状況を放り投げて、攫っていってしまう方が……ラグナに取っても楽なはずだ。
でも、それをやらないのは……彼女のことを考えているから。
ラグナに攫われても彼の生きている場所で生きていけるか分からない。
ミュゼは人間であるのだから。
だから、彼が人間であるミュゼが生きやすいためにこの場所に留まっているのだ。
それが分かっているから、ミュゼは頬が緩むのが止められない。
「そうですね。私も王子様より邪竜が良いです。私のことを誰よりも考えてくれる貴方が」
ラグナに返すように、彼の手を掴んでその指先にキスをする。
女性から男性に触れる……口ではないとはいえ男性の肌にキスをするなんて、いけないことだ。
でも、ミュゼは込み上げてくる気持ちが伝わりますように……と願いを込める。
それが分かっているからか……ラグナは真っ赤になりながら、子供のように願った。
「…………頭、撫でて」
「えぇ、喜んで。私の大好きな邪竜」
頬を赤くしながら、まるで子供みたいな甘え方するラグナ。
その姿が愛おしくて、可愛くて。
ミュゼは優しく、彼の漆黒の髪を撫でる。
「……今日のラグナは甘えん坊さんですね?」
「お前にしか甘えない」
「それは嬉しいです」
彼の手が伸びて、頭を後ろに手を添えられる。
ゆっくりと……顔が近づいていって……。
「姉様に手ェ出そうとしてんじゃねーぞ、この馬鹿男ぉぉぉぉぉぉっ‼︎」
ユーリが絶叫したことで唇が重なる寸前で止まる。
二人がユーリの方を向くと……エドワード以外の人達が全員、顔を真っ赤にしてこちらを見ていた。
「………なんで…イチャイチャしてるの見せられてんだ……」
「……酷くねぇか…オレら……あんな風に女性と近づいたこともねぇのに……」
「……うぅっ…羨ましい……」
兵士の人達が顔を赤くしながらも、悔しそうな声で涙を流す。
男ばかりだからか、女性と接触する機会すら少ないのだろう。
ミュゼとラグナの甘い空気に号泣していた。
「……姉様もなんでそんな受け入れちゃってるんですかっ‼︎」
ユーリも顔は赤いが、その顔はどちらかといえば怒っているようだ。
ミュゼは首を傾げた。
「だって、ラグナですし」
「それが理由でたーまーるーかぁぁぁぁあっ‼︎」
ユーリが両手で顔を覆って地面に崩れ落ちる。
それを見ていたエドワードは「はははっ‼︎」と軽快に笑った。
「なんだ‼︎ミュゼはそのラグナ?……という子と恋人なのか‼︎」
「あっ……」
「恋人?」
その言葉にミュゼの顔が固まる。
ラグナも怪訝な顔でエドワードの方を見た。
恋人……その件は朝に考えていたが、まさかこのタイミングで兄から言われるとは思っていなかった。
ラグナは何かを考えるように顎に手を添えると……ミュゼに聞いた。
「………恋人、というのは男女で相思相愛の奴らのことを定義しているんだったか?」
「えっと……まぁ、はい。そうです」
「なら、俺達は恋人、なのか?」
「………えぇ…?それを私に聞くんですか…?」
「だってお前は邪竜の花嫁だ。それはたとえどんなことがあろうとも変わらない。でも……まだ契ってないし」
「契……?」
ミュゼはその言葉が分からなくて首を傾げる。
ラグナは真剣な顔で答えた。
「俺の花嫁にはしてもらわなきゃいけない儀式があるんだ。それをして、初めて本当の花嫁と言える」
「……え?じゃあ、私はまだラグナの花嫁じゃないんですか……?」
「いや、花嫁になるのは確定してるからそれは些細な問題だろ」
悲しそうな顔をしたミュゼに、ラグナはフォローを入れる。
彼女が彼の妻になることは、変わらないと。
「となると……今の関係は恋人、と言った方がぴったりになるのか?……と思ってな」
「………あぅ……」
「いやいやいや、ちょっと待って下さいよ……」
そこでぴたりとユーリが会話を止める。
そして……鬼のような顔でラグナを睨んだ。
「お前……姉様に手を出してたのに、確かな恋人関係じゃなかったのか……?」
ラグナは素直に頷く。
すると、ユーリは「はぁぁぁあっ⁉︎」と激怒した。
「ふざけんなよ、テメェ‼︎恋人じゃねぇ⁉︎姉様の婚約者でもないしっ……それじゃあ、姉様が可哀想だろうっ⁉︎」
「あぁ‼︎恋人、婚約者じゃないのにそんな風に触れ合っていたらダメだぞ‼︎」
頭の緩いエドワードにさえ怒られてしまった。
ラグナは意味が分からなくて、怪訝な顔をした。
「何故、駄目なんだ?」
「そりゃぁ普通に考えて、なんの関係でもない男に肌を許してるって思われるからだよっ‼︎そんな慎みがないこと、男の方が許してても悪く言われるのは女性である姉様なんだっ‼︎」
ラグナは知らなかった。
この世界における貴族、というのは面倒なのだと。
恋人、婚約関係でない男女が触れ合うのは、はしたないことだ。
だから、アルフレッドの時も……婚約者がいるのに彼に近づいていたアリシエラに激怒したのだ。
だが、それはあくまでミュゼが生きる貴族の世界の話。
ラグナにそれを強制することはできなかった。
だから……彼女は何も言わなかったのだが……。
「…………そうなのか……人間は面倒だなぁ」
ラグナは起き上がると、真っ直ぐにミュゼを見つめる。
そして、優しく微笑んだ。
「なら、俺はお前に婚約を申し込もう。そうすれば問題ないだろう?」
その言葉に周りにいる人達が息を飲む。
婚約の申し込みというのは、もう少しロマンチックな場所でするものだ。
だが、ここは兵士達の駐屯地。
ロマンチックも何もない。
周りの人々は「この場所はないだろ……」と真顔になっていた。
だが、その中で一人だけ、違う反応を示していた。
ミュゼは……ゆっくりと目を見開く。
震える声で、聞き返した。
「あの……ラグナ?私は、恋人でも良いのですよ?」
「ん?別に婚約を申し込むからって恋人じゃないって訳じゃないだろ?」
「いや……そうなのですが……」
「それに婚約の方がお前に悪い虫がつくことがないから良いしな」
婚約関係、というのは庶民と貴族では少し仕様が違う。
庶民における婚約はあくまでも、個人個人の関係であるが……貴族においての婚約とは、双方の家が釣り合い、利益を得るために行うものなの。
要するに……教会に婚約届けなるものを提出するので、簡単には破棄できない。
アルフレッドの婚約破棄は国王が奮闘してくれたので、普通ではあり得ない早さで解消できたのだ。
だから、婚約というのをよく理解しているユーリは嘲るように、ラグナに告げた。
「はぁ?あんたがどこの家の者か知りませんけど……伯爵令嬢である姉様と簡単に婚約できると思わない方がいいです‼︎」
「どういうことだ?」
「あんた個人が婚約を申し込んでも、それは婚約じゃないんです‼︎ちゃんと家として申し込まなくちゃ……」
婚約は個人が申し込むものではなく、家同士が行うもの。
正確には当主がするものなのだ。
加えて、ミュゼは伯爵令嬢。
そこそこ高い身分ではあるのだ。
相対してラグナは邪竜。
学園の普通科に通ってはいるが、その身分は……。
「うーん……よく分かんないな。仕方ない……俺の身元引受け人(?)とかいう奴のとこに行くか」
「………え?ラグナ、身元引受け人がいるんですか?」
「あぁ。多分、それに当たると思う」
それは初耳でミュゼはびっくりしてしまう。
邪竜の身元引受け人なんてする人がいるとは、考えなかったからだ。
「………ちなみに…誰なんですか?」
ラグナは遠い記憶を辿るように目を細める。
そして、思い出したかのように「あぁ……」と頷いた。
「えーっと……確か、王弟?……だったか?」
それを聞いた周りの空気が、ぴしりっと割れるような音がした。
「そうだったんですか?」
「あぁ」
ミュゼはなんてことがないように受け入れてしまっていたが、他の人達は違う。
『………は?』
この場にいたミュゼを除く、全員が固まっていた。
何故なら……ラグナが言った王弟というのは、彼らに取っては国王と同等に身分の高い人だったからだ………。