休日にも事件を添えて(1)
8月18日、伏線を追加しました。
国王は頭を抱えていた。
事の発端は急にやって来たラグナが言った、一言だった。
『ちょっと聖女に会いたいからアポでも取っといてくれ』
いつもの部屋にやって来ると、いつの間にかやって来ていた彼がサラッと難しいことを要求してきた。
簡単に言ってくれるが、この国における教会……レイネディア教という立場は重要なポジションにある。
この世界における九割の人がレイネディア教を信仰しており、教会の象徴たる聖女は国王ですら滅多に会うことは敵わない。
総本山はこの国にあれど、国家に属さず。
言わばレイネディア教会というのは、独立国家。
教会の動向は無視することはできないし、排除することもできない。
一応、国家行事などがあるので連携を取ることもあるが……それでも聖女というのは特別で。
ラグナに頼まれたとはいえ、難しい。
そうとしか言えなかった……。
「だが……ラグナ殿が聖女様に会いたいと言ったのは……あの令嬢の件があるから、か……」
難しいと分かっている。
しかし、それを踏まえてでも秘匿されし聖女……アリシエラの件は、聖女と呼ばれるあの方にも知らせておいた方が良いかもしれない。
国王は溜息を吐く。
ついでに頼んでいった案件もやらなくてはならない。
こちらはまだ、もう一方の聖女の件と比べたらやりやすいが……面倒なのは確かだった。
国王は、実際に会えるかどうかは分からないが……聖女に会うための謁見の申し出と、ある人物への手紙を書き始めた……。
*****
影を差す少しどんよりとした曇りの日。
今日は学園が休みの日だった。
アリシエラがラグナに猛アピールしたり。
ラグナがその美貌(?)で洗脳をコソコソ解いたり。
ラグナの美貌によってまともに機能しなくなり始めた学園は、彼があのダサい格好になることでことなきを得て、なんとか無事に動き始めたり、と。
いろんなことが一気に起き過ぎて、ミュゼは疲れ果てていた。
(その騒動の中心にいるのがラグナだっていうのは、どういうことなんですか)
ミュゼはもぞもぞとベッドの中で微睡みながら、そう考える。
ラグナは朝早くに家を出て行ったから、今は一人だ。
ラグナとの共寝に慣れてしまったからか、一人のベッドは少し落ち着かない。
(って……未婚の女性が男性との共寝に慣れた、ってのは問題ですよねぇ……)
そう。
ミュゼはまだ未婚である。
況してやその身分は伯爵令嬢だ。
本来、貴族令嬢というのは男性と積極的に触れ合うことはしてはいけない。
婚約者であろうが、最低でも一年ほど経ってからでないと結婚できないし、こうやって共に夜を過ごすこともない。
婚約期間中にキスなんてするもんならはしたない、とさえ言われてしまう。
そんなに厳しい男女の付き合いなのだが……ミュゼとラグナの関係は、それを大きく越してしまっている。
毎日、共に過ごし、共に寝て、共に起きる。
そこら辺にいる夫婦よりもずっと、長い時間をだ。
それを嬉しく思いながらも恥ずかしく感じて……ミュゼは頬を赤く染めた。
(………そう言えば……私とラグナは恋人、という関係になるのでしょうか?)
好き、とは言っているが付き合おう、と言った訳でない。
だが、彼はミュゼのことを花嫁だと言う。
それを踏まえると、付き合っていると同意義のような気がするが……。
(………どうせだったら…なぁなぁじゃなくて、ちゃんと付き合いたいんですが……)
ミュゼだって、伯爵令嬢である前に一人の乙女である。
何が言いたいかというと……。
ちゃんと、好きな人に言葉にして欲しいのである。
(うーん……自分からラグナに言ってもらうのは強制してるようなものですものねぇ……どうすれば……)
そんな風にうだうだと考えていたら、部屋の扉がノックされた。
ミュゼが誰だ?と思っていたら、元気な声が聞こえてきた。
『姉様、おはようございます‼︎ユーリです‼︎』
「……ユーリですか?どうかしたんです?」
ミュゼは弟の声に驚いて、ゆっくりとベッドから身体を起こす。
まだ朝の早い時間帯だからか、ユーリは中に入ってこようとしない。
そのまま、扉の向こうで楽しそうに答えた。
『朝早くから申し訳ありません。今日、良かったら一緒に出かけませんか?』
「…………えっ?」
『今日、兄様が剣の稽古をつけてくれるんです‼︎ご友人の兵の方も一緒なので、駐屯地で‼︎良かったら一緒に行きましょう‼︎』
兄様……というと、伯爵家の嫡男であるのだが、剣の腕も立つ。
なので、友人である兵士の方達と共に訓練している時があるのだ。
なんでも〝勉強ばかりで疲れるからな‼︎息抜きだ‼︎〟……とのことらしい。
ミュゼは、久しぶりの弟との外出について少し考える。
ラグナはまだ戻ってきていないが、今まで冷たい態度を取っていたユーリが、こんなにも懐いた様子で言ってくれるのだ。
なら……。
「分かりました。着替えたら行きますね」
『やった‼︎待ってますね‼︎』
ラグナを待たずに行ってしまうのはちょっと悪い気がしたが、久しぶりの姉弟交流を楽しもうと思った。
内容はちょっとアレだけれども。
この国には、騎士と兵士がいる。
騎士は王宮での仕事が多いが、兵士は市民のための活動が多い。
兄は伯爵家嫡男なので、どちらかといえば騎士との交流があるはずなのだが……兵士の人達との交流の方が多かった。
その理由は簡単だ。
「兄様‼︎」
王都にある兵士の駐屯地。
その訓練場で、軽装の鎧を纏った無駄にこの汗臭い場に似合わない男がいた。
蒼銀色の短髪に、オリーブ色の瞳を持つ彼の名前は……エドワード・シェノア。
ミュゼとユーリの兄である。
「ん?おぉ、ユーリ‼︎来たか‼︎それに……ミュゼも‼︎」
エドワードは軽快な笑顔を浮かべる。
ミュゼは薄水色のワンピースの裾を持ち、頭を下げた。
「お久しぶりです、お兄様」
「あぁ‼︎なんだ?父様からの接触禁止令は解かれたのか?」
「そうではないですが……父様の言うことなんて聞く義理がないです‼︎だってあの男が一緒に暮らしてるのは国王陛下の勅命ですよ?姉様が悪い訳じゃないです‼︎」
「ん?あぁ、それもそうか‼︎」
ミュゼはそれを聞いて、貼りつけた笑みを浮かべた。
どうやら父は、彼女に対して接触禁止令なるものを出していたらしい。
それがラグナを連れて行ったことが原因だとか。
国王の勅命とはいえ、未婚の……況してや婚約破棄された令嬢が男を連れて帰ることに、その不謹慎さに激怒したからなのだろう。
まぁ、今の会話でも分かっただろうが……。
(兄様は相変わらず少し頭が緩めですね……)
そう……このエドワードという男。
伯爵家嫡男なのに、若干頭が弱めなのだ。
だから、きっと……接触禁止令も彼女には話すなと釘を刺されていたはずなのである。
しかし、こうも簡単にバラしてしまい……。
加えて弟に言いくるめられる始末。
ミュゼから見ても少し頭が緩めだった。
「まぁ、良いか‼︎ミュゼはそこで見ていると良い‼︎行くぞ、ユーリ‼︎」
「はい‼︎姉様は見てて下さいね‼︎僕、頑張ります‼︎」
ユーリが剣を受け取って、兵士達に交ざって訓練を始める。
貴族子息は必要最低限の剣術を学ぶ。
多少でもそういった能力があれば、自衛にもなるし、他の人を少しは守れるからだ。
エドワードと打ち合うその筋は中々のもので。
ミュゼは訓練場の端に置かれたベンチに座って、それを眺めていた。
何度も何度も打ち合いを繰り返すのは、普通の女性なら面白くないが……ミュゼは少しだけ興味深かった。
剣がどのように動くかを少しでも知っておけば、アルフレッドやジャンに剣を向けられた時、少しはマトモに動けるかもしれないと考えたからだ。
(………あぁ……そういえば……)
ミュゼは少しだけ訓練から目を逸らして空を見上げる。
曇り空ではあるけれど、屋外なら日傘を持ってくれば良かった。
そんな風に考えていた時だった。
「なぁ、あんた」
「………はい?」
いつの間にか側に来ていた若い兵士達。
その中で代表するように……茶色の短髪に赤褐色の瞳を持つ下卑た笑みを浮かべた名前も知らない男が、質問してきた。
「あんた、ミュゼ・シェノアだろ?」
ミュゼは怪訝な顔をする。
流石に初対面の男性に、自ら名前を名乗ったことはない。
なのに何故、こいつはミュゼの名前を言ったのだろうか?
「あんた、どんな男とも……睦まじく仲良くしてくれんだろ?ならさー、オレらとも仲良くしよーぜ?」
「……………は?」
その言葉にミュゼの顔が固まる。
睦まじく、とオブラートに包んではいるけれど……この男ははっきりと、複数の男と関係を持っていると言ってきた。
というか……そういう噂になっていると言った。
つまり、世間的にミュゼ・シェノアという女性は売女であると言っているのだ。
その事実に……ミュゼは柔らかく、でも冷たい笑みを浮かべた。
「オレらもさぁ〜むさ苦しい男ばっかで潤いが足らねぇーんだよ。あんた、頼まれれば誰とでも寝るんだろ?なら、オレらとも寝てくれよ」
なんだそれは。
ミュゼは一切身に覚えのないことを言われて、眉間にシワを寄せた。
「…………何故、初対面の男にそこまで言われなきゃならないのですか?」
「……えー?だってオレらは所詮、平民だからなぁー?貴族令嬢が簡単に身体許してるって聞いたらチャレンジしてみたいだろ?」
「……………」
ゲラゲラと汚い声で笑う彼らは、完全にミュゼを見下していた。
彼女はとても静かな声で問う。
「誰から聞いたのです?」
「はぁ?そんなの分からねぇーよ。あんたの噂は有名だからな」
そこまで広がっていたのか。
だから、父は接触禁止令なんてものを出したのかもしれない。
その考えに辿り着いたミュゼは、静かに思考した。
彼らは急に話しかけてきた。
学園外ではあるが、これはアリシエラに洗脳されているのか?
それとも誰かしらの悪意によってそのような噂が流れているのか?
判断が難しい。
ミュゼは……冷め切った無表情で答えた。
「私、貴方が言うように複数の男性と睦まじくなったことなんてないんです。でも、貴方は私が沢山の男と関係を持つようなはしたない女だと言う……どういったことでしょうね?」
「はぁ?」
「ところで。私のことを大好きな男性が、一人だけいるんです」
「何言って……」
ミュゼは笑う。
その場に向き合っていた男達を、凍りつかせるような艶やかな笑みで。
「今、こうやって私に言い寄っているのを聞いたら……彼はどう動くと思いますか?」
『っっっ⁉︎』
彼らは背後から放たれた殺気に硬直する。
次の瞬間、彼らの中の数人が遠くにまとめて蹴り飛ばされた。
「ぐはっ……⁉︎」
「うぐっ……⁉︎」
蹴られた人達は、ボールのように地面を数回跳ねて止まる。
そこには……静かな殺気を放つ、ラグナ(ダサメガネver)の姿があった。
「お帰りなさい、ラグナ」
「…………ただいま……ミュゼ」
放たれる殺気をそのままに、二人は挨拶をする。
ラグナから発せられる殺気に、その場にいる全員が顔面蒼白で震えていた。
「何……?戻ったらミュゼはあの弟と出かけた後だったし……追って来てみれば、こんなクソみたいな男共に言い寄られてるし……というか、最悪なこと言われてるし」
「そうですねぇ。私、乙女なのに既に何人かと関係を持った売女みたいですよ?」
「………んな訳あるかよ。邪竜の花嫁だぞ?」
兵士達の間をすり抜けて、彼はミュゼに近づくとその頬を撫でる。
その手の温かさに目を細めると、ラグナは微笑んだ。
「うん、綺麗」
「………何がですか?」
「ミュゼは俺のモノってこと。誰にも触れられてない」
「………分かるんですか?」
「あぁ。邪竜だからな」
そう言ったラグナは甘く微笑んで、ミュゼの頬に頬を擦り寄せる。
だが、放たれる殺気は相変わらず兵士達に向けられたままだった。
「ラグナ、この方達は……」
「あの女の洗脳じゃねぇーな。単なる単細胞馬鹿だ」
「なぁっ⁉︎」
ラグナに罵倒された兵士達は、こめかみに血管を浮かばせるほど激怒する。
しかし、彼は嘲るように笑った。
「根も葉もない噂を信じるなんて馬鹿以外の何者でもねぇだろ?」
「〜〜っ‼︎お前っ……‼︎」
怒った兵士の一人が、ラグナに殴りかかろうとする。
しかし、それが届くより先に、彼はその兵士の頭を掴んで地面に叩きつけた。
「かはっ⁉︎」
「邪竜に手を出そうなど百年早い。……殺してはいないから安心しろ」
手加減したらしいラグナはゆっくりと手を離す。
叩きつけられた兵士は白目を向いていたが……死んではいないらしいから、ミュゼはそれ以上気にするのを止めた。
「さて。相手との実力も測れずに手を出そうとした人間共」
ラグナは指を鳴らして笑う。
その笑顔は……獲物を見つけた獰猛な獣だ。
「血祭りに上げられたいか?」
びくりっ。
兵士達が世界の終わりと言わんばかりに震え上がった。
彼らだって兵士だ。
兵としての訓練はしているし、確実にそこら辺の奴らより強い。
しかし、ラグナはそんな彼らをいとも容易く叩きのめす。
………ダサい田舎者のような雰囲気を出しているラグナに。
だが、彼らの心に満ちるのは屈辱よりも恐怖だった。
彼らは馬鹿ではあるが、戦闘などにおいての弁えぐらいは分かっていた。
この目の前にいる男は、自分達以上に強い。
それが分からないほどの、馬鹿ではなかった。
「……ゆっ…許してくれ……」
「何故?」
「ほらっ、ちょっとした悪ふざけだったんだっ……」
「悪ふざけでお前らが守るべき対象を傷つけていいと?」
ラグナの言葉は正論だ。
兵士は、この国の民を守るために存在する。
そんな彼らが国民の一人であるミュゼを、悪ふざけで傷つけたというのなら。
それは、本末転倒だ。
「それに……謝るのは俺にか?」
メガネの向こう。
よく見えはしないけれど、その瞳が怒りに満ちている気がした。
兵士達は慌ててミュゼに謝罪する。
「もっ……申し訳なかった、ミュゼ嬢っ……‼︎」
次々と謝罪してくる彼らにミュゼは酷く冷たい視線を向ける。
まるで、興味がないとばかりに。
「ラグナ」
「ん?」
「もし私がこの人達を殺して下さいって言ったらどうするんですか?」
「殺すけど?」
「ひぃっ……⁉︎」
彼の力を見た後では、兵士達も立ち向かえないと分かっているのだろう。
ミュゼの言葉に震え上がるが、相対して……ラグナは柔らかく微笑んでいた。
「そんなこと、言わないだろ?」
「勿論です。そんなことしたら彼女と同じじゃないですか。それに……ラグナがこんな奴らのために手を汚さなくて良いですよ。無駄なことです」
ミュゼは心外だと言わんばかりに、ぷくっと頬を膨らませる。
その顔はとても可愛らしい。
ラグナは頬を緩ませながら、彼女の唇を撫でた。
「可愛い」
「あぅ……そういうこと、言わないでくれますか?恥ずかしい、ですから……」
「なんで?ミュゼが可愛いのがいけないよな?」
自然にイチャイチャし始める二人を見て、自分達は殺されないと確信して……涙目でホッとする兵士達。
だが、ラグナはその気の緩みを見逃さなかった。
「言っとくが、俺の意思では殺したいところなんだからな?ミュゼがこういうから殺さないだけで」
「ひぃぃっ……‼︎」
それが限界だったのか、ミュゼに悪口を言っていた兵士達は逃げ出す。
それを見ながら、ラグナは彼女の隣に座った。
「まぁ、これで少しは懲りただろ」
「大分懲りたの間違いではなくて?」
「そうとも言うな」
そう言ったラグナは笑いながら、ミュゼの頬にキスをした。