花嫁と邪竜の学園生活(2)
ラグナは性格が悪い、と思いながらもミュゼの態度に耐えられないほどの悦を感じていた。
他人のフリをしたことで、彼女は酷く怒っていて……悲しんでいた。
それが意味するということは、他人のフリなどされたくないということ。
それだけ彼女の中で自分という存在が大きくなっているという事実。
好きな女が自分のことで喜び、怒り、悲しむ……それがどんなに心地良いか。
現にラグナは緩む頬を引き締めることができなかった。
自分の言葉で傷つくその様はとても愛おしい。
彼は……自分がこんなにもタチの悪い性格だなんて思ってもいなかった。
長い、永い時を生きて。
全てのことを知り得てしまって、ただ停滞に近い日々を送っていたのに。
彼女の記憶の彼方。
未来であって、過去であった出会い。
その時、ただ恐れられる存在でしかなかった邪竜を綺麗だと言ったミュゼ。
きっと、彼女の記憶を見なければ……自分が何故、こんなにも彼女に惹かれるか分からないまま、彼女を愛していただろう。
でも、記憶を見ているからこそ言える。
自分よりも遥かに弱い人間が……ミュゼが、ラグナ自身が知らなかったモノを与えてくれるから、だとー……。
竜というのは、世界に一人、魂の波長がこの上なく合う存在がいると言われる。
あの暗闇の中で姿は見えなかったけれど、煩い娘だと思っていたけれど、確かに彼女の側は居心地良くて。
だが、認めたくなかった。
自分は〝邪竜〟だから。
他種族からも、同種族からも恐れられる存在だったから。
だから、そんな存在と出会っても恐れられると思っていたから。
でも、姿を見せても、危惧していたことにはならなくて。
予想は……現実に簡単に覆されて。
(誰からも恐れられてた俺にそんな言葉をかけてくれた……。それだけでも、俺がミュゼを好きになるのは充分なんだ)
ほんの少しの間だったけれど、ラグナの心はミュゼに囚われてしまった。
好きという感情を。
愛おしいという想いを。
失うことの恐さを。
もう二度とこの手から零れ落ちていく命を見ているだけなんて、できない。
この世界を敵に回そうと、彼女さえいてくれればそれで良い。
だから、前回の……自分ではない自分が出会った彼女が、死という運命に囚われているのなら。
今回のラグナが彼女と出会い、今回こそは共に添い遂げようと思っているのに……彼女が未だに理不尽な運命に翻弄されそうになっているなら。
(俺はミュゼを手に入れるためなら、どんなことだってしてやるー……)
*****
ミュゼが走り去って行った後、ラグナは彼女を追いかけようとしたが、アリシエラが抱きついている所為でできなかった。
本当ならば今すぐに行きたいのに……彼は漏れそうになる殺意を堪えながら、困惑したような顔を浮かべた。
「………君……初対面だよね〜?」
そう、ラグナは今までもそして今回も彼女に会ったことがないのだ。
だから、食事に誘われる理由がないし……何故、抱きついてきているかも分からない。
「うふふっ、関係ないわよ。私は貴方を知っているもの‼︎」
アリシエラは変わらず微笑み続ける。
一方的に知られているなんて気分が悪い。
ラグナはゆっくりと抱きついている身体を離そうとした。
「なんで離れようとするの?」
「………女性に抱きつかれるのは慣れてないからね〜」
「なら今から慣れれば良いわ」
(そーいうことじゃねぇーんだよ……)
実を言うと、先ほどからラグナはアリシエラからある魔法をかけられていた。
普通の人間は魔法なんて使えない。
しかし、今、確かに目の前にいる女は使っていて。
これで一つ、謎は解けた。
「ねぇ、ラグナ様。一緒に食事に行きましょう?」
「……………」
更なる情報を手にするために、それにかかっているフリをするか……しないかが悩みどころだ。
だが……かかっているフリをしてしまえば、完全に食事ルート決定で。
今すぐミュゼを追いかけたいのだが、ミュゼの命に関わる情報を手に入れたいのも本心で。
ラグナは思考を巡らせる。
「アリシエラ」
その時、彼女の背後からあのアルフレッドが現れた。
ラグナはある意味自分の敵である彼の姿を見て、思わず彼を吹き飛ばしそうになる。
しかし、アルフレッドの顔は酷く不安げで……彼は動きを止めた。
「アリシエラ……彼はその……」
アルフレッドはラグナという名前と容姿の色から、彼が邪竜であることに気づいたのだろう。
それゆえに……警戒心全開といった感じだ。
しかし、アリシエラが柔らかく微笑みながら答えた。
「大丈夫よ、アルフレッド。私を誰だと思ってるの?彼とだって仲良くできるわ。だって……ラグナ様は可愛いヒトだもの」
「………っ‼︎」
耳鳴りに近い高音が響く。
ラグナは顔を歪めて、にたりと笑った。
「………そうか……アリシエラがそう言うなら大丈夫だろう」
最初の言葉は本当にそれを懸念していたのに、次の瞬間には簡単に意見を変えてしまって。
目の前で見てやっと分かった。
この女の……していることに。
「俺、好きな人がいるから〜…疑われることはしたくないんだ〜」
それらしい理由……というか、本当に昼食を断る理由を言って、ラグナは立ち去ろうとする。
しかし、彼女は引こうとしない。
「ミュゼ様でしょ?でも、ラグナ様と私を見てこの場から身を引いてくれたわ。きっと私達に仲良くして欲しいのよ」
「………………は…?」
「だって、貴方から他人のフリをしたんじゃない。ってことは貴方もミュゼ様から離れたかったんでしょう?」
「…………あ?」
確かに他人のフリをしたのはラグナだ。
しかし、その理由はあくまでもミュゼのため。
ミュゼと他人のフリをすることで、彼女の側に邪竜がいるということを知られたくなかったから。
彼女の立場を悪くしたくなかったから。
だが、その影響でミュゼとの関係がこじれるなら他人のフリなんて止めようと思っていた。
いや、もう止めると決めていた。
だから……ミュゼから離れたいがために他人のフリをしたというこの女の考えは、見当違いも甚だしかった。
「それに……きっとラグナ様はミュゼ様より私の方を好きになるわ‼︎」
まるで疑うことなく。
真実のように、自分の考えを語る。
満面の笑顔で、さも当然のように言った次の瞬間、ラグナの堪忍袋の緒はキレた。
「うっぜぇな、テメェ」
「……………え?」
彼女の身体を突き放して、ラグナは舌打ちをする。
それと同時に封じていた怒りを解き放った。
「ひぃっ……‼︎」
「うぐっ……‼︎」
周りにいた生徒達が巻き込まれてどんどん失神していくが、そんなの気にしていられなくて。
不愉快極まりなくて、溜息しか出てこない。
目の前で震えながらも楽しそうに笑うアリシエラと……腰を抜かしながらもなんとか意識を保っているアルフレッド達を見ながら、ラグナは乱暴に頭を掻いて告げた。
「俺はテメェの言う通りになる人形じゃねぇんだよ、馬鹿女」
ラグナの怒りは真っ直ぐに彼女に向けられるのだが、彼女は恍惚とした笑みを浮かべていて。
不気味過ぎて、気持ち悪かった。
「あははっ……凄い、凄い‼︎ちょっと変なところもあったけど、ちゃんと筋書き通りね‼︎」
「…………シナリオ…?」
アリシエラは……苦しそうに、悲しそうに、楽しそうに目に涙を浮かべる。
そして……。
「ラグナ様、大丈夫よ。…貴方の隣には……私がずっと一緒にいてあげるから」
その言葉は、ラグナにとって一番最悪な言葉だった。
「…………っ‼︎」
「かはっ⁉︎」
次の瞬間、ラグナは彼女の身体を吹き飛ばしていた。
彼女の身体は天井に叩きつけられて、ずるりっ……と力を失う。
アルフレッドが声にならない悲鳴をあげていたが、気にしている余裕もない。
怒りに頭がおかしくなりそうだった。
今すぐ、今すぐに、ミュゼに会いたい。
「……嫌だ…嫌だっ……頭がっ……おかしくなるっ………」
ラグナは愛しい者を追いかけて、走り出した。
*****
この学園は無駄に大きいから、そう簡単には彼は追って来れないだろう。
そう考えたミュゼは中庭の噴水の前で、膝に手をついていた。
昼休みなだけあって……まばらに人はいるが、ミュゼを恐れてか近寄って来ない。
「ふっ……うっ……」
だから彼女は……一人で静かに涙を零した。
ポロポロと溢れる涙を拭ってみても、次から次へと溢れていく。
ラグナがアリシエラに触れているのを、見ていたくなかった。
心が、折れそうだった。
アルフレッドの時とは違う。
誰かを想うことが、こんなにも苦しいなんて……思わなかった。
「………うっ…ぁっ……」
息が苦しい。
上手く呼吸ができない。
そんな時……酷く冷たい声が聞こえた。
「何してるんですか……」
「………え…?」
振り返るとそこには酷く軽蔑した視線を向ける男子生徒がいた。
オフゴールドの髪に菫色の瞳を持つミュゼに似た顔立ちの彼に、ミュゼは目を見開く。
ユーリ・シェノア。
ミュゼの弟だった。
「ユーリ……?」
「僕の名前を呼ばないで下さい。こんなところでみっともなく泣くなんて……伯爵家の恥ですね」
「……………」
ユーリは呆れたように溜息を吐く。
彼の背後には学友らしい男子生徒が二人立っていた。
彼らはミュゼを見てクスクスと笑う。
「おいおい、噂の捨てられた邪竜女じゃん‼︎」
「お前もこんな奴が身内で最悪だよなぁ〜」
「本当ですよ。こんな売女、家族ですらないです」
その言葉にミュゼの心は更に傷つく。
家族にそう思われていたのか、と。
「……………ユーリは…私のこと、売女って…呼んでるんですね……」
「えぇ。国王命令だかなんだか知りませんが、男を家に連れて来るなんて売女以外の何者でもないでしょう」
嘲るようにそう言うユーリに、ミュゼは言葉を失くした。
もう嫌だ。
なんでこうやって嫌なことは続いてしまうのだろうか。
「何々〜男連れ込んでるの?なら、オレらの相手もして下さいよぉ〜」
「あははっ‼︎伯爵令嬢にお世話になりたいなぁ〜‼︎」
ユーリの友人達もミュゼを馬鹿にしたように近づいて来る。
周りにいる人達の嘲笑が頭の中で響き渡る。
恐い、気持ちが悪い。
もう嫌だ……嫌だ。
「………あはっ……」
ミュゼは笑う。
壊れたように、綺麗な笑顔を浮かべる。
その美しさに、今度はユーリ達が言葉を失くした。
「そうですね、ユーリが売女というならそうなのでしょうね」
「……………は?」
「あははっ、ごめんなさい。私は貴方達の害にしかならないのでしょうね‼︎だってじゃなきゃっ……剣を向けられて、拉致されて、殺されそうになる訳ないですもんねっ⁉︎」
涙が止まらない。
おかしなことを言っている。
壊れた部分が更に壊れていく音がする。
「もう嫌です、苦しい。死にたー……」
「それは俺がさせねぇって言っただろが……」
ゆらりと響いた声に、ミュゼは涙を零しながら視線を向けた。
噴水を挟んだ反対側、周りから小さな悲鳴が出るのも構わずに……幽霊のように不安定な足取りで、歩いて来るラグナがいた。
「……ミュゼ……ここにいた………」
ボサボサだった髪を更に掻きむしったのか、余計に乱雑になっていて。
その顔は泣きそうに歪んでいる。
しかし、ミュゼは酷く冷たい顔で彼を見ていた。
「嫌です、来ないで下さい」
「………ミュゼ…?」
「他の女に触られた貴方に、触って欲しくない。況してや……貴方と私は他人なのでしょう?」
「…………っ…‼︎」
理由があるって分かっていても、心がおかしくなっているのだ。
許せないと叫んでいるのだ。
ミュゼは酷く冷たい笑顔で、教えてあげた。
「意地悪なヒトは、大っ嫌いです」
「…………っ…‼︎」
その言葉と共に、その場に猛吹雪が吹き荒れたー……。