91
あれから数秒。
下手な命令は出さない様にしよう。そう思ったところで、現状の打破にはならない。早く何とかしないと色々まずい!
それに気づいた俺は、テーブルの上のスープを零さないように、抱き着くシロハさんを何とかしようと試みる。
けれども、シロハさんを俺がどうにかするのは無理があった。
理由は二つある。
一つ目は単純な力の強さだ。
俺の細腕じゃ、どうやってもシロハさんには力が及ばない。
ラビみたいに無理やり引き剥がす手段は叶わなかった。
二つ目は色んな感触が俺の煩悩をくすぐったからだ。
ラビと比べて、身体的に発達しているシロハさんは色々柔らかすぎた。
主に胸部が押しつぶされる感覚がヤバい。とにかくヤバい。
そのせいで、俺も自然と力が抜けて抵抗が弱まってしまう。(決して感触を味わいたいとか思ってないですよ! 本当です!)
なので、もう誰かに助けてもらうしかなかった。
この場合の誰かといえば、もちろんラビしかいないのだけど。
「ラビ~! シロハさんを引き剥がすのを手伝ってください~!」
「……シロハも抱き着くなら、ラビも参加するんだよ」
助けを求めたはずなのにラビも抱き着いてくる。(控えめに)
どうしてその結論に至ったんですか!? 助けてくださいよ~!
椅子に座った状態で抱き着かれているので、ゴトゴトと椅子が左右に揺れる。
その時、テーブルに身体が当たって、卓上の料理が揺れてしまうのも言わずもがな。
しかし、二人に抱きしめられた結果、両手が塞がれてしまい俺にはどうしようもなかった。
スープが――! お水が――! 零れそう――!!
目の前で、コップが、スープ皿が、左右に満ち引きをしていて不安で仕方ない。
早く何とかしないと……せっかくのスープが零れてしまう……!
けれども打開策などあるわけがなかった。
説き伏せようにも縋りつくみたいに抱き着いてくるので聞く耳を持ってくれないし、ラビに至ってはシロハさんの顔を窺いながら恐る恐る抱き着いているものの離す気はさらさらないみたいな感じで必死だ。
こんなのどうすればいいんですか!? 誰か教えてください~!
心中でそう叫びながらもスープ類は揺れ続ける。
そんな状態が追加30秒。俺は助かる術を考えるのを止めた。
「…………」
まるで地震が起きたみたいだ。カタカタ揺れてるなー。ついでに身体も左右にぶーらぶらー。
二人の感触から意識を逸らすため、そんなしょうもないことばかりで頭がいっぱいになる。
もちろん地震など実際に起きてはいない。諦めの境地に達していただけだった。
カタカタカタカタ――。
カタカタは次第に音を大きくする。
それに伴い、コップも置いてあった位置から数ミリズレていた。
正直、倒れていないだけ奇跡だ。すごいー。
「――!? ラビは知らないんだよ」
思考放棄しながらコップを眺めていたら、片腕が自由になった。
あれ? ラビが抱き着くのを止めてくれた。やっと飽きてくれたのかな。
「シロハ。アリスお嬢様に何をしているのかしら?」
瞬間。堕落した思考が戻ってくる。
思わぬ呼びかけに、俺――、だけでなくシロハさんも振り返った。
この声ってもしかして……!
「クロハさん!」
「クロハお姉ちゃん!」
振り返った視線の先では、乾いた笑いをしたクロハさんが仁王立ちをしていた。
笑っているのに怖い……。特に――。
特に射貫くような視線が、俺に向けられているわけでもないのに見るだけで怖かった。
あれ絶対怒ってますよ!! 怖すぎです!!
俺はそっと視線を横へスライドさせ、眼光を視界の外にする。
すると、料理が乗せられたワゴンが目についた。
なるほど、クロハさんも食事をしに来たんですね。
カタカタ音がやたら大きいなーと思っていたがワゴンを押す音も混じっていたのか。
あ! それに気づいたからラビはすかさず離れたのか?
ラビの方を向くと、素知らぬ顔を作っていた。
あ、これ絶対気づいて離れたに違いない……。
顔を見て、確信に近いものが読み取れてしまった。
ラビ、嘘が下手過ぎです……。それじゃあバレバレです。
だが、クロハさんはシロハさんに集中しているのでラビには全く気づいていない。
気づいたのは俺だけだった。
「あはは……、クロハお姉ちゃんが何故ここに?」
「……アリスお嬢様と食事に。そんなことより、アリスお嬢様に何をしているのかしら?」
再度、より鋭い視眼でクロハさんはシロハさんに問い直す。
それを受けて、シロハさんは慌てて俺から離れた。
「こ、これはねー! なんというかー? あはは……」
「笑っていないで説明なさい!」
ビシャリとクロハさんは言い放つ。
すると条件反射みたいにシロハさんはビシ! と立ち上がった。
「はい! シロハ、説明しますー!」
◇◇◇
シロハさんは、キビキビと事の顛末をクロハさんに伝えた。
ラビを叱るなと言う俺の命令に背いてしまったこと。
俺が優しく許してくれたこと。
それが嬉しくて、感極まって抱き着いてしまったこと。
まあ、大体余さずだ。……一部脚色が混じっている気はしたけど。
一方、話を聞いていたクロハさんは、始終俺の顔を窺い、シロハさんの話が本当かどうか確認していた。
その度に俺が頷くのを見て、頭を悩ませていたのは言うまでもない。
ひとしきり話終わり、二人は顔を見合わせる。
そして、神妙な顔をしていたクロハさんが呆れた声音まじりにため息を吐いた。
「――それで、アリスお嬢様に抱き着いていたんですか」
「はい……、そのー、あまりに嬉しくてー! つい!」
「つい、じゃないです! 貴女がアリスお嬢様の迷惑を掛けてどうするんですか!?」
クロハさんの拳骨がシロハさんの頭上にインパクトした。
さすが本家といったところか、頭上に星が見えた気がする。
「い、痛ったい~!」
「少しは反省しなさい!」
怒られてシロハさんは目元に涙を浮かべる。
相当痛そうだしな……、無理もない。
「ごめんなさーい! シロハが悪かったですー!」
「はぁ……。アリスお嬢様、申し訳ありません。シロハには後できつく言い聞かせますから」
「いや……、もう十分だと思いますよ。私も気にしてませんし、この場限りで許してあげてください」
居たたまれなくなり俺は進言する。
いや、この場合だと命令になってしまうのか?
お願いって難しい……。
「アリスお嬢様がそう仰るのなら……。シロハ! アリスお嬢様に感謝なさい!」
「アリスお嬢様~! ありがとうね~!」
「い、いえ! ――それより! そろそろ食事を再開したいです」
言いながら、俺はそっとテーブルの上のスープへと視線を向ける。
――すっかり湯気は見えなくなっていた。




