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ダイニングルームへと向かうと、予想外の光景が待っていた。
なんと! 料理が既に並べられていたのだ!
早めに待機するに越したことはない。そう思っていただけに、俺は呆気に取られた。
いくら何でも早すぎじゃないですか……? いや、早いに越したことはないのですけど……。
『早いに越したことがない』が別の意味になってしまった。こんなの本当に予想外だ。
「あの短時間で準備をするなんて……、すごいです」
「私もびっくりなんだよ!」
俺の呟きにラビも共感したようだ。俺もびっくりした。どうやって準備したのだろう?
シロハさんがイノリお姉ちゃんの部屋を出て行ってから、さほど時間は経っていない。
せいぜい数分。そのぐらいの時間しか経っていないはずだ。
けれどもテーブルの上には、湯気を立てるコーンスープ、瑞々しいサラダ、いつものパン、厚いハムステーキ? が並べられている。どれもまるで出来立て。すごいとしか言いようがなかった。
「あ! 来たねー!」
温かそうな料理たちを眺めていると、シロハさんが俺に気づいて駆け寄って来た。
見ると水の入ったピッチャーを片手に持っている。飲み物まで……、抜かりが無いな。
仕事も速いし、完璧というほかなかった。
「シロハさん! すごいです! まさかこんな短時間で準備してくれるなんて思ってもみませんでした!」
「本当にすごいんだよ! どうやったのか教えて欲しんだよ!」
俺たちは羨望の眼差しでシロハさんを見つめる。
本当にどうやったのか教えてもらいたいくらいだ!
しかし、俺達の視線を受けたシロハさんは、「ん?」と小首を傾げた。
まるで心当たりがない。そんな顔をしている。
けれどもそれも数秒の事。何かを思いついた表情をした後、手の平をポンと叩き、「なるほどねー!」と笑みをこぼした。
「料理の事だねー! それだったら私じゃないよ、イロハお姉ちゃんが準備してくれてたみたい!」
「イロハさんが?」
「シロハじゃないの?」
「うん! 私が来た頃にはイロハお姉ちゃんが全部準備していたよー! だから私はこのお水だけー!」
すっかり出遅れちゃったよー! と笑いながらシロハさんは頬を軽く掻く。
なんだ、シロハさんが準備をしていたわけではないのか。
道理でこんなに早かったわけだ。……って、おかしい。
イロハさんとはお屋敷に帰って来てからまだ一度も顔を見ていない。俺が帰ってきていることを知っている、ましてや料理の準備が出来てるなんてことはあり得ないはずだ。
……イロハさんはどうやってこんなタイミングよく準備をしたんだ?
そんな疑問を頭に浮かべながらシロハさんを見上げる。
けれども表情に出ていたわけではなかったのか、シロハさんは素知らぬ顔で話を進めた。
「さあ、アリスお嬢様ー! 準備が出来たからお召し上がりくださいー!」
コップに水を注ぎながら、着席するように促してくる。
まあ、とりあえず食べるか……。考えても仕方ないしな。
椅子を引いて着席する。
さて、どれから食べようかな。
と料理に目移りしていると、ラビが後ろで「あ!」と声をあげた。
「忘れてたんだよ!」
「何をですか?」
振り返りながら訊ねる。
一体何を忘れていたのだろう?
「椅子を引くことを……なんだよ」
「あ……、普通に座っちゃいました。駄目でしたか?」
俺はラビではなく、シロハさんの方を向きながら訊ねる。
教育係と言っていたし、俺が座るときに椅子を引くように言い聞かせていたのかもしれない。そう思ったからだ。
その予想があっているかは判らないが、俺の問いにシロハさんは頭を悩ませはじめる。
「う~ん……、ちゃんと自分で気づけたし、アリスお嬢様が気にしないのなら……、シロハは特に言う事はないかなー!」
それを聞いて、ラビは俯きがちにこちらを覗き見てくる。
如何にもばつが悪そうな顔をして可哀そうだ。
「私は全然気にしませんよ。なので怒らないであげてください」
「ご主人様……!」
「椅子ぐらい自分で引きます。あっ、もちろん仕事を奪うつもりとかはないですよ! 必要ならもちろんお願いはします。この前みたいに腕が痺れて動かせないなんてこともありますからね」
だから落ち込まないでください。とラビの頭を撫でる。
実際、まともに動かせないときは間違えなくお願いするだろう。
まあ、そんな事態が起きるなんてことはあまり考えたくないけど。
「ご主人様ー! 大好きなんだよ!」
「ら、ラビ! だから抱き着かないでください! スープが零れちゃいます~!」
「ラビ~! お食事の邪魔をするのは駄目だよ! 食べ物を粗末にするのは絶対に駄目!」
言いながら、シロハさんはラビの脳天目掛けてチョップを放った。
シロハさんが怒った!?
今までに見たことが無いし、かなり珍しい。
言うなればイロハさんの素を見るよりも遥かに珍しい。そのぐらい普段は見られないものだった。
なるほど……。シロハさんは食べ物を粗末にすると怒るのか。覚えておこう。
もちろん怒らせないようにするためだ。意図して怒る瞬間を見たいがためではない。(あのチョップすごく痛そうですし……。ラビ、大丈夫かな?)
見ると、ラビは頭上に綺麗なたんこぶを作っていた。
頭を押さえて、瞳から涙がはみ出ている。
けれども、ラビは驚きの方が勝ったようだ。
「す、すごいチョップなんだよ……」
「クロハお姉ちゃん直伝だからねー! 伊達に何度も叱られていないよー!」
「あ、なるほど。クロハさんの真似だったんだ」
思わず、思ったことが口から零れる。
怒られてよくやられているもんな、シロハさん。
何度も食らっている内に覚えたのだろう。
まあ、クロハさんの場合はグーだった気がするけど。そこはシロハさんなりのアレンジというか、優しさかな?
なんて考えながらシロハさんの顔を見ていると、シロハさんはハッとした顔をしだす。
「怒るなって言われていたのに怒っちゃたー! アリスお嬢様許してー!」
言われて俺もハッとする。
確かに言ったな……。そんな意図はなかったけど。
「許します! 許しますから! だからさっきのラビみたいな顔をしないでください!」
「ホントにー! アリスお嬢様大好きー!」
今度はシロハさんが抱き着いてくる。だからスープが零れますってば~!
「なんだか怒られたのが馬鹿みたいなんだよ……」
ジト目でもの言いたげ俺達を見てくるラビに視線を逸らしながら、
下手な命令は出さない様にしよう。俺はそう思うのだった。




