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「おまちどうさま……。今、配膳しますからね……」
座って待つこと数分。
ティーワゴンを押しながら、おばあさんがテーブルへと向かって来る。
すごい良い匂いがする!
ティーワゴンの上で、銀色のティーポットが湯気を立てていた。
おそらく、あれが匂いの発生源に違いない!
それを証拠と言うように、近寄るほど匂いが増していった。
「とても良い匂いです! 私、この匂い好きです!」
「そうかい……そうかい……嬉しいねぇ……」
「お手伝い致しましょうか?」
「いえいえ……このぐらい大丈夫ですよ……」
クロハさんの申し出に、おばあさんは「お客様ですから……ゆっくりしていってくださいね……」と断りを入れた。
その一言から、このひと時はメイドを休んでゆっくりと過ごして欲しい、という思いが声音から伝わった。
それをクロハさんも感じ取ったのか、「ありがとうございます」と軽く頭を下げ、俺へと軽く笑いかけ向き直った。
そうだよな。今ぐらいはメイドをお休みしても良いと思う。
クロハさんだって疲れていると思うし、俺もその方が気が楽だ。
「クロハさん。今は主従関係は忘れて、普段通り? にしてください。お嬢様命令です」
ここぞとばかりにお嬢様命令を発動する。
ちなみに疑問形になったのは普段のクロハさんをあまり知らないからだ。
「ですが、メイドが主の前で失礼を働くなど――」
あれ? 聞いてもらえると思っていたのに……、人の目があるからか?
などと思考を巡らせていると、話を聞いていたのか、おばあさんが呟いた。
「失礼を働いてもいいと思うけどねぇ……」
テーブルの上にティーカップを並べながら、おばあさんは続ける。
「少なくともお嬢ちゃんはそれを望んでいるんだろう……?」
「はい! 素のクロハさんが見てみたいです!」
おばあさんの言葉に同調するように乗っかる。
実際、素のクロハさんはイロハさんの素に続いてレアだ。滅多にお目にかかれるものではない。
……いや、シロハさん相手だと結構見せているか。レアではないな。
けれどもあまり見れないのも事実! 俺は期待の眼差しを向ける。
「で、ですが、いきなり『素』と言われましても」
「ゆっくりと紅茶を飲むだけでいいんだよ……、何も気にせずね……」
濾し器? のような物を片手に、おばあさんは柔らかい声音でそう言った。
「気にせず、ですか」
「そうだよ……、何も気にせずね……」
紅茶の注がれる音だけが店内に響き渡る。
何も気にせずか……。
そういえば、今日は何かと気にしてばっかだ。(主にワズディンさんのせいで)
何もかも忘れてゆっくりする時間が合ってもいいかもしれない。
クロハさんに向けられた言葉であったが、俺までしみじみしてしまった。
なんだか不思議なおばあさんだな……。
「スコーンはいくつ食べるかい……?」
「1つでお願いします」
「私もです」
紅茶が注ぎ終わると、小皿が並べられ、その上にスコーンが置かれた。2つ。
クロハさんと合わせて計4つ。おばあさん間違えてますよ!
「あの、店主……」
「1つ多いですよ!」
「たくさんお食べなさい……」
俺は「いえ、いただけません!(物量的に)」と、遠慮しがちに手をわたわたさせると、おばあさんは「いいから……いいから……」と笑った。
そう言われると断りにくい。た、食べきれるかな……。
それはクロハさんも同じなようで苦笑いしていた。
けれども、おばあさんのお節介はそれにとどまらない。
「後これも……」
付け足すように、おばあさんは赤色のジャムと白色の何か(バターかな?)の入った小皿をテーブルの脇に置いた。
そして「とってもおいしいわよ……」と一言。
重い……。胃が持たれそうだ。
他に付け足すものはなかったのか、
「ごゆっくり……どうぞ……」
と、おばあさんは上機嫌そうにティーワゴンを押して立ち去って行った。
ある意味、ごゆっくりになりそうだ。(食べる速度的に)
「あはは……、なんだかたくさん頂いてしまいましたね……」
「そうですね。……冷めないうちに頂きましょうか」
言われて、俺もティーカップへと手を伸ばす。
立ち上る湯気を伝うようにして、芳醇な茶葉の甘い香りが鼻孔をくすぐる。
落ち着くな……。けど、飲まないと冷めちゃう。
ティーカップへと口をつけ、澄んだ甘蜜色を口へと運ぶ。
「……砂糖も入れていなかったのに、甘いです」
「……クローバハートですね。……とても美味しいです」
どうやら、この紅茶は『クローバハート』という銘柄らしい。
初めて聞いたな。こんな紅茶は初めてだ。
俺が知っているのは、せいぜい『ダージリン』とか『レモンティー』くらいだ。(レモンティーは銘柄じゃないか?)知っていると言っても詳しいわけじゃないけど。(飲んだことがあるだけ、知識があるわけではない)
けれども、今飲んだ『クローバハート』は、今まで飲んできた紅茶と違うとは言い切れる。それほどまでに味に差があった。
ダージリン(ストレート)みたいな渋み? みたいなものも感じないし、レモンティーみたいな独特の甘さともまた違ったものを感じる。
口当たりは爽やか、けれども下に僅かに残る滑らかな甘みは蜜のようで蜜でない不思議な味わい。
……独特としか言い表せないな。なんでこんなに甘いのだろう? 本当に不思議だ。
まあでも、気にしてもしょうがないか。おばあさんも気にせず飲めって言ってたし。(意味合いは大分違う気がするけど)
それに、気にする、というのなら目の前のこれだ。
ティーカップをテーブルへと置き、こぶし三つほどの大きなスコーン(×2)へと注目する。
「食べきれるかな……」
「無理はしないでくださいね」
確かに、無理をしてまで食べる必要はないな。
おばあさんには悪いけど食べきれなかったら諦めるしかない。
そう思いながら、俺はスコーンへと手を伸ばした。




