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片想いに憑かれました  作者: 寿すばる
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夢のためにがんばってます!

 ランチのピークが過ぎたこの時間帯は、まばらなお客様の注文が出揃ったら好きなコーヒーを淹れて遅めの休憩をとる。


 好きな、といっても気軽に高い豆に手が出せないチキンなあたしは、店のオリジナルブレンドを今日も選んで紙のフィルターにさらさら落とす。昼前に挽いた豆はまだしっかりと香ばしい香りを届けてくれる。


 細く細く、静かにお湯を注ぐ。コーヒー豆がふんわりと膨らんでくるのが可愛い。あたしは今、このコを育ててるんだ、なんて気分になる。一日に何回もこれを繰り返すけど、ぜんぜん飽きないし、ずっとこうしていたいとさえ思う。


 淹れたてのコーヒーを温めたカップに移すと、白いカップの壁に澄んだコーヒーが立ち上がって寄りかかる。

 うん、うまくできた。猫舌のあたしだけど、フィルターを通している間にちょうどいい温度になるから、こうして出来上がったコーヒーは直ぐに飲める。

 とろんとコクがあって、のどごしも上出来。砂糖を入れなくってもほんのり甘くて、飲んだあとに苦みより香りの余韻が口の中で広がってく。

 


 賄いはベーコンのクリームパスタ。自分で作ってなんだけど、ヤバい。店で仕入れてるホワイトソースがプロの味だから玉ネギの甘味とベーコンの塩味があれば調味料いらずなんだよね。チートだね。


 ベーコンはお客様用に切った残りの切れ端だから不揃い。でもそのぶん厚切りだったりで食べがいがあるから大好き。粒マスタードの食感とベーコンの塩味がクリームでパスタによく絡んで、口に運ぶたびに耳の下がぎゅっ、と鳴ってフォークが止まらない。



 本当はもっとゆっくり味わいたいけど、のんびりしてたら追加注文が入るかもしれないし、じゃなくてもパクパク食べてあっという間に終わっちゃうんだよね。

 


 そして。食べ終わったら。

 ただお客様が来るのをボーっと待つんじゃなく、雑用という名の重要任務を果たすのがデキるアルバイトのあるべき姿だと思う。そう、そこに時給が発生しているのだから。なんてね。ただ単に夢のため、仕事をちゃんと覚えて効率よくこなしたいってだけなんだけど。


 本日の任務は新作のケーキをショーケースに並べるためにポップを書く事――



 えっと、和栗の渋皮モンブラン、ごひゃくはちじゅうえん、わぁ、これ高っ。んーでも和栗だもんねぇ、それくらいしちゃうねぇ。次は……紫いもといちじくのパイ、よんひゃくごじゅうえ、ん、っと。え、なにこれめちゃめちゃ美味しそう。



「すみれちゃん、ヨダレ」

「えっ! あっ、あー! 関谷さんまたそんな変なウソ言わないでくださいよ」

「あはは。でもすみれちゃん心のヨダレが顔に出てるからさ、ごめんねぇ」



 関谷さん。秘密の暗号で武器売ってそうな筋肉モリモリのガタイと裏社会顔なのに、こんな冗談ばっかり言ってる。いつもの事だけどぜんぜん反省してない口ぶり。これでもこんな辺鄙なトコにある喫茶店を二十年以上経営してるんだから、オジサンって生物は侮れないね。


 駅から遠いし古くて薄暗いトコだけど、この昭和レトロな感じがすごく落ち着く。フードだって関谷さんが考えたメニューはみんな美味しいし、頼んでるケーキも絶品で、なによりコーヒーが美味しいの。


 だから開店からの大常連さんもたくさんいるし、ネットの口コミとかで来てくれた新しい常連さんもたくさん。あたしも最初はその一人だったんだけど。



「で、なにかご用なんじゃないですか? 表に来るにはまだ少し早いですよね」

「うん、察しがイイねぇ。実はさ、エプロンを新しくしようと思っていてね、どんなのがいいか女の子の意見を教えて欲しいんだよ」



 エプロンかぁ。確かに今のは使いやすくていいけど、580円のケーキを出す店となると少し高級感が足らないかも。ポケットが実用的というか、大きくて四角くて、目立つんだよね。これはこれでアットホームで親しみやすい感じだから嫌いじゃないけど、今時っぽくはないかなって、実は思ってた。


 関谷さんが業務用ユニフォームの分厚いカタログをカウンターに広げた。

 パラパラめくって見てみると、エプロンだけじゃなくってホテルのメイドさんみたいな黒くて清楚なワンピースとか、料亭の着物みたいなものもあったりして、驚いたのは有名なファミレスとか居酒屋のユニフォームも載ってるの。面白い。


 こういうところでみんな注文してるんだ。お店のユニフォームって一枚でも大量でもオーダーメイドだと思ってた。普通の値段だし、あたしのお店だったら……そうだな、こんな……



「エプロンはね、このへん」



 そう言いながら関谷さんがあたしの妄想をさらっと吹き飛ばして目的のページを開いた。



「今の深緑色は変更しないんですか? してもいいなら、黒とかイイ感じですね」

「黒は汚れ目立つんだよね、カッコイイんだけどねぇ。でもアリだよ、黒」

「あー確かに。じゃあブラウンとかネイビーはどうです? それかこの際、漂白前提で白とか」



 あたしはパっと目に入った真っ白いフレアスカートみたいなショートエプロンを指して言った。モデルさんは黒いワンピースにそのエプロンをしてて、隣の男の人は白シャツに黒のギャルソンエプロンと黒パンツってスタイル。全くお揃いってわけじゃないのが逆にイイ感じ。



「なるほど、そのテもあるね。漂白前提、ウフフ、それイイかも」



 チリリンチリン、と扉に下がった真鍮のベルが揺れた。厚い木製の扉がゆっくりと開くのに合わせて外の明かりが次第に太く差し込んでくる。店内にいると窓のステンドグラスが光を遮って、今が昼なのか夜なのかが曖昧になってまったりしてくるから、この瞬間はいつもしゃきっと背筋が伸びる。



「おっ、徳さんあったかそうだねぇ」

「やあ、いつもの頼むよ」

「いらっしゃいませ、コート、こっち掛けときますね」



 大常連の徳さんは店に入るなりガバっと勢いよくコートを脱いだ。よく見るとこめかみに汗を滲ませながら少し顔を赤くしてる。


 おしぼりとお冷を運ぶと、徳さんは素早くグラスを手にして一気に飲み干し、おしぼりを広げてがしがしと顔を拭いた。



「大丈夫ですか?」

「いやー参った参った。朝は木枯らしでも吹くんじゃないかと思ったんだけどまだ気が早かったわ。でも脱ぐと邪魔だから我慢して着てたのさ。あ、すみれちゃん、お冷、もう一杯もらえるかい」

「はい、何杯でもお持ちしますよ」

「確かに今朝は寒かったのに今は夏が帰ってきたようだもんなぁ。お疲れ徳さん」



 そんな日常のやりとりを交わし、カウンターの中に戻ろうとしたその時、まだ閉まりきっていない扉の外からダガーーーンッ!というけたたましい衝撃音と叫び声が聞こえてきた。それは明らかに非日常で明らかに異常、つまり明らか過ぎる非常事態。



「キャーーーー!」

「うわああーーーー!」

「誰か轢かれたぞ!」

「救急車! 警察も! だれか!」

「煙出てる! ヤバイヤバイ!」



 すぐ近くで事故が起きたみたいで、関谷さんと徳さんは血相を変えて一緒に飛び出していった。あたしも持ち上げかけたカウンタートップをバタンと下ろして、後を追うように扉まで向かう。

 ほかのお客様たちも、みんな席を立って集まってきた。



「すごい音しましたね」

「ですね…大丈夫でしょうか」

「見えないけど、店舗にも突っ込んでいそうですね」

「轢かれたって言ってましたけど……」

「クラクションもブレーキも聞こえなかったよな……」



 時々は店で顔を合わせた事があるかな程度の間柄でも、こんな時は自然と会話してしまう。会話というか、それぞれが思ったことを口々に声にして、目で頷きあう、そんな空気。

 外には信じられない景色が広がってた。交通事故の現場なんて初めて見た。こんなの、一生で一回見るか見ないか……


 大きくて長いトラックがうちと対面側の歩道に突っ込むみたいにして停まってて、その先に人だかりができてた。ここからじゃその人だかりの先は見えないけど、そのトラックの大きさからして大変な事になってるんじゃないかって、悪い予想をしてしまう。



 お客様の何人かは、食事も済んだし見てくるわ、って会計をレジに置いて店から出ていった。

 残ったお客様たちも一歩、また一歩と、だんだん扉の外へとじりじり足が向かう。それに合わせてあたしも店の表に出て、みんなでその光景を見つめ続けた。


 こうしていても事態は何も変わらないのに、見るのをやめられなかった。今までテレビなんかで火事とかこういう事故の周りで群がってる人を見て、野次馬根性ってイヤだなぁなんて思ってたけど、違うんだ。

 うまく言えないけど、とにかくその場から目が離せないし、これを差し置いて他の事が出来る気分になんて、とてもじゃないけどなれない。


 どれくらいそうしていたか、消防車、救急車、パトカーや警察の車が次々にやってきて、事故っぽさがぐんと増す。不安なのか恐怖なのかよくわからない緊張で、心臓がバクバクしてきた。幸い、と言っていいのかわからないけど、煙を上げていたトラックは発火することなく牽引されて車道に戻っていった。

 事故のあった場所が警察に整理されて、最前の人だかりが散らされた頃、関谷さんと徳さんが戻ってきた。



「おかえりなさい」



 関谷さんが扉を開けると自然とその場がお開きになって、みんなが席に戻って行く。



「ただいま。あれは酷いねぇ、暫く店やれないんじゃないかな」

「お店、ぶつかっちゃってたんですね」

「ありゃあ、あの兄ちゃんも助からねぇだろうなぁ、可哀そうに。親御さんも気の毒になぁ」



 徳さんの言葉で、店内は苦く重たい空気に包まれた。苦くてイイのはコーヒーだけだよ……

 言い方からして、若い男の人が犠牲になってしまったみたい。お店の人には悪いけど、物なら修理できるだろうけど、命はね……



「今、みなさんに新しい飲み物お出ししますね」

「おお、すみれちゃんは気が利くねぇ、マスターとは大違いだ」

「徳さんのぶんだけ伝票追加しとくからね」

「おっとっと、あくどいのは顔だけにしてくれよぉ、マスター」



 そんな冗談が飛び交って、テーブルに置き去りになってしまった飲み物を作り直してお客様に運ぶと、少しだけ日常に戻った気がした。



 ふう、とひと段落してカウンターをひと拭きした時、その手を伸ばした先、一番端の席にお客様が座っているのに気がついた。

 軽くウエーブがかった栗色の髪が綺麗で、色白でスタイルもいい大学生くらいの男の人。こんなに目立つ感じの人にぜんぜん気付かなかったなんて、未来のカフェ店主として恥ずかしすぎる。



「あっ、申し訳ありません、ご注文お伺いしてませんよね!」



 男の人はニッコリと首を少しだけ傾げて、大丈夫という風に肘をついた手をひらひら振ってくれた。

 いい人で良かった。でも怒られるより申し訳ない気持ちが倍増するんだよね。こういう返しって。



「すみれちゃん、どうしたの?」



 グラスに水を注いでいると、関谷さんが不思議そうに訊いてきた。



「カウンターのお客様、ご新規だったんですけどこのゴタゴタで気付かなくって」

「誰もいないよ?」



 え?



「すみれちゃん、仕事がんばり過ぎ。いくらカフェ開業が夢でも根詰め過ぎちゃダメだよ」

「そんなんじゃ……」

「すみれちゃーん、小腹減ったからナポリタンいいかい?」

「あっ、はい、かしこまりました」



 もう一度カウンターの端に視線を戻すと、そこにはさっきと変わらずにこやかなオニーサンがこっちを見て手をひらひらさせていた。


 どうやら、このお客様は、あたしにしか見えないみたい。それって、いわゆるユーレイ、ってやつだよね……



 やっぱりあたし、疲れてるのかな……




休載、大変申し訳ありません!

読んでくださってありがとうございます!


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