ジャハーヌとの出会い その15
二時間程度の仮眠で済ませようとしたが、起きた時には完全に朝日が昇っていた。
俺は急いでペンテの部屋に向かう。
「ペンテシレイア! ……え?」
扉を開けたが、そのベッドにペンテの姿はない。それとおかみさんの姿もだ。
どこに行った? まさか、死んで埋葬されてる……?
最悪の展開が頭をよぎったその瞬間、一階から物音が聞こえた。
俺は一段飛ばして階段を駆け下り、一階のリビングまで降りる。
リビングには料理をバカ食いしているペンテシレイアがいた。
「本当にいい食いっぷりだね」
「まだまだ食えるぞ、俺は腹が減ってるからな」
おかみさんが運んできた料理……ポトフをむしゃむしゃと食べ始める。
「そうかいそうかい……て言っても、もうほとんどこの家にあるものは食べつくしたみたいだけどね」
「アヤトは全然食い物を買わないんだ、あいつはケチだからな」
保存がきかないものを買わないだけで、食い物を買わないわけじゃない。
というか、お前は俺が作ったものを食わないだろうが。
「……ペンテ」
「うん? おお、アヤト、お前の食う飯はないぞ」
「あんたも起こそうと思ったけど、ぐっすり寝てたからそのままにしておいたよ」
気遣いはありがたいが、そこは起こしてくれてもよかった。
俺はペンテの肩に手を置くと、ペンテはこちらに顔を向けた。
その額に手をやる。極端に熱くも冷たくもない。ちゃんと平熱だ。
「何やってんだお前?」
「熱を測ってるんだ、親にやってもらったことはないか?」
「……」
ペンテはキョトンとした顔をした。
ないか、そうだろうな。こいつの生い立ちはわからないが、親からはきちんと育てられた様子はないし。
「ペンテ、よく生きていてくれたな」
「あん? ……俺は死なねえよ、強いからな!」
幾日かぶりの本調子のペンテ見て、思わず口角が上がってしまった。
「何にニヤついてんだお前、気持ち悪いぞ」
「……」
この野郎、こっちがどんだけ心配してやったと思ってるんだ……
まあ、そんな生意気な減らず口もペンテらしくていいか。
「ペンテ、まだご飯を食べられるかい?」
「当たり前だ」
「それならうちの食堂においで、普段は朝はやってないんだけどね、今日は特別さ、あんたに腹いっぱい食わせてやるからね」
「おう! 腹いっぱい食うぞ!」
ずいぶん気前がいい。ペンテが禁忌に侵されたのはおかみさんのせいではないが、これもエリスを娘だと思っているからこそなのだろう。
「おかみさん、ジャハーヌは?」
「あのダークエルフだね、帰ってきてないよ」
ジャハーヌの目的は「身内の不始末の片づけ」だと言っていたが、その目的を達成すればもうここに戻ってくる理由はない。一応、俺が雇い主で報酬も支払うと言ったが、こちらの資金の隠し場所はばらしているし、そこから勝手に金をとっていけばもう二度と会うこともないだろう。
「ジャハーヌ? ダークエルフ? 誰だ?」
「お前の命の恩人だ、感謝しとけよ」
「……命の恩人? 俺はダークエルフなんかに助けられるほど弱くねえぞ!」
「詳しいことは、食堂への道すがら歩きながら話してやるよ」
いつものペンテを見ていたら俺もなんだか腹が減ってきた。緊張の糸がほぐれたのだろう。
ペンテは我先にとホームから飛び出していく。そんなに急いだところでおかみさんがいないと結局飯にあり付けないぞ。
俺は肩をすくめながら、おかみさんと一緒にホームを出た。
「ちょっと、私抜きで祝賀会なんてひどくない?」
俺たち以外の客がいないほぼ貸し切り状態の『ドラゴンの前足亭』。
テーブルに所狭しと置かれた料理をまるで掃除機の如く暴食するペンテ。それを苦笑しながら見ていると、後ろから声をかけられた。
「ジャハーヌ? お前、戻ってきたのか?」
「はあ? なに驚いてるのよ、まだ報酬も受け取ってないのよ、こっちは」
「すまん、金の隠し場所は教えたし、勝手に取って行くものかと思った」
「そんなことするわけないでしょ、泥棒じゃないんだから」
暗殺者の癖に倫理観はしっかりしている。ジャハーヌという女はよくわからない。
「ペンテ、こっちがジャハーヌだ」
飯を食っていたペンテがその手を止めて、ジャハーヌの方を一瞥すると、またすぐに暴食を再開した。
「なんなの子、ちょっと失礼じゃないかしら」
「こういうやつなんだ、勘弁してやってくれ」
「あんたねえ、子供はこれくらいからきちんと躾けないとダメよ」
「俺はこいつの親じゃないぞ」
「親じゃなくても保護者ならそれくらいしなさい」
まあ確かに保護者みたいなものだが。
しかし、こいつが俺の言うことを聞くとは思えない。げんに聞いていないし。
「お酒が欲しいわね」
「まだ朝だぞ」
「一仕事を終えたら飲みたくなるものよ、そうでしょ?」
俺に同意を求めるな。
そして一仕事終えたってことは、それはつまりエリスを始末したってことだ。俺にとってエリスは仇だが、この店の人々にとっては元同僚だし、気まずく思ったりしないのだろか?
「お酒ちょうだい、強いのが欲しいわね」
「お酒だね、わかったよ」
俺の心配をよそに、ジャハーヌも、そしておかみさんも普通にやりとりをしている。
ジャハーヌはともかく、おかみさんの方は割り切っているのか、割り切っていないのか……
「……おい、ダークエルフ」
「ジャハーヌよ」
「お前の名前なんか知るか、なんか用か? 用がないならどっかいけ」
「用があるかここにいるんだけど、まあ仲良くやりましょう?」
ジャハーヌが肩をすくめる。
なんだかペンテがやけにとげとげしい。どうしたんだ。さっきまで美味しそうな料理に囲まれてご満悦だったじゃないか。
「さっきから馴れ馴れしいぞお前、俺に殺されそこなった癖に」
「あら、逃げたのは認めるけど殺されそこなった覚えはないわね」
「あのままいけば殺せてた」
「実際殺せなかったじゃない、私は生きてるわよ」
「……ちっ」
ペンテが大き目の舌打ちをした。その眼に鋭さが宿る。臨戦態勢になった時の眼だ。
勘弁してくれ。快気祝いをさせてもらっている店で暴れられてたまるか。
俺はテーブルに置かれている料理を……まあほとんどペンテの好きな肉料理なのだが……手づかみで食べ始めた。
「あ、アヤト! それは俺のだぞ!」
「食べるのを止めたから俺が食べていいのかと思ったんだが」
「そんなわけあるか! 全部俺のだ!」
ペンテの注意がテーブルの上の料理に逸れる。
まったく、病気の時も元気の時も面倒かけさせるじゃないか。
「お酒だよ、この店で一番強いさ」
「ありがと」
ジャハーヌは二つのコップに酒を注ぎ、一つをこちらに置いた。
「俺も飲むのか?」
「当たり前でしょ、一人飲みなんてさせる気だったわけ?」
喜んでつき合わさせてもらうさ。ペンテの命の恩人だからな。
俺は酒のボトルを傾ける。ジャハーヌのコップに注ぎ、自分のコップにも注いだ。
「はい、乾杯」
コツンとコップ同士を鳴らして酒を飲む。
飲んだ瞬間にクラリときた。一番強い酒と言っていたが、本当にかなり強い奴だ。お祝いの場とはいえ朝っぱらから飲むものじゃない。
「なかなかいいお酒じゃない」
このうわばみはこんな酒にご満悦のようだ。酔っ払えれば何でもいいのかもしれない。
「ジャハーヌ、せっかく来てくれたわけだし報酬の話をするか……といっても今は持ち合わせがないから、一旦ホームに戻るが」
「まだいらないわよ」
「ああ、だからホームに戻ってから……」
「じゃなくて、今はまだいらないってこと」
「……どういう意味だ?」
今は払わないというのならいつ払うというのだ。
「今回は私が目的が一緒だったし、それにこれからも雇ってもらうわけだしね」
「え? これからも雇う?」
「え? 何で驚いてるの?」
「……いや、そんな話だったか? 今回だけじゃなかったっけ?」
「いや、あんたが言ったんじゃない、暗殺者を雇いたいって」
「……」
確かにそう言ったが、でもそれは今回だけって意味で……
「まあ、私としてもちょうどいいのよ、ギルドから処罰されてるせいで一人傭兵団も作れない状況だし、これからの食い扶持に困ってるわけよ、言っとくけど結構傭兵団探しって大変なのよ? 変なところで合わない奴らと組むことになったらそれこそ最悪だし……というか、ギルドから制裁されてる暗殺者をわざわざ雇いたいってところなんてないもの、共同体に所属してもどうせ新入りとして数十年はこき使われるの確定だし……裏方の暗殺者としてどこぞのマフィアに雇われるのは論外ね、ここら辺はあのクソゴブリンの息のかかった連中しかいないもの」
酒が入ったせいか、このうわばみにいつものおしゃべりが顔を見せ始めた。
「それに私はあんたのこと、少しは気に入ってるのよ、これからも私のお酒に付き合ってくれるのなら、特別にお安めで雇われてあげるわ」
被雇用者のくせになんでそっちが偉そうなんだ。
まあ、ジャハーヌは信用に値するダークエルフ種だし、暗殺者としての実力も悪くないだろう。俺の傭兵団に入ってくれるのであればありがたい。
しかし、こんな聞かん坊のオークと何もできない人間が組んでいる傭兵団によく入ろうと思ったな。俺なら絶対に入りたくないと思う。
「あんたももっと飲みなさい」
「俺は少しでいい、それよりも自分が飲みたいだろ?」
「私も飲むわ、でもあんたも飲むよ」
「こんな酒飲んだらすぐに酔っ払っちまうよ」
「だからいいんじゃない」
「俺を酔わせてどうするつもりだ」
「別に~? あんたはいつも通り私を口説けばいいんじゃない?」
いつも通りってなんだ。昨夜初めて会ってその時の一回やっただけだろうが。しかもお前にやらされる形で。
というかこいつまさか、自分が口説かれたいから俺の傭兵団に入るつもりなのか。
「……それはまた今度な」
「なんでよ、やりなさいよ」
「……二人きりの時にやろう」
朝っぱらからやることじゃない。少なくともペンテが目の前にいる時は絶対にやりたくない。
「二人きり、そうね、それでもいいわ」
ふふ、と笑いながら上機嫌で酒を飲むジャハーヌ。
仲間が増えたのはいいこと……なのか? ただ、さっきからペンテがこちらを睨みながら飯を食っているのが非常に気になるところだが。




